16-4 僕は全てを手に入れていない
攻撃ヘリ『グルヴェイグ』の漆黒の編隊を従え、大統領専用ヘリコプター『マリーン・ゼロ』は朝焼けの空を突き進んでいた。
三十分も経たないうちに眼下に横須賀の海岸線が広がる。東の水平線から昇る朝日が海面を黄金色に薄く照らし、その光のヴェールが機体の群れをそっと包み込んでいた。
しかし、その絶景とは裏腹に『マリーン・ゼロ』の機内には張り詰めた緊張感が漂っている。
「間もなくドーン邸に到着する。今もドーンが邸内にいた場合、まずは平泉潤二郎と大洗千景を引き渡すように伝える」
エリオット・ハルフォードは、タブレット端末に表示された作戦地図を見つめながら、冷静な声で告げた。
対面の座席に座る滝乃川岬は、膝の上で拳を握りしめたまま、不安を振り払うように問いかけた。
「もし二人がいたとしても、ドーンは引き渡しは断るのではないでしょうか?」
「だろうね。これは単なる段取り、通過儀礼のようなものだよ」
エリオットは視線を地図から上げ、岬に向かって穏やかに微笑んだ。
「まずは紳士的に話し合いで解決を持ちかける。そして話し合いを断ったら、次は強硬手段で……DIAとアメリア軍にドーン邸を制圧させるという手順だ」
「それにしてもドーンは、なぜ平泉を匿うのでしょう?メリットは何なんでしょうか?」
岬にはドーンの動機が理解できなかった。平泉潤二郎を、経済界の重鎮であるカロル・ドーンがリスクを冒してまで守る価値があるとは思えないのだ。
「おそらく、反アメリアという信条で結びついているか、あるいはドーン自身の利益のためだろう。その利益とは、いくら金を積んでも手に入れられない、ドーンが渇望し欲しているものなのかも知れない。彼のように全てを手に入れてしまった人間は、逆に何かに飢えているものだ」
エリオットの言葉を聞いた岬の胸に小さな波紋が広がる。
全てを手に入れた人間。
富も名声も権力も。
ふと思い至る。それは目の前にいるエリオット・ハルフォードも同じなのではないか。
岬は躊躇いながらも、心の内に湧いた問いを口にした。
「エリオットさんは……全てを手に入れて、何かに飢えているということは無いんでしょうか?大統領の息子ですし、実業家としても成功していますし」
それは素朴な疑問であると同時に、彼という人間をより深く知りたいという岬の秘めたる思いでもあった。
エリオットは少し驚いたように瞬きをした後、すぐに表情を和らげた。彼は少しだけ声の音量を下げ、まるで秘密を打ち明けるように囁いた。
「いや。まだ僕は全てを手に入れてはいないよ」
そう言うと、エリオットは黙って岬の顔をじっと見つめた。
その瞳は青く深い色を湛えているのに、どこか熱を帯びているように見えた。
岬の心臓の鼓動が早まる。彼の視線が意味するものを探ろうとして思考がショートする。
(え?それって……どういう……?)
岬の頬が一気に熱を帯び、耳まで真っ赤に染まった。
しかし。
――待て。今は浮かれている場合じゃない。
広尾は死んだ。
そして、千景は海外の反アメリア勢力と繋がっている平泉に洗脳され、支配されている。
何より今は平泉を捕らえ、千景を救い出すことが最優先。
余計な感情は捨てろ。今はただ冷徹な追跡者となり、クズ男への復讐を成し遂げることだけ考えろ。
自分にそう言い聞かせて、岬は冷静さを取り戻す。
程なく、ヘリのパイロットが声を上げ報告する。
「見えました!ドーン邸です!」
パイロットが指さす先に、緩やかな丘陵地帯と異様な存在感を放つ建造物が現れた。
高い塀に囲まれた広大な敷地。その中央に在るのは、邸宅というよりも中世の城郭を思わせるような堅牢な建物だった。
「いよいよだ。まずは正面からご挨拶といこう」
エリオットはヘッドセットのマイクで、地上に展開しているDIAエージェント達に無線で呼びかけた。




