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「どうして私がリアナだと、気が付かれたのでしょうか?」
カーライズとは、一度も顔を合わせていない。
だから近くで顔を合わせても、気付かれることはないと思っていた。
「声が、似ていると思った」
けれどカーライズは、最初にリアナの声を聞いたときから、似ているかもしれないと思ったという。
「それに、君と顔を合わせることはなかったが、あの後、君の姉とは何度も会っている。雰囲気は違うが、顔立ちはよく似ていた」
「……そうだったのですね」
たしかに、リアナと姉は、どことなく似ている。
だからこそ、『悪女ラーナ』を姉から引き受けることができたのだ。
「でも、君は私を知らないだろうし、どう切り出せばいいのか迷っていた。そこで、キリーナ公爵領に連れて帰って、君の姉に確かめてもらえればと思った」
リアナを一緒に行こうと言ってくれたのは、そのためだったのか。
少しだけ、カーライズもリアナと離れたくないのではないかと期待してしまった。
そんな自分に苦笑して、リアナはカーライズを見る。
「色々と、ありがとうございました。姉がしあわせのために離れたつもりでしたが、一度帰りたいと思います」
ナージェの誤解も解けたのなら、姉の結婚式には参列できるかもしれない。
「カーライズ様のお陰で、また姉と会うことができそうです。あとは、ご迷惑になるので離縁届けを提出していただければ……」
リアナを探すために、夫婦のままでいてくれたのかもしれない。
彼が結婚に対して濁していたのは、そのせいで新しい妻を正式に迎え入れることができなかったのかもしれないと、考えた。
「迷惑だなんて、そんなことはない」
けれどカーライズは、リアナが驚くほどの声でそう言った。
「ですが、新しい奥様がいらっしゃるのでは……」
「そんな人はいない。いるはずもない」
「でも、あのとき……」
マルティナに結婚しているかどうか聞かれたとき、しているようなものだと答えた理由を問う。
「離縁届を出していないので、リアナとはまだ夫婦だった。だが、君の同意は得ていない。だから、はっきりと答えることができなかった」
驚くリアナの手を、カーライズがそっと握る。
「一年後に離縁する。そういう契約だったにも関わらず、契約違反をしたのは私の方だ。でもどうか、もう一度機会を与えてくれないだろうか」
懇願するように言われて、リアナは動揺した。
(どうして私に、カーライズ様が?)
もし、このまま彼の妻になっても良いなら、これ以上嬉しいことはない。
でも、カーライズが急にそんなことを言い出した理由がわからずに、リアナは困惑してしまう。
そんなリアナの表情を見て、説明が足りていないと気が付いたのだろう。
カーライズは、その理由を語ってくれた。
「君が、あの夜の庭で静かに祈りを捧げている声を聞いたとき、その純粋な祈りに心を打たれた。人は、あれほどまで他人のために祈れるということを、初めて知った。しかも、あんなにひどい契約結婚を強いた私のためにも、祈ってくれるとは思わなかった。きっとあの夜から、私は君に惹かれていたのだろう」
「嘘……」
信じられなくて、思わず否定の言葉を口にしてしまう。
カーライズがリアナを、しかも悪女と呼ばれていたときの自分に惹かれていたなんて、そんなことがあるはずがない。
「私も最初は気付かなかった。しかも顔も知らない、悪女だと勝手に思い込んでいた相手だ。でもあの祈りの声を思い出すだけで、これからも生きていけると思うほど、私の心の支えになっていた」
あの美しい祈りにふさわしい人間になりたいと思ったカーライズは、それから変わった。
急にマダリアーガ侯爵家を継ぐことになったセレドニオを援助し、他にも自分の手の届く範囲なら、誰にでも手を差し伸べた。
「私が変われたのは、リアナのお陰だ。君にふさわしい男になりたいと、心からそう思った」
まだ、信じられずにいたリアナだったが、無意識にカーライズの手を握り返していた。
それに気付いたカーライズが、嬉しそうに微笑む。
去年から今年にかけて、この国はあまり良い状態ではなかった。
去年は雪害。
今年は流行病が蔓延して、苦しむ人々が大勢いた。
カーライズは親戚や友人たちを支援しながら、リアナの姿を探して地方の視察を繰り返していた。
そこで、町に取り残された子どもたちの話を聞き、この町に単身で乗り込んだのだ。
けれどそこで、彼もまた流行病に倒れてしまう。
「子どもたちの命を救えるのなら、あのまま死んでも構わないと思った。でもそんなときに、また君が私を救ってくれた。すぐには信じられなかったが、あの祈りにふさわしい人間になりたいと努力したからこそ、やり直しの機会を与えてもらったのかもしれないと」
カーライズの説明で、リアナにも少しずつ、彼の気持ちを信じることができるようになってきた。
彼は、いつも優しかった。
リアナの姿を見ると、微笑みかけてくれた。
それは、今思えば、ナージェが姉に見せる姿と、とてもよく似ていた。
「キリーナ公爵家の領地への同行を断られたとき、君を諦めるしかないと思った。今までしてきたことを考えると、それも仕方がない。でも、別れ際に、また私のために祈ってくれた。その祈りを聞いて、やはり諦めることはできないと悟った。せめて、この気持ちを伝えなくてはと思って、追いかけた」
そして、リアナの命を救ってくれたのだ。
「君を助けられるのなら、死んでも構わない。むしろそうなれたらと思っていたのに、また生き延びてしまった。私はどうやら悪運が強いらしい」
貴族学園を卒業する寸前に父親が病死したことも、その悪運だったと思っている様子だ。
「生き延びてしまうと、また欲が出てきてしまう。どうしても、君にこの想いを伝えたくなった。君の純粋な美しい祈りに、俺がどれだけ救われたことか。リアナを愛している。どうか私に、もう一度機会を与えてくれないだろうか」
真っ直ぐに想いを伝えられて、リアナの瞳が潤む。
「私のことを、誰かが愛してくれるなんて……。そんなことがあるなんて、思ってもみなかった……」
姉の身代わりになると決めたときから、普通のしあわせなど諦めていた。
まして、『悪女ラーナ』を愛してくれる人がいるなんて、想像もできなかったことだ。
しかもそれが、初めて恋をした相手である。
「私も、自分よりも子どもたちを優先して、必死に守ろうとしている『ライ様』に恋をしてしまいました。でも、あなたに私が『悪女ラーナ』であることを知られたくなくて。だから、あの町で暮らしている間だけの恋だと決めていました」
ラーナという名前を名乗っていたのは、自分が貶めてしまったトィート伯爵の愛娘の名前に対する償いだったことも説明する。
この名前で、たくさんの人を救うことができたらと思ったことも。
「領地に行こうと言ってくださったとき、本当に嬉しかった。でも、結婚されていると聞いて……。新しい奥様と一緒にいるところを見るのは、耐えられないと思って、修道院に帰ることを選びました」
リアナはまっすぐにカーライズを見上げた。
彼が気持ちを伝えてくれたのだから、リアナも正直な気持ちを伝えたい。
「私も、カーライズ様のことが好きです。これからも、あなたと一緒に生きていきたい……」
「ありがとう、リアナ」
リアナの話を聞き終わると、カーライズはそう言って、そっとリアナの肩を抱き寄せる。
「君にふさわしい男になりたいと思って、努力を続けていたのは間違いではなかったのだな。そのお陰で、君の心を手に入れることができた」
夫婦になってから恋をして、そして愛し合うようなった。
不思議な関係になってしまったが、苦しい生活の末にリアナに待っていたのは、最高のハッピーエンドだった。




