4-1 銀座に潜むオリオン
小一時間ほど、収集された水戸茂に関する情報を、テーブルスクリーンで確認していると、広尾に声をかけられた。
「報告します」
広尾が、スクリーンの表示を切り替えた。
「ご覧の通り、指示に基づき、ターゲット・水戸茂の周辺に展開する諜報員の召集及びチーム編成が完了しました。チーム名は『オリオン』。全員が、元DIA所属で日本人のエージェントです」
「オリオン……」
「冬の夜空で最も目立つ星座の名です。獲物を狩る狩人の名でもあります」
広尾の淡々とした説明に、私は背筋が伸びる思いがした。
「最初の作戦目標は、『噂の拡散による心理的動揺』。その主戦場は、水戸が足繁く通う銀座の高級クラブ『Club SSR』及び、その周辺の飲食店となります」
スクリーンが切り替わり、きらびやかなシャンデリアが輝くクラブの内装写真とフロアの見取り図、そしてそこに所属するホステス全員の顔写真付きリストが表示された。
水戸の愛人である、『レイラ』という源氏名の女性の写真が、赤枠で囲まれている。
「ミサキ司令官。ここからは、あなたの指示が必要です」
エリオットが、私に視線を向けた。
「我々は武器と兵士を揃えた。だが、それをどう使い、どうやって敵の精神を抉るかは、君が決めるんだ。君のスキル――人の心理を読み、情報の流れをデザインする能力が、この作戦の成否を握っている」
彼の言葉に、ウォー・ルームにいる全員の視線が、私に集中した。
試されている。
私が、この場所に立つにふさわしい司令官かどうかを。
私は、ごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めて口を開いた。
「……分かりました。では、作戦計画を詰めます」
スクリーンに表示された膨大な情報を、私は食い入るように見つめた。
広報の仕事で叩き込まれた知識が、頭の中で再構築されていく。どうすれば情報は最も効果的に拡散するか。どうすれば人の心に疑念という名の毒を植え付けられるか。
「まず、噂を流す主体ですが、一人ではいけません。最低でも三つの異なるソースから、同じ内容だが少しだけニュアンスの違う情報を、同時に、あるいはごく短い時間差で流します。人間は、無関係な複数の場所から同じ情報を耳にすると、それを『事実』だと錯覚しやすくなるからです」
私の言葉に、エリオットが興味深そうに頷いた。オペレーターの一人が、猛烈な勢いで私の言葉をタイピングしていく。
「チーム『オリオン』を三つの班に分けます。シグマ班、イータ班、ゼータ班です」
私は、テーブルスクリーンを指でなぞりながら、具体的な指示を出していく。
「シグマ班の任務は、クラブの『客』になりすますこと。ターゲットは、店の常連客の中でも特に口が軽く、噂話が好きな人物。リストアップは可能ですか?」
「可能だ」
エリオットが即答し、オペレーターに目配せする。数秒後、数人の男性客の顔写真とプロフィールがリストアップされた。中小企業の経営者、医者、弁護士。いずれも羽振りが良く、自己顕示欲が強そうなタイプだ。
「彼らに近づき、酒の席の与太話として、最初の噂を吹き込みます。『星霜フロンティアの水戸って男、知ってるかい? 最近、会社の金を使い込んでるって、もっぱらの噂だぜ。銀座の女に貢ぐためにね』。あくまで、どこかで聞きかじったゴシップ、という体でお願いします」
「了解です。イータ班は?」
広尾が冷静に問う。
「イータ班は、クラブの『ボーイ』、あるいは系列店のスタッフとして潜入します。ターゲットは、ホステスたち。特に、水戸の愛人であるレイラとライバル関係にあるホステスや、彼女を快く思っていないスタッフに、断片的な情報を流します。『最近のレイラさん、羽振りいいっスよね。水戸さん以外にも誰かいるんスかね?』という風に。嫉妬や好奇心を煽るのが目的です。彼女たちが、勝手に噂を増幅させてくれるでしょう」
「なるほど。見事な手際だ」
エリオットが感嘆の声を漏らした。
「噂の発生源を複数に偽装し、さらにターゲット周辺の人間関係の歪みを利用して、内部から自然発生したかのように見せかける。情報戦のセオリーにも則っている」
「そして、最後のゼータ班」
私は、水戸茂の顔写真を睨みつけた。
「彼らの任務が最も重要です。彼らは、水戸本人が利用するバーやレストランの『店員』になりすます。そして、シグマ班とイータ班が作った『空気』を、決定的な形で水戸の耳に入れるんです」
「どうやって?」
「水戸が一人で酒を飲んでいる時や、同僚と飲んでいる時に、他の客の会話を装って、わざと聞こえるように囁くんです。『おい、聞いたか? 星霜エンタープライズとかいう会社の……』『フロンティアだよ。そこの水戸って課長が、横領した金で女遊びしてるって噂だろ?』と。会社名をわざと間違えるのがポイントです。より噂の信憑性が増します」
私の脳内には、水戸がその言葉を耳にした瞬間の表情が、ありありと浮かんでいた。
最初は聞き間違いかと思うだろう。
だが、断片的な情報が、次々と彼の耳に入ってくる。
クラブでホステスたちの態度がよそよそしい。常連客が自分を見て何かヒソヒソと話している。そして、行きつけのバーで、決定的な言葉を聞いてしまう。
「点と点が線で結ばれた時、彼の心は、恐怖と疑心暗鬼で満たされるはずです。『誰が? なぜ? どこから情報が漏れた?』と考え、冷静さを失った彼は、必ずボロを出します。……以上が、第一段階の作戦概要です」
私が言い終えると、ウォー・ルームは一瞬、静まり返った。
やがて、エリオットがゆっくりと拍手を始めた。オペレーターたちも感心した表情で岬を見ている。
「素晴らしい。君は、まるで生まれながらの司令官のようだ」
エリオットは、心の底から感心したように言った。
「君のプランには、一点の曇りもない。冷徹で、合理的で、そして何より……美しい」
そのストレートな賞賛の言葉に、私の頬が、また少しだけ熱くなった。
「直ちに作戦を開始する!」
エリオットが高らかに宣言した。
「伝達しろ。チーム『オリオン』の各班に、配置につくようにと! 狩りのための網を張るぞ!」
「Yes,sir!!」「Yes,ma'am!!」
オペレーターたちの力強い返事が、司令室に響き渡った。
巨大モニターに、銀座の街のリアルタイムの3Dマップが表示され、いくつものアイコンが動き始める。
ついに、復讐の歯車が回り始めた。




