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15-1 プリズンブレイカー

 千景と広尾が部屋を出ていく背中を見送る。

 張り詰めていた糸が切れたかのように、岬の体にどっと疲れが押し寄せてきた。

 ソファに深く沈み込み、大きく息を吐き出す。


 窓の外は漆黒の闇に包まれている。ここはアメリア国の大使館内にあるセーフハウスだ。物理的な安全性は確保されている。

 なのに、部屋を出る直前の千景の表情と広尾の鋭い眼光が、脳裏に焼き付いて離れない。


(寝ている場合じゃない……)


 千景の様子はおかしかったし、広尾も警戒していた。何だか胸騒ぎがする。


 一方で、連日の緊張と疲労が岬の瞼を鉛のように重くしていた。

 静寂が支配する部屋の中で、時計の針を刻む音だけが規則正しく響く。その心地よいリズムに岬の意識は抗いがたい睡魔の底へと沈んでいった。


 意識が途切れてから、どれほどの時間が経過したのだろうか。

 テーブルの上に置いていたスマートフォンが、ブブブ、ブブブと無機質な振動音を立てた。

 深い泥のような眠りから、岬の意識が急激に浮上する。

 眠気を振り払うように瞼をこじ開けると、視界の端で液晶画面が明滅していた。

 着信画面に表示されている名前は『広尾さや』。


 岬は言いようのない違和感を覚えた。彼女が部屋を出てから、それほど時間は経っていないのに、なぜわざわざ電話をかけてくるのか。

 まだ眠気の残る頭が判断を数秒遅らせる。

 岬は震える手を伸ばし、画面の通話ボタンをタップした。


「……広尾さん?何かあったんですか?」


 問いかける声は、寝起きのために少しかすれていた。

 だが、受話口から返事は無い。


「広尾さん?もしもし?」


 岬は受話器を耳に押し当て直した。

 聞こえてくるのは沈黙だけだ。周囲の物音や息遣いすら聞こえてこない。


 広尾が誤操作で発信するとは考えにくい。あるいは緊急事態ならば、もっと切迫した声が聞こえてくるはずだ。


 背筋を冷たいものが駆け上がった。

 これは単なる無言電話ではない。

 異常事態が起きている。

 岬は弾かれたようにソファから立ち上がった。眠気は一瞬で吹き飛び、心臓の鼓動が激しさを増す。


 岬はスマートフォンを握りしめたまま、部屋を飛び出した。

 夜明け前の長い廊下には誰もいない。静まり返った建物内は、まるで墓場のように冷え冷えとしていた。


 千景は一人で考えたい、建物の外に出たいと言っていた。

 おそらく、この建物に隣接した庭園に向かったのではないか。


 その頃、大洗千景は夜風の吹き抜ける庭園から離脱するために移動していた。

 彼女の瞳には、かつて岬の親友だった頃の輝きは宿っていない。あるのは曇りガラスのような無機質な光だけ。


 千景は裏門近くにある守衛の詰め所へと近づいた。

 彼女は、大使館を囲う高い柵伝いに進むことで、あっさりと裏門を見つけていた。


 門も詰め所も、通常は一般人が近づける場所ではない。警備システムは厳重だ。しかし、今の千景には迷いも恐怖もなかった。


 なぜか詰め所に守衛はいなかった。施設全体の警ら中だったためか、他の理由があったためなのか。

 誰にも邪魔されることなく千景は、詰め所の外壁に設置されたパネルの前に立つ。

 パネルには複雑なボタンと英語で書かれた注意書きが並んでいた。


 千景は本来、機械操作が得意ではない。英語もほとんど話せない。

 だが、何者かに導かれるように彼女は指先を、とあるボタンに向かって伸ばした。


『Back Gate - Authorized Personnel Only』(裏門 - 許可された職員のみ)

 そう記された注意書きの真下にある赤いボタンを、躊躇なく押し込む。


 ガコンと重たい金属音が響き、門扉のロックが解除された。

 電子回路をハッキングしたわけではない。ただ、彼女に幾つもの幸運が味方して、正規の手順で容易く解錠してしまった。


 平時は職員用の通用口となっている裏門が、ゆっくりと開いていく。

 千景は小走りで敷地の外へと出た。

 大使館という外国の地から、無防備な日本の夜の闇へ。


 大使館外に出ると直ぐに、千景の左耳につけられた小さなピアスが微かな熱を帯びた。

 闇夜の暗がりの中、ピアスが蛍のようにほんのりと淡い光を放ち、返り血を浴びた首筋を照らす。

 初めて見るピアスの発光現象に、千景は足を止めてわずかに驚いた。

 しかし、その驚きも程なく甘美な喜びに塗り替えられていく。

 脳内に直接響く声があったからだ。


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