9
けれど、これで大丈夫だと思っていた姉の未来に、暗い影が差し込む。
姉は結婚式の準備に領地運営の勉強と、忙しい日々を過ごしていた。
リアナはそんな姉に頼み込んで、ほとんど仕上がったウエディングドレスの試着をしてもらっていた。
「あら?」
シンプルなドレスに施された豪奢な刺繍に感激していた姉だったが、リアナはドレスが少し大きいことに気が付いて、首を傾げた。
姉が婚約したばかりの頃に試着してもらったときは、ぴったりだったはずだ。
「姉様、少し痩せた?」
「……そうかもしれない。忙しかったから」
そう答える姉の顔色も、あまり良くない。
たしかに最近の姉は、いつも忙しそうだ。
「無理をしては駄目よ。姉様の健康が一番だからね」
「そうね。わかっているわ」
心配してそう言ったが、姉は大丈夫だと笑っていた。
だが、それから姉はどんどん痩せていき、体調を崩して寝込むことも増えた。
「お医者様に……」
「駄目よ。お金が掛かってしまうわ」
青褪めた顔をしながらも、姉は首を横に降る。
姉とナージェが婚約したとき、両親の残した借金は、まだ少し残っていた。
爵位継承と領地返還は、両親の残した借金の完済が条件だったので、それを一時的にホード子爵家が立て替えてくれたのだ。
そのお陰で領地返還の準備は順調に進んでいて、姉が結婚するときには、爵位継承と領地返還が許されるだろう。
その立て替えてもらった借金を、一年後に予定されている結婚式までに全額返済すること。
それが、姉とナージェの婚約を認めるために、ホード子爵が出した条件だった。
だから借金の返済が遅れたら、それだけ結婚式も先延ばしになってしまう。
あまりにも時間が掛かってしまったら、婚約そのものが解消されるかもしれない。
不器用であまり仕事をすることはできない姉だったが、それでも必死にできることを探して、少しずつお金を貯めているようだ。
お金を稼ぐのはとても大変なこと。
そして医者に掛かってしまえば、そのお金も簡単になくなってしまうことを、姉はよく知っていた。
だから、少し風邪を引いただけ。寝ていれば治るからと言われると、無理に医者を呼ぶこともできずに、様子を見ることにした。
けれど、その間にも姉の様子は悪化するばかり。
婚約者はなぜ、こんなに姉が痩せていくのに気が付かないのか。
そう怒りをあらわにすると、姉は自分が隠しているからだと、ナージェを庇う。
痩せた体をゆったりとした衣服で隠し、食欲がないことを、結婚式に向けてダイエットをしているのだと言って、誤魔化していたのだと言う。
「このままでは、結婚式前に倒れてしまうわ。私が必ず、借金を返してみせる。だから、お医者様を呼びましょう?」
「でも……」
「姉様が元気にならないと、結婚式も延期されてしまうかもしれない」
懸命に説得して、何とか承知してもらい、リアナは今まで貯めていた賃金で、医師を呼ぶことにした。
いくらお金がなくとも、未婚の貴族の女性を、平民の医師に見せるわけにはいかなかった。
両親が生きていたときに付き合いのあった女性医師に依頼して、翌日には屋敷に往診に来てもらうことができた。
母と同じ年頃の女性医師は、アマーリアと名乗った。彼女は姉を丁寧に診察したあと、難しい顔をしていた。
最初はきちんと受け答えをしていたのに、長い診察で疲れてしまったのか、姉はいつの間にか眠ってしまったようだ。
今までの姉なら、人前で眠ってしまうことなどなかった。
体力が落ちているのかもしれない。
眠っている姉をその場に残して、応接間に移動する。
アマーリアが難しい顔をしているので、リアナも落ち着かなかった。
「先生、姉は……」
ソファに座るなり、そう質問する。
「少し、難しい病気です」
アマーリアはそう言って、気の毒そうにリアナを見た。
貴族では珍しいが、体が弱い女性に掛かりやすい病気らしい。
徐々に体が弱って痩せていく。次第に立つこともできなくなり、最後には視力まで衰えてくる。
そんな残酷な病状の進行を説明してくれた。
そしてほとんどの患者が、そのまま衰弱して亡くなってしまうらしい。
「姉様が……」
リアナは震える手をきつく握りしめた。
「……治療法は」
「あります。少し前までは不治の病でしたが、よく効く新薬が開発されました。ただ、新薬なので……」
とても高価な薬だという。
「お願いします。お金は必ず用意します。姉に、その薬を用意して頂けませんか。姉はもうすぐ結婚するんです」
リアナは、アマーリアに何度も頭を下げた。
何とかしてあげたいけれど、と彼女も悩ましい顔をする。
とても高価な薬なので、前金でなければ買えないらしい。
それに、まずは三十日くらい飲んでみて、効果があるかどうか確かめなくてはならない。
その後、きちんと効果が表れたら、そのまま薬を続けることになる。
今までの症例から、完治するためには一年ほどの期間が必要なようだ。
そして一年分の高価な新薬の代金は、両親の残した借金と同じくらいの金額が必要となる。
「そんなに……」
さすがに驚いたが、姉の命には代えられない。
どんなことをしてもお金を用意して、姉の病気を治さなくてはならない。
「まず三十日、薬を試すところから初めてみますか?」
「はい。お願いします。薬代は、必ず用意します」
薬を取り寄せるのに、五日ほど必要らしい。
その五日後に、また往診に来てもらうことになった。最初の三十日分の薬代は、そのときまでに用意しなくてはならない。
「では、また五日後に」
「はい。どうぞよろしくお願いします」
リアナは女性医師のアマーリアを送り出して、姉のもとに戻った。