6-5 アカウント名『ブラッディマリー33』
スイートルームで岬は、作戦用に用意されたハイスペックなノートパソコンを起動した。
偽名『荒川未沙』。
今から、『荒川未沙』という新しい仮面を身につけた彼女は、アメリア連邦国の諜報機関によって完璧に作り上げられた、架空の存在に成りすます。
デスクトップには、広尾が言っていた通り、不気味なピエロの仮面を模したアイコンが鎮座している。
『Myピカレスク』。
古河達哉が、信者たちを管理し、扇動するために作り上げた、閉鎖的なコミュニティアプリ。
岬は、アイコンをクリックした。
起動画面が立ち上がる。黒を基調とした背景に、赤い文字でアプリのタイトルが浮かび上がる、悪趣味なデザインだ。
初回起動。広尾から渡されたマニュアル通り、偽名『荒川未沙』、偽りの生年月日や住所など、要求される個人情報を淡々と入力していく。
「アプリ用アカウントは、任意の名前(本名でなくても可)を設定」
なるほど、ここで信者たちは、ネット上の仮面を被るわけか。
岬は、アカウント名の入力欄で、一瞬だけ指を止めた。
どんな名前がいい?
目立ちすぎず、記憶には残る名前。古河達哉のような男が興味を引くような、それでいて、どこか侮るような名前。
彼女は、カクテルの名前を打ち込んだ。
『ブラッディマリー33』
血塗られた聖母、33。皮肉を込めるには丁度いい。
アバター設定は、デフォルトのまま。無個性な影のようなアイコンだ。
すべての初期設定を終えると、アプリのメインロビー画面へと移行した。
平日の午前中だというのに、その空間は、異常な熱気に満ちていた。
『Myピカレスク』は、いくつかの主要なチャットルーム(『チャンネル』と呼ばれているらしい)に分かれており、その全てで、数百人単位のユーザーがアクティブになっている。
【雑談チャンネル】(アクティブ:489人)
【古河様語録研究会】(アクティブ:231人)
【アンチ撃退作戦室】(アクティブ:312人)
そして、今、最も多くの人間が集まっているのが、昨夜、古河達哉自身が配信で宣伝していたチャンネルだった。
【古河様主催 暴露祭り!参加者募集!!】(アクティブ:677人)
(……いるわね)
岬は、迷うことなくそのチャンネルをクリックした。
画面が切り替わり、滝のように流れるチャットの奔流が、岬の目に飛び込んできた。
『ユーザーA:昨日の配信、マジ神だったな!』
『ユーザーB:星霜フロンティア、マジで潰れろ!』
『ユーザーC:つーか、リーク犯だよ、問題は!』
『ユーザーD:古河様が言ってた通り、絶対、元社員の逆恨みだって!』
『ユーザーE:いや、俺は外資のハゲタカファンドだと思う。株価操作で儲けてる奴らがいるはずだ!』
『ユーザーF:どっちでもいいわ! 早く特定して、古河様に報告しようぜ!』
画面を見ているだけで、胸が悪くなるような、一方的で攻撃的な言葉の羅列。
彼らは、自分たちが「正義」であり、古河達哉の言葉こそが「真実」だと信じて疑っていない。
水戸や星霜フロンティア社を社会的に抹殺したのは、紛れもなく岬たちだが、その事実は、彼らの前では都合のいい「陰謀論」の材料にすぎなかった。
岬は、深呼吸を一つすると、キーボードに指を置いた。
偽名『荒川 未沙』、アカウント名『ブラッディマリー33』としての、最初の演技が始まる。
『ブラッディマリー33:はじめまして! 昨日の古河様の配信を見て、参加しました! よろしくお願いします!』
新参者の当たり障りのない挨拶。
一瞬、チャットの流れが止まったかのように見えた。
すぐに、何人かが反応を返す。
『ユーザーG:お、新入りか。よろしくー』
『ユーザーH:ブラッディマリー33さん、よろです! 古河様の信者なら、みんな仲間っしょ!』
『ユーザーD:ちょうどよかった! 新入りなら、まず仕事だ! 星霜フロンティアの元社員のSNS、片っ端から洗ってくんね? リーク犯に繋がりそうな奴、絶対いるから!』
いきなりの「仕事」の命令。
彼らにとって、この「暴露祭り」は、古河達哉に褒めてもらうための集団参加型ゲームなのだ。
岬は、再びキーボードを叩く。
『ブラッディマリー33:は、はい! 頑張ります! 私も古河様のために、何かできることがしたくて……!』
『ユーザーG:おー、殊勝じゃん。とりあえず、過去ログ全部読んで、今までの流れ把握しとけよ』
『ブラッディマリー33:ありがとうございます! あの、一つ聞いてもいいですか……?』
岬は、意図的にコミュニティの「常識」を知らない、無知な新参者を演じる。
『ブラッディマリー33:古河様って、直接お会いしたりすることって、できるんでしょうか……? 私、本当に尊敬していて……!』
この書き込みに、すぐに複数の人間が食いついてきた。
『ユーザーG:は?w お前、マジで新入りなんだなw』
『ユーザーI:いきなり古河様に会いたいとか、100年早いわw』
『ユーザーJ:草』
嘲笑の嵐。
岬は、この反応を待っていた。
しおらしいフリをして、恥ずかしがっていそうなコメントを打ち込む。
『ブラッディマリー33:す、すみません! そんなに、簡単なことじゃ……ないんですよね?』
すると、待ってましたとばかりに、一人のユーザーが、長文を投稿した。
アカウント名の横には、銀色に輝く【A】のバッジがついている。
どうやら、このコミュニティにおける、上級国民らしい。
『ユーザーA(Aランク):いいか、新入り。よく聞けよ。このコミュニティには、古河様と側近の方々が定めた『信者グレード』ってのがあるんだ』
来た。
岬は、画面を食い入るように見つめた。
『ユーザーA(Aランク):古河様の一番近くにいらっしゃる側近親衛隊の方々が『Sランク』。俺みたいに、古河様への貢献が特に認められた者が『Aランク』』
『ユーザーA(Aランク):で、メンバー在籍が1年以上とか、貢献度が一定以上の古参が『Bランク』』
『ユーザーA(Aランク):お前みたいな、昨日今日入ってきた新参は、例外なく『Cランク』だ。分かりやすく言えば、お前はまだ、底辺ってこと』
(底辺……)
その言葉のチョイスに、古河や上級信者たちが、他の信者たちをどう見ているかが透けて見えた。
『ブラッディマリー33:そ、そうだったんですね……。教えていただき、ありがとうございます!』
『ブラッディマリー33:あの、Aランク様! どうすれば、私もランクアップできるんでしょうか!? 私も、古河様のお役に立ちたいです!』
必死に食い下がり、盲目的な新参信者を演じる。
Aランクユーザーは、気分を良くしたようだ。
岬は、さらに情報を引き出すため、Aランクユーザーの説明に耳を傾けた。




