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1-5 偶然の彼女

「なぜ、行動してくれたんだ?」

 エリオットが静かに尋ねた。

「多くの人は、危険に気づいても見て見ぬふりをする。自分が巻き込まれるのを恐れて、行動しない。でも、君は違った。なぜだ?」


 その問いに、岬は言葉に詰まった。自分でも、よく分からなかったからだ。しかし、エリオットの真摯な瞳に見つめられているうちに、心の奥底にあった、自分でも気づかなかった本心が言葉の形を取り始めた。


「……理不尽が、嫌だったから」

 ぽつりと、雫が落ちるように、言葉がこぼれた。

「私の人生、理不尽なことばかりでした。学校でも会社でもプライベートでも……いつも、力の強い人が、声の大きい人が、正しいことになって。弱い人間は、ただ黙って耐えるしかない。それが、ずっと悔しかった。目の前で、また理不尽な暴力が起きるのを見過ごしたら、私は一生、そんな自分を許せないと思ったから……。助けたかったというより、負けたくなかったんです。そんな理不尽に」


 それは、誰にも言えなかった、心の奥底からの叫びだった。初めて他人に打ち明けた、自分の弱さと、ささやかな誇り。言い終えた時、岬の頬を一筋の涙が伝っていた。


 エリオットは何も言わず、ただ静かに聞いていた。そして、岬が話し終えると、彼は驚くべき言葉を口にした。


「That's injustice.」(それは、不正義だ)


 彼の声は静かだったが、鋼のような怒りが込められていた。

「君のような人間が、そんな仕打ちを受けていいはずがない。それは、断じて許されることではない」


 同情ではない。共感。そして、岬が受けてきた理不尽に対する純粋な怒り。

 その言葉が、岬の心の凍りついていた何かを、ゆっくりと溶かしていくのを感じた。


 その時、部屋の大型スクリーンに電源が入り、ビデオ通話の着信音が厳かに鳴り響いた。

 画面に映し出されたのは、ニュースで見たことがある大統領の執務室――世界で最も多くの情報と権力が集まる部屋を背景にした、壮年の男性だった。


 歳は五十代半ば。穏やかそうな顔立ちだが、その瞳の奥には、世界を動かす者の知性と、冷徹なまでの意志が宿っているのが見て取れた。

 ガブリエル・ハルフォード大統領。エリオットの父親だ。


『エリオット、無事か!』


 画面の向こうから、安堵と、抑えきれない怒りが滲む声が飛んできた。


「ええ、父さん。ご覧の通り無事ですよ。……そこにいる、ミサキ・タキノガワさんのおかげで」


 エリオットがそう言って岬に視線を送ると、ガブリエル大統領の鋭い目が、初めて岬を捉えた。その視線は、まるで岬の魂の奥底までスキャンするかのようだ。しかし、そこに敵意はなく、むしろ岬に対する深い興味と、値踏みするような光があった。


『ミサキ・タキノガワさん、だね。息子から、君の話を少しだけ聞いた。言葉もない。君は我がハルフォード家、いや、我が国にとっての恩人だ。本当にありがとう』


 世界最強の男が、画面越しに深々と頭を下げた。岬は恐縮して、どうしていいか分からなくなる。


『犯人グループの割り出しは、我が国の諜報機関が総力を挙げて行っている。だが、問題は君のことだ』


 ガブリエルの声のトーンが、ビジネスライクな冷徹さを帯びた。


『事件の映像が、すでに世界中に拡散されている。“The Girl by Chance”(偶然の彼女)というキャッチーな見出しでね。君の顔も名前も、すぐに特定されるだろう。そうなれば、犯人グループが君を“邪魔な目撃者”として狙ってくる可能性が極めて高い』


 ぞくりと背筋が凍った。すでに自分の命が危ない。やはり、関わるべきではなかったのか。いつものように見て見ぬふりをして、静かに息を潜めて生きていくべきだったのか。後悔の念が、黒い染みのように心に広がり始める。


 そんな岬の心を見透かしたかのように、ガブリエルは続けた。その声は悪魔のように甘く、そして神のように力強かった。


『提案がある』


 彼は一呼吸置いて、驚くべき言葉を口にした。


『私の“娘”にならないか?』


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