5-3 社内嘲笑オールレンジ
虚ろな表情で、水戸はよろよろと社長室を後にした。
エレベーターを待ち、自分の部署があるフロアへと降りる。会社を去る前に私物をまとめるためだ。
だが、彼が広報課のオフィスに足を踏み入れた瞬間、それまで聞こえていた喧騒が、ピタリと止んだ。
社員全員の視線が、一斉に彼に突き刺さる。
その視線に込められているのは、同情ではない。好奇、侮蔑、そして、あからさまな嘲笑だった。
(……なんだ、こいつらの目は)
水戸は、動揺した。
つい昨日まで、自分を恐れ、顔色を窺っていたはずの部下たちが、今は自分を汚物でも見るかのように見ている。
「おい、見たかよ、水戸さんの顔」
「マジ、ウケるんだけど。昨日の夜、警察に捕まったって本当だったんだ」
「会社の金を横領とか、犯罪じゃん」
「自業自得だよな。あれだけセクハラやパワハラしといてさ」
役員の誰かが喋ったのだろう。すでに広報課の社員は皆、水戸の醜い行為の全てを知っていた。
ひそひそと、しかし、わざと水戸に聞こえるように交わされる陰口。
クスクスという、下品な笑い声。
昨日まで、水戸という絶対的な権力者の下で、息を殺して耐えていた者たちの、溜まりに溜まった鬱憤が、今、安全な場所から放たれる無責任な悪意となって、水戸に襲いかかっていた。
「うるせえ!」
水戸は叫んだが、その声にはもう何の力もなかった。
誰も、彼を恐れない。誰も、彼の言うことなど聞かない。
彼はもう課長ではなく、ただの「犯罪者」なのだから。
水戸は、震える手で自分のデスクの上の私物を段ボール箱に詰め始めた。その間も、嘲笑のシャワーは止まない。
かつて、自分が部下たちに浴びせてきた罵詈雑言が、今、何倍にもなって自分に返ってくる。
直属の上司である部長が、水戸の席にやって来た。水戸は、頭を下げて、最後の挨拶を述べようとする。
「部長、この度は……」
部長は、水戸の言葉を遮り、忌々しそうに告げた。
「まだいたのか。立ち去るように言われているだろ。さっさと出ていきたまえ」
耐えきれなくなった水戸は、荷物をまとめ終えるのもそこそこに、オフィスから逃げるように退出した。
会社のビルを出て、冷たいアスファルトの道を歩く。
空は、昨日と同じように、どこまでも青く澄み渡っている。だが、水戸の心は、先の見えない、どす黒い絶望の雲に覆われていた。
全てを失った。
地位も、名誉も、会社という居場所も。
愛人だったレイラからは、昨夜から一度も連絡がない。おそらく、もう二度と会うことはないだろう。
これからどうすればいい?
家のローンは? 家族には、何と説明すればいい?
頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
沈んだ気持ちで、駅へと向かう。人々の往来が、やけにうるさく感じられた。
その時だった。
背後から、どこか聞き覚えのある声が彼を呼び止めた。
「水戸課長!」
振り返った水戸の目に映ったのは、信じられない人物の姿だった。




