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4-5 襲われる男 - マッチョ店員編 -

「ゼータ班に、GOサインを」

 私は、次の指令を下した。

「水戸の精神に、さらにダメージを与えます」


 クラブを飛び出した水戸は、一人でタクシーに乗り込んだ。

 GPSは、彼が自宅ではなく、行きつけのオーセンティックバーに向かっていることを示している。

 予想通りの行動だった。混乱した頭を、酒で冷やそうという魂胆だろう。


 しかし、そのバーのカウンターには、すでにゼータ班のエージェントが、客を装って座っていた。

 バーテンダーも我々の協力者だ。


 ずぶ濡れの野良犬のように店に駆け込んできた水戸は、カウンターの端に座り、強い酒を注文した。

 店内には、静かなピアノのBGMが流れている。

 水戸が、グラスを一気にあおった、その時だった。


 ゼータ班のエージェント二人が、計画通りに会話を始めた。

 わざと、水戸の耳に届く声量で。


「おい、聞いたか? 星霜エンタープライズとかいう会社の……」

「フロンティアだろ。そこの課長が、会社の金で女遊びしてるって話だろ? 間もなく社内調査と監査が入るって噂だぜ」

「マジかよ。そいつ、もう終わりだな。懲戒解雇どころか、刑事告訴されて逮捕コースじゃねえか」


 その言葉は、水戸にとって、死刑宣告に等しい響きだった。

 彼の顔が、絶望に染まっていく。

 手が震え、持っていたグラスがカウンターから滑り落ち、甲高い音を立てて砕け散った。


 バーにいた全員の視線が、一斉に彼に注がれる。

 水戸は、顔面蒼白のまま、よろよろと立ち上がると、店から逃げるように出ていった。


 私は、ゆっくりと立ち上がり、オペレーターたちに向かって言った。

「皆さん、お疲れ様でした。第一段階の仕掛けは、これで終了です」

 静まり返った司令室に、私の声だけが響いた。


 水戸の精神は、確実に壊れつつあった。

 だが、私の描いた脚本は、まだ終わっていない。奴を徹底的に追い込むのは、ここからだ。

 店を出た水戸が、数メートルも進まないうちに、背後から声をかけられた。

「お客様! お待ちください!」


 モニターの映像が、バーの入り口に設置されたカメラに切り替わる。追いかけてきたのは、先ほどのバーテンダーとは違う、筋肉質な体格をした若い店員だった。


「お会計、まだ済んでませんよね。それと、グラス代も弁償していただかないと」

「あぁ!? うるせえな! 細けえこと言ってんじゃねえよ!」

 すでに理性のタガが外れている水戸は、激しく逆上していた。彼は、自分を追い詰める全てのものを敵とみなし、ありったけの悪意を剥き出しにする。

「俺は気分が悪いんだ! 金なら後で払ってやるから、とっとと失せろ!」

「そういう訳にはいきません。今すぐお支払い頂けないなら、警察を呼びますが」


「警察だと?」

 その言葉が、水戸に残された最後の理性を焼き切った。

「上等じゃねえか! テメエらみてえな雑魚が、俺を誰だと思ってやがる!」


 水戸は叫びながら、若い店員の胸ぐらを掴み、その拳を振り上げた。

 ウォー・ルームで、広尾が冷静に報告する。

「ターゲット、一般市民への暴行を確認。予測通りの行動です」


「見事な自滅だね」

 エリオットが、まるでチェスの盤面を眺めるように静かに言った。

 そう、この店員は我々のエージェントではない。ただの一般人だ。

 だが、水戸茂という人間の性格を分析すれば、こうなることは分かりきっていた。追い詰められた彼は、必ず最も愚かで短絡的な「暴力」という手段に訴えるだろうと。


 ドンッ、という小さく鈍い音が、カメラのマイク越しに届いた。

 水戸が拳で、店員の顔面を殴りつけた。


 しかし、立場は逆転する。

 殴られた店員は、一瞬よろめいたものの、すぐに体勢を立て直す。その目には、怒りの炎が燃え上がっていた。

「……てめえ、やりやがったな」

 その低い声と共に、店の奥から、さらに二人の屈強な店員が現れた。彼らは一部始終を見ていたのだ。


「別のカメラで追ってみよう」

 エリオットが言い、オペレーターの一人が手元のコンソールを操作する。モニターの映像が、少し離れた場所に設置された街頭の監視カメラからの映像に切り替わった。音声は無い。ただ、路地裏に引きずり込まれた水戸が、複数の男たちに袋叩きにされる光景だけが、無慈悲に映し出されていた。


 数分後、解放された水戸は、捨てられたゴミのように地面に転がっていた。

 ジャケットは破れ、顔は腫れ上がり、口の端からは血が流れている。店員の一人が、彼の財布から数枚の一万円札を抜き取り、残りを地面に叩きつけた。


 私は、モニターに映る無様な男の姿から、目を逸らさなかった。

 これが、他人を踏みつけ、手柄を横取りし、犯罪に手を染め、人の尊厳を弄んできた人間に、ふさわしい罰。

 胸がすくような思いと、同時に人の破滅を目の当たりにしているという、未曾有の感覚が背筋を駆け上る。


「気分は、どうだい?」

 エリオットが尋ねた。彼の声には、私を気遣う響きがあった。

「……とても、いい気分です」

 私は、涼しい顔のままで答えた。自分に嘘はつかない。

「でも、彼が失くしたものも、彼の痛みも、私が今まで受けてきた屈辱に比べれば、まだ足りないくらいです」


 私の答えに、エリオットは何も言わず、ただ静かに頷いた。


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