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マダリアーガ侯爵家でも、視察に出てから行方のわからなくなったカーライズを全力で探していたようだ。
おそらくあのときの警備兵経由でカーライズの居場所を知ったようで、数日後には、大勢の騎士が彼を迎えに来た。
もちろん騎士たちは、あの警備兵のように町を焼き払うつもりはなく、全員が流行病の予防薬を飲んで備えていた。
カーライズは騎士に子どもたちの事情を説明し、キリーナ公爵領に連れて行く手段を相談しているようだ。
一緒に行く予定のマルティナも、その話し合いに加わっている。
でも、ここで別れる予定のリアナは、ただ使用させてもらった教会や店の一部の掃除をするだけだ。
「お姉ちゃんは、一緒に行かないの?」
子どもたちに寂しそうにそう尋ねられて、リアナはこくりと頷く。
「ええ。私はここで仕事があるの。ライ様のこと、よろしくね」
そう言うと、子どもたちは真摯に頷いた。
「ラーナは、本当に行かないのかい?」
話し合いを終えたマルティナに再度尋ねられて、リアナは困ったように笑った。
「ごめんなさい。私は、あの修道院に戻ります」
「……そう。寂しいけど、仕方がないわね」
子どもたちの病はほぼ回復し、長距離移動も問題ないだろう。
騎士が連れてきた医師も、そう診断してくれた。
だからマルティナと子どもたちは、何台かの馬車に別れて、この町を離れることになった。
「元気でね。みんなのこと、忘れないわ」
リアナは、まだこの領地でやることがあるというカーライズと並んで、子どもたちを見送った。
子どもたちは、これからキリーナ公爵家の領地で、彼のもとで暮らせる。
そう思うと、少し羨ましかった。
「ラーナも、隣町に戻るのだろう? 馬車で送るよ」
カーライズがそう言ってくれたが、リアナは首を横に振る。
「いいえ。それほど遠くないので、大丈夫です。ライ様は、これから領主様のもとに行かれるのですか?」
「ああ。向こうで用事があってね。では、ここでお別れか」
カーライズは、手を差し出した。
リアナは少し躊躇ったのち、遠慮がちにその手を握る。
「君は私の命の恩人だ。何かあったら、いつでも尋ねてきてほしい」
「はい。ありがとうございます」
名残惜しそうな顔をして、カーライズは馬車に乗り込む。
リアナは、その後ろ姿に向かって小さく呟いた。
「カーライズ様に、しあわせが訪れますように……」
その瞬間。
強い風が吹いて、リアナの修道服のベールを吹き飛ばす。
銀色の髪が、ふわりと広がった。
去って行く馬車に深く頭を下げていたリアナは、カーライズがその言葉とリアナの銀髪を見て、驚愕の表情を浮かべていたことに気が付かなかった。
カーライズを乗せた馬車を見送ったあと、リアナは簡単に荷造りをして、修道院に帰る準備をした。
騎士たちもひとり残らず引き上げ、町にはもう誰もいない。
カーライズも騎士も、リアナを隣町まで送ってくれると言ってくれたのだが、ひとりになりたかったリアナは、その申し出を断っていた。
騎士は、連日の大雨で、地崩れを起こしている場所があるので、気を付けるように忠告してくれた。
隣町に行く際に、山の近くの道を通ることがある。
その辺りが危険らしい。
かなり遠回りになるが、大きく迂回して行った方が安全のようだ。
教会を出て、ゆっくりと無人の町を歩く。
雨宿りのために入った店の前で、思わず立ち止まる。
ふたりで寄り添って過ごした時間。その温かさを思い出して、リアナはカーライズがあれほど昏い瞳をしていた理由を知る。
一度、人の温もりを知ってしまうと、それを失ったとき、より孤独になってしまう。
またひとりに戻っただけのはずなのに、拭いきれない喪失感は、これからもずっとリアナの心を蝕んでいく。
愛していた。
だからその愛を失ってしまったときに、苦しみが生まれる。
カーライズも、元婚約者であるバレンティナを愛していて、それが失われた際に、以前よりもさらに深い、孤独と喪失感に悩まされていたのだろう。
そんなことを考えながら歩いていたリアナは、騎士からの忠告をすっかり忘れてしまっていた。
山の近くの道に、足を踏み入れる。
カーライズの新しい妻は、どんな女性だろうか。
そんなことを考えながら歩いていたリアナは、ぱらぱらと小石が落ちてきたことに気が付いて、ふと顔を上げた。
道の右手には、山の斜面がある。
木が揺れていて、風が強いのかと思った瞬間。
その木がこちらに倒れ込んできた。
「!」
山道を通らないようにという忠告を思い出したが、もう遅かった。
地面が崩れて倒れてきた木と、落石。
リアナは、忠告を無視してしまったことを後悔しながらも、なす術もなく身を震わせる。
(姉様……。カーライズ様!)
もう駄目だろう。
そう思ったリアナだったが、背後から誰かに抱きかかえられ、気が付けば地面に転がっていた。
「……っ」
固い地面に背中を打ち据えて、思わず声を上げてしまう。
どうやら倒れてきた木から、誰かが庇ってくれたようだ。
しっかりと守るように抱きしめてくれている、その温もりを、リアナは知っていた。
「カーライズ様!」
先ほど別れたはずの、もう二度と会えないと思っていたカーライズが、リアナをしっかりと抱きしめてくれていた。
「どうして……」
「リアナ」
呆然とするリアナの本当の名を、カーライズははっきりと呼んだ。
驚きに目を見開くリアナを、きつく抱きしめる。
「やっと見つけた。ずっと探していたんだ。どうしても、君に言いたいことがあって」
どうして、先ほど別れたはずのカーライズがここにいるのか。
リアナだと気が付いたのか。
そして、どうしてこんなに優しく、リアナの銀色の髪を撫でてくれるのか。