遭遇
刺繍は楽しい。
心躍る図案を思うままに構想し、思うままに縫い付ける。
気に入らなければ解き、また針を刺す。
何か嫌なことがあった後でも、無心で縫っていればいつの間にか胸につかえていたものがすっと下りているものだ。
「ほれ、注文が入ったよ」
カヤの背中に向かって、不機嫌そうに婆さんが言う。
周りの姉さんたちが一瞬振り向く向くが、自分宛じゃないのがわかるとすぐ作業に戻る。
婆さん…と言いかけた口をそっと閉じ、姉さんと言い換える。
そうしないとこの婆さん、酷く怒るのだ。
せっかくいい気分になってきたところなのに、気を付けないとまたネチネチ言われてしまう。
あまり目はやらないで、口だけで尋ねる。
「なに?私もう手一杯なんだけど…」
「あんたにしかできないだろ、こんな柄」
婆さんがカヤの背に紙をばんっと叩きつけて戻っていった。
あの婆さんは基本的にいつでも誰にでもこんな感じだから、気にすることはない。
むしろ母親を早くに亡くしてから行く当てがなかったカヤを引き取ってくれた上に、天職を紹介してくれた人たちだ。
(私は感謝している。たとえ婆さんのほうは私をよく思っていないのだとしてもね)
まあここの人たちにとっても、安くこき使える労働力は少しでもあるに越したことはないんだろうが…。
ここは田舎の布屋。
基本的には中央に納めるための布をせっせと織っているが、地方官に注文されたら服も仕立てるし、お代さえもらえれば庶民の注文も受けている。
いつの代だったか、染色技術が当時の地方官にいたく気に入られたとかで、以来ひいきにしてもらっているとか。(かといって税をまけてくれるわけではないが)
普通の家は日出から日没まで農作業に追われていて、下人ともなれば生活できるかできないかという給料で生きているのであるから、女たちの商売がうまくいっていて余分な収入のあるうちはたいそう恵まれているということになる。
ここに拾ってもらえたことに心から感謝しているというのは、大げさではな言い方ではないのである。
(それはそうと…紙?)
紙とともに背を叩かれたことをはたと思い出す。
どれどれ…と拾い上げて見てみるとそれは、刺繍の図案であった。
「…これは」
洗練された図案もそうだが、注目すべきは色とりどりの絵具で描かれているところだ。
紙といい絵具といい、こんなに高価なものを寄越してくるなんて、これを持ってきた者の主人はよほど高貴なお方なのだろうか。
端に書かれている小さな文字を読んでいると、姦しい姉さんたちが横からずいっと顔を近づけてくる。
「紙なんて珍しいわね」
「あら、綺麗な柄。でも縫うの大変そう」
「こんな布、何に使うの?」
「高価な色ばかりじゃない?うちにこんな色ないでしょ?」
確かに、いくら繁盛しているとはいえうちは田舎の布屋。
依頼されてもいない刺繍を勝手に入れるわけにはいかないので、カヤが自由に刺繍を入れた布は中央に献上したことがなかった。
最初はカヤが趣味で縫った派手な柄の布が誤って地方官に納める布に交じってしまったことがきっかけで、もっぱらそれを気に入った地方官やこの土地の有力者が自分の力を見せびらかすために、自分の娘に派手な柄の布で服を仕立てていたわけである。
というわけで、こんな田舎の店に地方官以上の高貴な方から注文が入るわけもなく、それゆえそんな高貴な色の染料がうちにあるはずもないのだが…。
答えは紙の端に書いてあった。
基本的に字は高貴な方々が使うものであり、京の者ならまだしも田舎の庶民が読めるものではなかった。
そのため姉さんたちには端の小さな文字は落書きにしか見えなかったのだろうが、カヤは過去に地方官の下で書を眺めていたことがあって、何となくだが漢字を拾い読むことができた。
しかし、誰も読める人がいなかったらどうするつもりだったんだろう。
(染料は…手紙の主人があとで届けてくれるみたいだ。染料の余りはやるから、それで糸を染めるように、といったところだろう)
どこから聞きつけたのか知らないが、とにかく高貴なお方がうちに注文をしてきたということだ。
「でも残念よね~。せっかくカヤが縫っても、全部婆さんの手柄になるんだもの」
「あたしたちだって染めたり織ったりしてるのにね~」
姉さんたちはつまらなそうにしながら作業に戻っていった。
仕方のないことだ。
姉さんたち、といっても皆が皆血のつながった姉妹というわけではない。
私のように拾われてきた者もいれば、姪だのいとこだのはとこだの、血のつながりの薄い親戚同士だったりもするのである。
そんな中で誰かひとり才能輝く娘が出てきたら、どうなるかはわかり切っている。
きっと、姉さんたちとは仲良しではいられなかったろう。
婆さんという共通の敵(?)がいるからこそ、私たちはまとまっているということだ。
婆さんは手紙を届けに来た者に口頭で聞いていたようで(それもそうか)、後日届いた染料で糸が色とりどりに染められたあと、残りはうちのもんだと言ってニヤニヤしていた。
中央に納めるための黒い布も一緒にいくらか出来上がっているので、その一つを拝借する。
最初は女性の注文かと思ったのだが、布地の指定は黒。
女性が黒い着物を着るというのはあまり聞かないので、男性の服だろうか?
(それとも、服にはしないで使うのか…。いや、私はただの布屋の娘。詮索してもしょうがない)
頭をぶんぶん振って余計な考えを押し出すと、カヤは刺繍に没頭し始めた。
気が付くと数日たっていた。
完成したので婆さんに布を預け、ほぼ飲まず食わずで刺繍を続ける没頭ぶりに感心したのか知らないが(そんなわけはない。ただ倒れられても迷惑だと思っただけだろう)、今日はもう終わりでいいというので、散歩でもしようと外に出てきたところだった。
役人が中央からの触書を読み上げているのが耳に入った。
「龍人の末裔はすべて捕らえよとの命令である!心当たりの者は自ら出頭するように!逃げる者がいたらすぐに捕らえるように!繰り返す!…」
カヤはたまらず駆け出した。
動悸が止まらない。
頭が真っ白になる。
いくらか追いかけてくるものがいるのが分かったが、気にも留めず走り続けた。
とにかく追っ手を振り切りたくて、森の中を駆け続ける。
幼いころの記憶が蘇り、涙が溢れてくる。
幼いころ…まだカヤの母が生きていたころ。
カヤはとある理由でいじめられていた。
カヤの父は当時ここに赴任してきていた地方官で、この地で一番美しかった女であるカヤの母は他の女性たちとともに夜の相手として献上されたのである。
よくある話だ。
そしてカヤを身ごもった母だったが、父はカヤが生まれて数年後には任期を終え、(一応かわいがってはもらったが)最終的には二人を捨てて京に帰ってしまった。
生まれた娘は特異な性質を持っていた。
龍の鱗だ。
昔々、この国を建てたという龍人様の末裔が持つという特徴である。
昔この末裔はみな龍の鱗を特に手足に持っていたというが、その後長い年月をかけてこの国で一般的になった「漆黒の髪に漆黒の目」という特徴とは裏腹に、「龍の鱗」を持つものは少なくなっていた。
父も母も持っていなかったのに(…いや、目立たぬところに持っていたが隠していただけということもあり得るが)カヤは鱗を持って生まれてきた。
目立つところだと左手の甲に2枚、右手の甲に1枚。足にもちらほらあった。
地方官が京に戻ったあとしばらくして、理由はわからないが龍が京で暴れ始めるという事件が起きた。
そのせいで良く思われなくなった龍人様の末裔たちがどういう扱いを受けるかは、お察しの通りだ。
そして母は、父が京に戻って数年もしないうちに、若くして死んでしまう。
(私たちが、何をしたっていうんだ…!)
もうどれだけ走ってきたかもわからない。
日はすでに落ち、いつの間にか森も抜けて、岩肌がむき出しになっている侘しい場所にたどり着いていた。
龍人様は六尺三寸もある大柄な人だったといわれているが、カヤも年齢の、そして性別の割にはかなり大きく、大人の男の追っ手を撒くことも造作なかった。
熱心な役人がしばらく追いかけてきていたが、地面があちこち隆起していて迷宮のようになっているこの場所では、もう探しようもないことだろう。
つまりカヤも、もう戻ることはできないわけだが…。
流石に疲れてきたので、腰を下ろしてからごろんと横になる。
「はあ…疲れた」
美しい星空を眺めながら、ぼんやりと考える。
今までの人生は何だったのだろう。
もう戻ることはないだろうな。
なぜこんなにも必死に逃げてきてしまったのだろう。
この後はどうしようかな。
流石に一人で野宿というのは、長く生きる自信がないな。
…そもそも、生き抜いたところで何になるのか?
もう長くは生きられないだろうと感じたカヤは、では死ぬ前にできるだけこの世を楽しんでおこう、と思い立つ。
(この美しい星空を胸に刻んで死ぬのも悪くはないけど…)
体を起こし、ちらりと目をおろすと、そこには大きな穴が広がっていた。
穴の底に何があるのかは暗くて見えないが、底までにいくらか足場がありそうだった。
なんとなく興味がわいたので、カヤは下りてみることにした。
もうすぐ日が昇りそうだ。だいぶ明るくなってきた。
手足が傷だらけになりながらも、やっと穴の底と思われる場所にたどり着いた。
そしてそこには…
巨大な龍が眠っていた。
物語に矛盾がないかを考えつつ、長い物語を編み上げるのはとても難しいことですね。
長編の小説や漫画を書かれている先生方には、尊敬しかありません…。
平安時代。
当時、文字は高貴な方々と、彼らに仕える人々や商売で字が必要な人たちがちょろっと…というくらいで、ほとんどの庶民は字が読み書きできなかったそうです。
そのため、必然的に文書には貴族の暮らしが残されることとなり、平安時代の庶民がどのように過ごしていたのかという記録は、貴族のそれに比べると多くは残っていないようです。
当時の戸籍から、庶民の女性名に「〇〇め」というのがあったらしいというのはわかっていますが、現代ではなじみがなく物語としても女性全員「〇〇め」にするわけにもいかない…。
というわけで、本作の主人公の名前は「カヤ」となりましたが、おそらく当時にはなかった名前ですね。
他にも、生活様式や話し方などは、本作に都合がいいように創作されています。
(勉強不足で勝手に改変しちゃった箇所もあるはずです)
むず痒いお気持ちになられた皆様には申し訳ありませんが、しばしお付き合いいただけると幸いです。
カヤは、年齢はだいたい12歳くらい、身長は160cmくらいだと思っています。
母が美しかったので比較的顔がよく、また歳の割に頭もよく幼少期の数年間で字を多少読めるようになった…という生い立ちです。
体格の大きさが影響してか、少々男性のような話し方などが垣間見えます。
もしかしたらこのあとがきは、のちのち書き換えられることになるかもしれませんが…(汗)