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14-7 洗脳という名の難敵

 平泉と遭遇した現場から、岬と千景を連れて離脱した広尾さやは、アメリア国の大使館に戻っていた。

 今は大使館の一室で、彼女は腕を組み今後について思案している。


 壁に掛けられた時計の針は、間もなく午前四時を指す。

 彼女がいる部屋には専用モニターがあり、隣室の様子が見れるようになっていた。


(洗脳を解くには、手順が必要)


 広尾は自衛隊時代に学んだ心理学とDIAで得た知識を反芻する。

 第一段階は「隔離」。

 洗脳された者の環境を物理的に変え、心の支配者からの情報の遮断を行うこと。

 その点では強引な方法だったが、平泉という毒から千景を引き離し、この大使館へ連れてくることは成功した。


 問題はここからだ。

 第二段階は「介入と覚醒」。

 対象者との信頼関係を維持しつつ、時間をかけて客観的な視点や思考を取り戻させる対話が必要になる。否定から入れば、対象者は殻に閉じこもるだけだ。


「やはり専門家を呼ぶべきか……」


 広尾は独りごちた。

 彼女は警護と射撃のプロだが、カウンセリングの専門家ではない。DIAの心理分析官を呼び寄せることも可能だが、千景が心を許す相手でなければ洗脳からの解放は、時間を要し困難を極めるだろう。


 何より、千景にとっての現実とは、今や平泉だけなのだ。その現実を否定することは、彼女の世界そのものを破壊することに等しい。


 広尾はモニター越しに隣室にいる二人の女性を見つめた。


 ◇


 白い壁に囲まれた簡素な部屋。

 置かれているのは、向かい合った二つのソファと低いテーブルだけ。

 岬と千景はソファに向かい合って座っていた。


 千景は膝を抱えるようにして座り、視線を床の一点に固定していた。その顔色は蝋人形のように白く、瞳からは光が失われている。時折、寒くもないのに小刻みに震えていた。


 対する岬は拳を膝の上で固く握りしめ、親友の姿を真っ直ぐに見つめていた。


「千景……」


 岬が震える声で名前を呼ぶと千景がビクリと肩を跳ねさせた。

 ゆっくりと顔を上げた千景の瞳には、かつて岬に向けられていた温かな親愛の色はなく、代わりに警戒と恐怖と敵意が混ざった色が浮かんでいた。


「……帰して」


 千景の口から漏れたのは、明らかな拒絶の言葉だった。


「潤くんが待ってるの。私がいないと彼は困るの。彼は夢を追いかけてる繊細な人だから、私が支えてあげなきゃいけないの」


 千景は耳に着けた小さなピアスを触りながら、何度も同じ言葉を繰り返す。

 それを聞くたびに岬の胸は言葉の刃で切り刻まれるような痛みを覚えた。


「千景、聞いて。平泉はあなたを利用しているだけなの。あなたを愛してなんていない」


「違う!」


 千景が叫んだ。その声の大きさは、岬をたじろがせるほどだった。

 千景は涙を溜めた目で岬を睨みつける。


「岬に何が分かるの!? 潤くんは私を必要としてくれてる! 私に『お前しかいない』って言ってくれたの!」


 岬は唇を噛み締め、涙を堪えた。

 ここで言い返してはいけない。否定してはいけない。彼女は被害者なのだから。


「ごめんね、千景」


 岬はソファから立ち上がり、ゆっくりと千景の前に膝をつく。

 続いて千景の氷のように冷たい手を、自らの温かい両手でそっと包み込んだ。


「でもね、これだけは信じて。私はあなたが大切なの。誰が何と言おうと、あなたは一番の親友」


 千景の手が強張る。

 岬はまっすぐに千景の瞳を見つめ返した。

 今はただ、本音をぶつけるしかなかった。


「私こそ、ごめん。……ちょっと頭を冷やしてくる」


 千景が立ち上がる。

 その二人の様子をモニターで見ていた広尾も、ほぼ手ぶらに近い軽装で隣の部屋を出る。


 今の千景には、常に誰かが傍についている必要がある。勝手に大使館外に出られても困る。

 それゆえ、広尾は自分が監視役として彼女の付き添いをしなければならないと考えた。


 結果論だが、厳しい言い方をすれば彼女には油断があった。

 そして、悲劇は突然に訪れる。


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