記憶と現実のあいだで
子どもの頃、憧れていた人はいましたか?
大人になるにつれて、その人の本当の姿が見えてきて──
理想と現実のギャップに、苦しんだことはありませんか。
法事で帰ってきた実家は、相変わらず息が詰まる場所だった。
久しぶりに顔を合わせた親戚たちは皆、「最近どうなの」「ちゃんと働いてるのか」と、僕のことを心配するような顔で値踏みしてくる。
別に、何かやらかしたわけじゃない。
ただ、出世してないだけだ。人並みに働いて、税金を納めて、愛想笑いもできる。けど、“すごい何か”を成し遂げたわけでもないから、彼らの中では僕は“下”だ。
外の空気が吸いたくなって、歩いた。
気づけば昔よく行った公園に足が向いていたのは──たぶん、心が勝手に逃げたんだろう。
そのベンチに、彼がいた。
くたびれたチェックのシャツに、スーパーの袋。
紙パックのコーヒーを持った手は、少し震えていた。
髪は白くなっていたけれど、あの目の細さ、ゆっくりとした動き、何より空を見上げる背中に、見覚えがあった。
──あの人だ。
忘れるわけがない。
僕が小学四年生のとき、学校にも家にも居場所がなくて、逃げるように入り浸っていた児童館。
その片隅の図工室に、毎週木曜に現れる“変わったおじさん”がいた。
怒らない。押しつけてこない。
「学校、行きたくないんだよね」と言っても、頷いて「そっか」とだけ返してくれた。
工作がうまくて、よく奇妙な折り紙の仕掛けを作ってくれた。
「これ見たことある? 鳥に見えるけど、開くと蛇が出てくるんだよ」って、ヘンな笑い方をしながら見せてくれた。
僕はその人が、世界で一番すごい大人だと思っていた。
先生みたいに偉そうじゃないし、親みたいに怒らない。
子どもの目線で、でも誰よりも賢くて、自由だった。
──あんなふうになりたい。
あの人みたいに、誰にも支配されず、誰にも媚びず、自分のままで笑っていられる大人に。
あれから二十年。
僕は社会の中で誰かの顔色を見ながら、折り合いをつけて生きてきた。
でも、彼は変わっていなかった。
変わっていないように“見えた”。
「……おや。君、あのときの子かな?」
そう言った声は、あの日のままだった。
でも、今の僕には、その優しさが、少しだけ重く感じられた。




