2-6 抹殺準備は念入りに
広尾の報告後、すぐに壁に据え付けられた巨大モニターに電源が入り、エリオット・ハルフォードの姿が映し出された。
彼は、仕立ての良いネイビーのスーツに着替えていた。その凛々しい姿は、若き実業家というより、軍隊の司令官のように見えた。
彼の背後には、先ほどまでの豪華な応接室とは打って変わって、軍の作戦司令室のような空間が広がっていた。
その左右には、いくつものモニターが壁に埋め込まれ、リアルタイムで更新される世界中のニュースや衛星画像などが映し出されている。
奥では、空港の管制塔にあるような、おびただしい機材と、数人のオペレーターたちの背中が見えた。
これは作戦司令室だ。空気が違う。静かだが、濃密な緊張感と知性が支配する空間。
おそらく、大使館内に秘密裏で設置されている部屋なのだろう。
「話は聞いたよ、ミサキ」
エリオットが、優しい微笑みを浮かべてる。
「素晴らしい判断力だ。君の冷静さには、本当に驚かされる」
「……ありがとうございます」
「いや。君が自分の意志で、最初の戦場を選ぶことが重要だったんだ。誰に言われるでもなくね」
エリオットが指を鳴らすと、正面のメインスクリーンに、水戸課長の顔写真と、彼が勤めるメーカー「星霜フロンティア株式会社」のロゴが大きく映し出された。
「君が水戸という男を選んだ瞬間から、作戦は始まっている。我々のチームはすでに動き出している」
「まず、第一段階は情報収集です」
広尾が、エリオットの言葉を引き継ぎ、レーザーポインターを手に説明を始める。
「我が国の諜報機関、DIA(国防情報局)の情報収集チームが、現在、水戸個人、及び星霜フロンティア社のサーバーにアクセスを開始。過去10年分の、全社員のメール、チャットログ、社内文書、経費の申請記録等を取得し、ダウンロード中です。完了まで、予測時間はあと10分」
スクリーンの一部に、凄まじい勢いで進むプログレスバーと、解読されていく文書の羅列が表示される。まるで映画だ。だが、これは現実。
「第二段階。物理的証拠の保全」
広尾は続ける。
「水戸の自宅、及び彼の愛人が住んでいるマンションの室内に、すでに清掃業者を装ったエージェントが潜入済みです。彼のパソコン、スマートフォン、タブレットの物理的なクローニング(完全複製)を実行中。同時に、彼のパワハラ・セクハラの証拠となりうる会話を録音・録画するため、彼の執務室、よく利用する飲食店の個室、彼の車の中に、超小型の盗聴器及び隠しカメラを設置します。設置完了まで、あと3時間の予定」
信じられない。私がターゲットを決めてから、まだ数分しか経っていない。それなのに、もうこれだけの作戦が同時並行で進んでいる。
これが、世界最強国家の力。
「そして、第三段階。経済的包囲網の形成」
今度は、エリオットが引き継いだ。彼の声には、ビジネスの戦場を勝ち抜いてきた者の、冷たい興奮が宿っていた。
「星霜フロンティア社は、東証ファザーズに上場している。発行済み株式数は約500万株。時価総額は30億円といったところか。取るに足らない規模だね」
彼は、まるで子供のおもちゃの値段を言うかのように、こともなげに言った。
「私の息がかかった複数の投資ファンドに指示を出し、市場で星霜フロンティア社の株を買い占めさせる手配を進めている。市場に混乱を与えないよう、目立たぬように。目標は、株主総会での拒否権発動が可能となる、発行済み株式の3分の1以上。おそらく、明日の市場が閉まるまでには、我々は星霜フロンティア社の事実上の筆頭株主になっているだろう」
私は、言葉を失ってスクリーンを見つめていた。
私個人の、ちっぽけな復讐だったはずだ。
それが今、国家の情報機関と、世界規模の金融資本を巻き込んだ、壮大な殲滅作戦へと変貌しようとしていた。




