6-2 シナリオはディナーの中で
その日の夜。岬は、エリオットからの誘いを受け、大使館の最上階にあるプライベート・ダイニングルームにいた。
そこは、選ばれた国賓をもてなすためだけに用意された特別な空間だった。
天井まで届く一面の窓ガラスの向こうには、東京タワーを含む都心の夜景が、まるで地上に撒かれた無数のダイヤモンドのように、果てしない輝きを放っている。
「昼間の作戦会議の続き、といったところかな」
エリオットは、白いテーブルクロスに置かれたキャンドルの炎を見つめながら、穏やかな声で言った。
彼は、ウォー・ルームにいた時のような司令官の顔ではなく、洗練された実業家としての柔和な表情に戻っていた。
「水戸の件、見事な采配だったよ」
彼は、最高級の赤ワインが注がれたグラスを、優雅な仕草で傾ける。
「そして次の相手は、数十万人の信者を抱える古河達哉。ネット世界の論破王、か」
エリオットは、ふと視線を上げ、岬の目を真っ直ぐに見つめた。
「ミサキ。誤解を恐れずに言うが、我々の力をもってすれば、彼を社会的に抹殺すること自体は、水戸よりもはるかに容易い」
「……」
「彼の配信プラットフォームの大株主は、僕の経営するファンドの一つだ。アカウントを停止させるのは、電話一本で済む。あるいは、彼の伯父である岸波文男の政治生命を終わらせるようなスキャンダルをリークして、資金源を断つことだってできる」
エリオットは、まるでチェスの駒を動かすように、淡々と可能性を列挙する。
「だが、それでは君は満足しないんだろう?」
その問いに、岬はゆっくりと首を振った。
「はい。それでは、物足りません」
彼女の声は、静かだが、鋼のような硬い意志を宿していた。
「彼の伯父である元総理大臣、岸波文男は、今でもキングメーカーとして日本の政界に強い影響力を持っています」
岬は、昼間にウォー・ルームで広尾から報告された情報を、自分の言葉で反芻する。
「古河達哉にとって、岸波文男は最強の庇護者であると同時に、最後の逃げ道でもあります。私たちが彼を追い詰めても、伯父が裏で手を回し、ほとぼりが冷めた頃に別の名前で復活させるかもしれません。それでは、真に彼を社会的に抹殺したことにはならず、不完全です」
「……つまり、彼の力の源泉と彼の逃げ道、その両方を同時に断つ必要があると」
エリオットは、岬の思考を正確に読み取った。
「その通りです」
岬は、ナイフとフォークを静かに置いた。
「ですので、まず第一に、古河とその信者たちの強固な関係を内部から崩壊させます」
彼女の瞳に、ウォー・ルームで見せた冷たい戦略の光が再び宿る。
「彼が築き上げた『論破王』という虚像を破壊し、信者たちに『自分たちは騙されていた』と認識させ、彼を崇拝の対象から憎悪の対象へと反転させるんです」
「そして第二に」と岬は続ける。
「古河達哉という存在が、庇護者である岸波文男にとって、『守る価値のある甥』ではなく、『政治生命を脅かす最大のリスク』になるよう仕向ける必要があります。岸波文男自身の手で、古河を切り捨てさせるのです」
信者を盾にし、権力者を鎧にする。それが古河の手口なら、その盾と鎧を両方とも奪い取り、丸裸にした上で、処刑場に引きずり出す。
それが、岬の描く復讐のシナリオだった。
「……ハハ」
エリオットは、思わずといったふうに、小さく乾いた笑い声を漏らした。
「ミサキ。君は、本当に……」
彼は、感嘆のため息をつくと、ワイングラスを手に取った。
「君は、一流の戦略家の素質がある。その冷静な分析力と、敵の心理を読んで追い詰めるシナリオ構築能力は、そこらの将軍よりよほど優れている。僕も、これほどエキサイティングな気分にさせられたのは、久しぶりだよ」
そのストレートな賞賛の言葉に、岬の頬がわずかに熱を持った。
彼女も、目の前のワイングラスをそっと手に取る。
「ありがとうございます。あなたの力があればこそ、それが可能です」
「僕の力じゃない。僕たちの力だ」
エリオットはそう言って、グラスを岬の前に掲げた。
「君のルールでいこう。君の望む、最もパーフェクトで美しい復讐のために」
岬もまた、ワイングラスを掲げ、エリオットのグラスに近づけた。
カチン、と。
二つの上質なクリスタルグラスが、夜景の光を乱反射させながら、澄んだ音を立てて触れ合った。
それは、新たなる戦いのゴングのように、静かなダイニングルームに響き渡った。




