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5-2 泣き土下座。社長室にて。

 モニターを通じて初めて見る、星霜フロンティア社の社長室は、重苦しい沈黙に支配されていた。


 分厚い絨毯、壁に飾られた趣味の悪い絵画、そして部屋の広さに不釣り合いなほど巨大なウォールナットのデスク。その全てが、この部屋の主である尾張社長の、虚栄心の現れのようだった。


 その社長室に呼び出された水戸茂は、社長と役員たちに取り囲まれ、屈辱的な吊るし上げを食らっていた。


「水戸くん! 君は一体、我が社にどれだけ泥を塗れば気が済むんだ!」


 尾張社長の、甲高い怒声が響き渡る。その顔は、怒りで真っ赤に染まっていた。

 水戸は、社長デスクの前に、直立不動の姿勢で立たされている。社長の傍には、顧問弁護士である初老の男が、苦虫を噛み潰したような顔で控えていた。


「申し訳……ございません……」

 か細い声で謝罪するのが、水戸には精一杯だった。

 昨夜の悪夢のような出来事。留置所の冷たい床の感触と、同室の男の下卑た笑い声が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。会社が手を回してくれたおかげで、早朝に釈放されたものの、彼の精神はすでに限界だった。


 そんな彼に、尾張社長の罵詈雑言は、容赦なく突き刺さる。

「申し訳ありません、ではない! 君が起こした不祥事のせいで、会社がどれだけの損害を被ったと思っているんだ! 示談金は誰が払った? この私だ! 君ひとりのケツを拭うために、私の大切な金を使ったんだぞ!」

「……」

「しかも、今朝になって、君に関する匿名の内部告発まで届いている! パワハラにセクハラだと!? 身に覚えがないとは言わせんぞ!」


 社長が、デスクに叩きつけたのは、今朝、私の指示で送信された告発メールを印刷した紙だった。

 水戸の顔から、さらに血の気が引いていく。

(なぜだ……? なぜ、このタイミングで……?)


 混乱する水戸に、追い打ちをかけるように、社長室のドアがノックされた。

 入ってきた秘書が、青ざめた顔で社長に封筒を差し出す。

「しゃ、社長……。筆頭株主のブリタニア・インベストメント様から、質問状が……」

「何だと!?」


 封筒をひったくるように受け取った社長は、その中身に目を通すと、わなわなと震え始めた。

「どういうことだ。なぜ、株主の海外ファンドが、君のハラスメントを知っている……? 情報が外部に漏れているのか……!?」


 疑心暗鬼に満ちた社長の目が、水戸を睨みつける。まるで、全ての元凶である疫病神を見るかのような、侮蔑に満ちた視線だった。


「水戸くん。君は、我が社を潰すつもりか」

「ち、違います! 断じて、そのようなことは……!」

「もういい! 言い訳は聞きあきた! 土下座しろ! 今すぐここで、私に土下座して詫びろ!」


「……え?」

 水戸は、自分の耳を疑った。

 土下座? この俺が?


 このパワハラを制止すべき立場にある顧問弁護士は、二人から視線を逸らした。露骨に、見て見ぬふりを決め込んでいる。

 所詮、彼も金で雇われた社長の味方に過ぎかった。


「聞こえなかったのか! 土下座しろと言っているんだ!」

 社長の怒声に、水戸の肩が大きく跳ねた。

 プライドが、自尊心が、悲鳴を上げる。だが、ここで逆らえば、本当に全てを失う。その恐怖が、彼の膝をゆっくりと床へと向かわせた。


 ガクンと音を立てて、水戸は社長室の床に両膝をついた。

 そして、震える両手を床につき、ゆっくりと頭を下げていく。額が絨毯に触れる、その屈辱的な感触。


「も、申し訳……ございませんでした……!」

 絞り出すような声は、涙で濡れていた。

 その無様な姿を、尾張社長は、冷たい目で見下ろしていた。


「まあまあ、社長。そのくらいで」

 土下座を見届けた顧問弁護士が、ようやく間に入った。

「事が大きくなりすぎる前に、手を打つべきです。株主まで動き出した以上、もはや問題を隠蔽することはできません。ここは、正式に第三者委員会を設置し、調査を行うべきでしょう。それが、会社として誠意ある対応だと、世間にアピールする唯一の方法です」

「……くそっ! やむを得んか……」


 社長が苦々しく呟いた、その時だった。

 再び、社長室のドアがノックされ、秘書がもう一通の封筒を手に、震えながら立っていた。

「ま、また……株主を名乗る匿名の方から……速達で……」


 社長が、嫌な予感を覚えながらその封筒を受け取ると、中から数枚の書類が滑り落ちた。

 それは、水戸が会社の経費を不正に流用し、愛人に貢いでいたことを示す、詳細な金の流れを記した調査報告書と、その証拠となる領収書のコピーだった。

 さらに、水戸のパソコンに保存されていた女性社員の盗撮データ入りフラッシュメモリと、パソコンの操作ログを印刷した紙が同封されていた。

 これは、彼自らが、盗撮行為と盗撮データの保存を行ったという証拠だ。


 社長室が、凍りついた。

 尾張社長は、ブルブルと震える指で書類を拾い上げると、信じられないという表情で、水戸の顔と書類を交互に見た。


「君は、会社の金を横領し、盗撮までしていたのか……」

 その声は、怒りを通り越して、もはや呆れと絶望に満ちていた。

「あ……あ……」

 水戸は、もはや言葉を発することもできなかった。動かぬ証拠を前に、言い逃れのしようがない。


「……水戸茂くん」

 社長の声が、地を這うように低くなった。

「君を、本日付けで懲戒解雇とする」


「なっ……!?」

 その言葉に、水戸は弾かれたように顔を上げた。

 懲戒解雇。

 その一言が、彼の最後の理性の糸を、ぷつりと断ち切った。


「ふ、ふざけるなっ!」

 それまでのおどおどした態度は消え失せ、水戸は獣のような叫び声を上げた。

「俺だけを切り捨てる気か! この会社が、今までどれだけ汚いことをやってきたか、忘れたとは言わせねえぞ! 粉飾決算、データ改竄、下請けいじめ! 俺が知ってること、全部マスコミにぶちまけてやる!」


 追い詰められた人間の逆ギレ。それは、無意味で愚かな抵抗だった。


 社長と弁護士は、一瞬顔を見合わせた後、冷たく言い放った。

「……面白い。やってみるがいい。だが、その前に君は、盗撮と横領の罪でブタ箱にぶち込まれることになるだろうがな」

「……っ!」

「まあいい。ひとまず、君には自宅謹慎を命じる。このビルからも即刻立ち去りたまえ。正式な解雇通知は、後日、内容証明で送付する」

 それは、事実上の死刑宣告だった。


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