14-5 足は弱いが逃げ足は速い
エリオットは平泉の拳の嵐を凌ぎながら、冷静に相手を観察し続けていた。
呼吸、視線、筋肉の動き、そして重心の位置。
幼少の頃から、あらゆる種類の人間を誰よりも多く見て培ってきた観察眼が、眼前のチート男の違和感を捉えようとしていた。
平泉の体躯は、どちらかと言えば俊敏さを感じさせるスリムな体系だ。しかし、注意深く観察すれば不均衡が見て取れる。
シャツの上からでも分かるほど異常に発達した上半身の筋肉に対し、下半身の線が妙に細いのだ。
先程からの猛烈な連打の最中も、平泉はあまり足を使っていない。ボクシングのスタイルを取るならば、もっとフットワークを使って撹乱してもいいはずだ。
あえて足を使わないのは、平泉が上半身のフィジカルで圧倒できるという自信ゆえなのか、それとも……。
探りを入れるため、エリオットは防御の隙間を縫うように平泉の右足の脛を狙って鋭いローキックを放った。
「おっと!」
平泉は慌ててバックステップを踏み、大きく距離を取ってローキックを躱した。その動きには、上半身で見せたような超人的な反応速度ではなかった。
エリオットは確信した。
上半身の圧倒的なスピードとパワーに比べれば、足の動きは抜きん出て速くはない。
おそらく、脚は強化されていない。
ふと、エリオットの脳裏に、かつて親交のあったハリウッドのコメディ俳優の顔が浮かんだ。
その俳優も映画の役作りで筋力トレーニングに熱中するあまり、上半身ばかりを鍛えるようになっていた。当人は鏡に映る上半身にご満悦だったが、ふくらはぎは小枝のように細く、全体のバランスは滑稽なほど悪かった。
思えば平泉の体も、それと似ていた。科学の力で歪に強化されたバランスを欠いた肉体。
弱点を見抜いたエリオットの動きが変わる。
平泉の剛腕を躱すために低い姿勢を保ち、徹底的にローキックを放ち続けたのだ。
「うぜえょ!」
平泉はフットワークを活かし距離を取り続けようとするが、執拗な下段への攻撃に少しずつ敏捷性を削がれていく。次第に息が乱れ、足運びが重くなってきた。
「どうした?足は強化してないのか?それとも強化してこの程度なのか?」
エリオットは何度もローキックを太腿に叩き込みながら、涼しい顔で煽る。
「しつこく足ばっか狙いやがって。俺より性格が悪いなお前は」
平泉は顔を歪めながらも、憎まれ口を叩き返す。
「それはどうも」
エリオットの猛攻により、ついに平泉の足が止まった。
ここが勝機だ。
エリオットが勝負を決めるべく、一気に足を踏み込んだ。
――ブブブッ。
この時、平泉のポケットの中にあるスマートフォンが震えた。
平泉の動きが止まる。彼は戦いの最中であるにもかかわらず、懐から端末を取り出し、画面を確認して舌打ちをした。
「……悪いな。緊急で『上司』に呼び出されちまった。今夜はここまでだ」
平泉は、その場で片膝をつき足元のマンホールの蓋に手をかけた。
逃がすわけにはいかない。
「待て!」
エリオットが叫ぶと同時に、周囲で待機していたDIAのエージェントたちが、一斉に平泉を拘束しようと走り寄ってくる。
だが、平泉は不敵な笑みを浮かべると、手にした黒い球体を地面に叩きつけた。
ボンッ!
破裂音と共に猛烈な煙が巻き起こった。皆は視界を一瞬で奪われてしまい、腐った卵のような強烈な異臭が鼻をついた。
「くっ……!」
エリオットは口元を覆いながらも、記憶した位置を頼りにマンホールへと突進した。
煙を切り裂いてマンホールの上まで辿り着いたが、既にそこには誰もいなかった。
重い鉄の蓋が少しだけズレており、その下の暗闇からは下水の臭気が漂ってきていた。
平泉はマンホールから地下水道へと逃走したのだ。
「追え!絶対に逃がすな!」
エリオットの怒号が、煙の充満する路地裏に響き渡った。




