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4-2 ゴミカス監視録

 その頃、作戦の標的であるとは露知らず、水戸茂は、いつもの日常を送っていた。


 時刻は、もうすぐ午前十時。

 株式会社「星霜フロンティア」の広報課。オフィスには、キーボードを叩く音と、コピー機が紙を吐き出す無機質な音だけが響いている。


「あー、だりぃ……」

 水戸は、誰に聞こえるでもなく悪態をつき、大きく伸びをした。安物のオフィスチェアが、彼の体重に軋んだ悲鳴を上げる。


 昨夜は、会社の経費で部署の若手を数人引き連れて飲みに行き、その後、一人で銀座のレイラの元へ向かった。同伴で高級寿司屋へ行き、店が終わった後に彼女のマンションで朝方まで過ごした。

 当然、睡眠時間はろくに取れていない。二日酔いの頭痛が、水戸のこめかみをズキズキと締め付けていた。


 パソコンのモニターに映るのは、部下が作成したプレスリリースの原稿だ。「チッ、使えねぇな。どいつもこいつも」


 水戸は内線電話のボタンを乱暴に押した。

「おい、猿島(さしま)! ちょっと来い!」


 数秒後、猿島と呼ばれた入社三年目の若い男性社員が、ビクビクしながら水戸のデスクにやってきた。その顔は、恐怖で少し引きつっている。

「み、水戸課長! お呼びでしょうか!」


「お呼びでしょうか、じゃねえよ。これ、なんだよ」

 水戸はモニターを顎でしゃくった。

「このプレスリリースだよ。てめえ、これ読んで、ウチの会社の製品が魅力的に見えると思ってんのか? あぁ?」

「も、申し訳ありません!」

「小学生の作文じゃねえんだぞ! 何度言ったら分かるんだ! 俺がお前に払ってる給料分の仕事もできねえのか!」


 給料を払っているのは会社であって、水戸ではない。そんな当たり前の正論など、この空間では通用しない。水戸の、ねちっこく、人格を否定するような叱責が、オフィスに響き渡る。


 他の社員たちは、キーボードを打つ手を止めない。だが、彼らの耳は、水戸の会話に集中していた。皆、見て見ぬふりをしている。嵐が自分に来ないことを祈りながら。


 かつて、この猿島のポジションにいたのが、私だった。

 この光景は、ウォー・ルームのモニターに、鮮明に映し出されていた。

 昨夜のうちに、密かに設置した超小型カメラが、水戸の執務室での様子をリアルタイムで捉えているのだ。音声もクリアに拾っている。


 ……クズが。

 心の中で、吐き捨てるような言葉が漏れた。

 隣のエリオットも、モニターに映る水戸の態度を冷たい目で見つめている。

「典型的なパワハラだな。自分の無能さを、部下を攻撃することでしか糊塗できない、哀れな男だ」


 一時間近く続いたパワハラ劇場が終わると、水戸は満足したのか、大きく息を吐いて椅子にふんぞり返った。そして、おもむろにスマートフォンのメッセージアプリを開く。


 モニターの映像が、彼のスマホ画面のライブ映像に切り替わる。

 送信相手は『レイラ』。


『昨日はありがと❤️ 今日もお店終わったら来てくれる?』

『当たり前だろ。お前のために今日も仕事頑張るよ』

『嬉しい! 愛してるシゲルさん❤️』

『俺もだよレイラ』


 スタンプを多用した甘ったるいやり取り。

 そのメッセージを送っている水戸の顔は、先ほどまで部下を罵倒していた鬼のような形相とは打って変わって、だらしなく緩みきっている。


「……気持ち悪い」

 私の口から本音がこぼれた。

 彼がレイラに送っている金は、横領した会社の金だ。私や猿島のような社員が、必死で働いて生み出した利益の一部が、彼のポケットマネーとなり、夜の女へと消えていく。

 その事実が、私の心の奥底で燃える復讐の炎に、さらに油を注いだ。


「ミサキ。辛いなら、見なくてもいいんだぞ」

 エリオットが、私の心情を察して、気遣うような声をかけてくれた。

「いえ、見ます。敵をよく知ることが、勝利への最短ルートですから。それに……腹が立つほど、モチベーションが上がります」


 私は、モニターの中で、何も知らずに鼻の下を伸ばしている水戸の顔を、汚物を見るように冷たく見据えた。

 笑っていられるのも、今のうちだ。


 昼休みになると、水戸は部長に「取引先と会食です」と嘘をつき、意気揚々とオフィスを出て行った。

 彼の車に仕掛けられたGPSが、彼の足取りを正確に捉えている。向かった先は、都心にある高級ホテルのレストラン。そこには、すでにレイラが待っていた。


 盗聴器が、彼らの会話を拾い始める。


「シゲルさん、お疲れ様ー」

「よぉ、レイラ。今日も綺麗だな」

「やだ、お世辞ばっかり」

「本当のことさ。なあ、今度ハワイにでも行かないか? もちろん、ファーストクラスで、スイートルームも予約して」

「ほんと!? やったー! シゲルさん大好き!」


 会社の経費で豪遊する計画を立て、二人は笑い声を上げた。

 その金の出どころが、不正なものであることなど、微塵も気にしていない様子だった。


 私は、ギリッと奥歯を噛みしめた。

 怒りで腹の底が煮え繰り返るようだ。

 こんな奴らが、贅沢な暮らしを謳歌している。一方で、私は、元カレに搾取され、心を殺され、必死で毎日を生き延びてきたというのに。

 この世に神様がいるのなら、それは許しがたい怠慢だ。


 だから、私がやる。

 私が神に代わって、このゴミカスに裁きを下す。


「エリオットさん」

 私は、隣に立つ彼を見上げた。

「チーム『オリオン』に伝えてください。作戦開始時刻を、今夜八時に設定します。手加減は不要。あの男の精神を、削り取るようにと」


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