演じる理由があるとしたら
会って、よかったのかどうか。
あの人と再会した意味は、いまだによくわからない。
あの頃のままのヒーローではなかった。
強くもなかったし、立派でもなかった。
でも、それが現実だった。
だからといって、あのときの思い出が全部嘘だったかと言えば、そうでもない。
僕は、たしかにあの人に救われていた。
それは変わらない。
あの人がどういう気持ちだったかなんて関係なく、
あのときの僕は、あの人の言葉や背中に、本気で憧れていた。
「誰かのために」って言っていたあの人の言葉は、
大人になった今思えば、自分を守るためのものだったのかもしれない。
それでも、子どもだった僕には、それが立派に見えたんだ。
優しくて、まっすぐで、かっこよくて──それだけで、よかったんだ。
今、僕はあのときのあの人より、少しだけ年上になった。
これから先、僕にも、誰かにとっての「おじさん」になる瞬間がくるかもしれない。
たいした人間じゃない。
取り繕ったところで、過去の自分なんて褒められたもんじゃない。
でも、それでもいい。
“あのときの僕”みたいな子どもが、ふと僕を見たときに──
その目に映る自分が、ちゃんと「ましな大人」に見えるように。
その一瞬のためだけにでも、胸を張って立っていたい。
救われる側だった自分が、
いつか、救う側の役を演じることになるのかもしれない。
演技でもいい。虚勢でもいい。
それでも、あの人があのとき見せてくれた背中は、
今の僕に、ずっと残っている。
そう思えただけでも、たぶん、
会ってよかったのかもしれない。
コートの襟を立てて、僕は、少しだけ背筋を伸ばした。