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彼の、こんな穏やかな表情は初めて見た。
リアナも思わず笑みを浮かべていた。
「こんな地方に、何かご用だったのですか?」
リアナの知るカーライズは、公爵家の当主で、いつも多忙であった。
それが、王都から遠く離れた土地に、しかもたったひとりでいたことに疑問を覚えて、つい尋ねてしまう。
「人を、探していた」
カーライズはそう答えた。
どきりとしたが、彼が自分を探している筈がない。
「彼女の姉に、必ず探し出すと約束したのに、手がかりさえ掴めない」
まだ熱があってぼんやりとしているのか、カーライズはひとりごとのように、そう呟いた。
(姉……)
二年前、別れたきりの姉の顔が浮かんだ。
カーライズは本当に自分を探しているのだろうか。姉に約束したと言っていた。もしかして、姉に何かあったのではないか。
そう思うと不安になるが、それを彼に尋ねることはできない。
「顔も知らない相手を、探せるはずもないか……」
小さく呟いたカーライズは、そう言いながらリアナを見上げた。
「……っ」
まっすぐに見つめられて、どきりとする。
姉が探している。
顔も知らない相手。
彼が、自分を探している可能性は高い。
姉に何かあったのかと思ったが、新薬は姉の体によく合って、もう元気になったはずである。
ならば、姉は女性医師のアマーリアに、事情を聞いてしまったのだろうか。
彼女は患者本人に病気のことを話さないのを、あまり良く思っていない様子があった。だから、完治した際にすべてを話してしまったのかもしれない。
罪悪感なんて、持ってほしくない。
ただしあわせになってくれたら、それでいいのだ。
「君は……」
そんなことを考えていたリアナに、カーライズは声を掛ける。
「は、はい」
「君たちは、大丈夫なのか? 病が移るといけない。私はもう大丈夫だから、この部屋から出た方がいい」
まだ体調が優れないだろうに、カーライズはリアナたちのことまで気遣ってくれた。
「私たちなら、大丈夫です。修道院の院長先生が、流行病の予防薬を手に入れてくださったのです。それを飲んでいますから」
「予防薬……。そんなものがあるのか。ならば、子どもたちを捨てるよりも、その予防薬を手に入れた方がいいだろうに」
カーライズはそう言ったが、彼はこの薬がどんなに高額か知らないのだろう。
「薬はとても高価なもので、裕福な方しか買えません。私たちの予防薬も、院長先生が昔の伝手を駆使して、ようやく手に入れてくださったのです」
「そうなのか。たしかに、薬はかなり高価なものだったな」
カーライズはそう言うと、目を閉じる。
「まだ体力が回復しておりません。もう少しお休みください」
「……ああ、ありがとう」
彼が眠ったことを確かめて、リアナは部屋を出た。
隣の部屋を覗くと、マルティナが子どもの頭を優しく撫でて、小さな声で子守歌を歌っていた。
こうやって、自分の子どもにも歌ってあげていたのだろう。
その穏やかで優しい声を聞いていると、胸が痛くなる。
リアナは裏口近くの部屋に戻り、ここにいる子どもたちの様子を見て回る。
「お姉ちゃん」
最初にこの教会を訪れた際、話を聞かせてくれた黒髪の少女が、リアナを見つけて走り寄ってきた。
彼女は、自分の名前をエミリーだと教えてくれた。
「エミリー、具合はどう?」
「わたしはもう大丈夫。ライ様はどう?」
「まだ熱が下がらないの。でも、最初に比べたら元気になってきたわ」
そう言うと、エミリーはほっとしたようだ。
「捨てられたわたしたちを、ライ様だけは見捨てずに一緒にいてくれたの。だから、ライ様が元気になってよかった」
体調が回復した子どもたちは、不思議と親のことを話さなかった。
親に会いたい、家族が恋しいと泣くだろうと思っていたリアナは、少し拍子抜けしたくらいだ。
「元気になれば、またお父さんとお母さんに会えるからね」
きっと我慢をしているだけだろう。
そう思って子どもたちに声をかけたリアナだったが、彼女たちは無言で首を横に振る。
「エミリー?」
「もうわたしは死んだことにするって、お母さんに言われたの。生き残っても、戻ってきてはいけないって」
リアナはその言葉に衝撃を受けて、思わず周囲を見渡した。
どの子どもも、エミリーと同じような暗い顔をしている。
この子たちの親は、子どもを捨てるときに、そんなひどい言葉を告げたのか。
「どうして……」
「流行病って、そういうものなんだよ」
マルティナが、子どもたちの頭を優しく撫でながら、そう言った。
「病人を出した家は、たとえ完治しても爪弾きにされる。お前の子が病気を持ち込んだせいで、家族が死んだ。恋人が死んだと言って、憎まれる。私もそうだった」
マルティナは、まるで目の前にそう言った相手がいるかのように、空を睨む。
「たしかに私の夫と子どもは、流行病で亡くなってしまった。でも、店は綺麗にしたし、私は病気にはならなかった。それなのに、あの店のパンを買うと病気になるぞ、と噂されてしまって。そうなったら、もうどうにもならなかったよ」
「そんな……」
以前、夫ほど上手くパンが作れなかったから、潰れてしまったと、マルティナは語っていた。
でも、そうではなかったのだ。
たとえ回復しても、あの家から流行病が出たと噂されてしまうと、そこで暮らしていくことができなくなってしまう。
だから、子どもたちに回復しても戻ってくるな。もう死んだことにすると言って、捨てていったのか。
リアナは何も言えなくなって、両手をきつく握りしめた。
ここにいる子どもは、全部で十五人。
それだけの子どもたちが、もし完全に回復しても、帰る場所も待っている人もいないのだ。
そんな状況で、自分の身も顧みずに助けてくれたカーライズを、子どもたちが慕うのは当然かもしれない。
それからは、洗濯や掃除などの家事をして過ごしていたが、どうしても気持ちが落ち着かない。
子どもたちのことばかり考えてしまう。
夕方になると、パンの焼ける良い匂いが漂ってきた。
「まずは元気にならないとね。さあ、食事にしよう。具合の悪い子はいないかい?」
マルティナが明るくそう言って、子どもたちに焼きたてのパンを配っている。
リアナも慌てて給仕を手伝った。
修道院で置き去りにされた子どもたちの話を聞いたときから、マルティナはこの子たちに帰る場所がないことを知っていたのだ。
だからこそ、余計に放っておけなかったのだろう。
「リアナは、ライ様に食事を持っていっておくれ」
「はい」
トレーを渡されて、リアナはそれを持ってカーライズの部屋に向かう。
まだ眠っているかもしれないが、食事をして薬を飲まないと、なかなか回復しないだろう。




