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親に見捨てられ、病に冒されて苦しい中、助けてくれた大人の存在は、どれだけ子どもたちを救ってくれたのだろう。
泣いている子どもたちを慰めながら、マルティナと視線を交わして頷き合う。
「わかったわ。私たちが様子を見てくるから、心配しないで」
そう言って、部屋の奥に進んでいく。
手前には広い部屋があって、そこにも数人の子どもが眠っていた。呼吸も落ち着いていて、顔色もそう悪くない。
回復傾向にある子どもたちのようだ。
さらに奥には、呼吸の荒い子どもがいた。重症だというのは、きっとこの子のことだろう。
マルティナが、さっそく看護している。
「この先を見てきてくれる?」
この部屋のさらに奥に扉があった。
ライという人物がいるとしたら、きっとそこだろう。
「はい」
マルティナに促されて、リアナはさらに奥の部屋に進んだ。
そこには粗末なベッドがひとつあって、男性が横たわっていた。
彼が、子どもたちの言うライ様だろうか。
暗くて何も見えなかったので、手元にあった燭台に明かりを灯す。
淡い光が、部屋全体を照らした。
彼は、ベッドに仰向けに横たわっていた。
額には汗が滲み、息も荒い。
白い肌が紅潮しているので、熱が高いのかもしれない。
けれど乱れている金色の髪は輝くほどの美しさで、顔立ちも、こんな状況だというのに思わず見惚れてしまうほどだ。
明らかに、一般人ではない。
これでは、子どもたちがライ様と呼ぶのも仕方がないかもしれない。
(裕福な商人……。いえ、貴族かもしれない)
そんなことを思いながら、取り敢えず汗を拭こうと、持ってきた清潔なタオルを額に当てる。
すると、固く閉ざされていた彼の瞳がゆっくりと開かれた。
その瞳を見た途端、リアナは息を呑んだ。
(カーライズ様?)
この深い藍色の瞳は、忘れるはずもない。
けれどキリーナ公爵家の当主であるはずの彼が、こんなところにいるはずがない。
でもこの顔立ちも、この瞳も、間違いなく昔、キリーナ公爵家で垣間見たカーライズである。
(カーライズ様……。だから、ライ様?)
信じられない思いで見つめていると、彼の瞳はまた閉じてしまう。
苦しげな様子に、まず看病をするのが先だと、我に返る。
隣の部屋のマルティナのところに戻り、ライ様と思われる人物がいたこと。かなり熱が高く、あまり良い状態ではないことを告げる。
「こっちの子どもも、重症みたい。まずは、看病に専念しましょう」
「わかりました」
修道院から持ってきた熱冷ましや、呼吸を楽にする薬などもあるが、意識のない状態で飲ませるのは難しいし、危険だ。
だからまずは熱を下げようと、何度も外にある井戸でタオルを冷やして額に当てたり、汗を拭いたりした。
「この人が、ライ様?」
後からこちらの様子を見に来たマルティナは、カーライズを見て驚いたようだ。
「すごいね。こんな綺麗な人は初めて見たよ。裕福な商人、程度ではないね。もしかしたら、貴族かもしれない。そんな人が、どうしてこの町に……」
「わかりません。ただ、ここにいる子どもたちは彼に救われたようです」
病にかかってしまったところを見ると、予防薬は飲んでいなかったのだろう。たしかにあの薬は、町に出ることはない貴族たちには出回っていなかった。
それなのに、ここに留まって子どもたちを助けていたのか。
その行動の理由はわからない。でも、多くの子どもの命が救われたことはたしかである。
上にいる子どもたちに状況を伝え、そちらの面倒も見ながら、マルティナと手分けをして、重症の子どもとカーライズの看病を続ける。
一晩中、ほぼ寝ないで看病を続けていた。すると翌朝になって、ようやく少し熱が下がってきたようだ。
彼は再び目を開き、深い藍色の瞳がリアナを見つめる。
「……君、は?」
声を掛けられてどきりとしたが、カーライズはリアナの顔を知らないはずだ。
しかもリアナは、修道女の格好をしていて、目立つ銀色の髪もきっちりとまとめて、ベールの下だ。
だから、穏やかな声でこう告げる。
「隣町の修道院から来ました。熱は少し下がりましたので、この薬を……」
「私のことはいい。子どもたちから治療してほしい。まだ向こうに、意識の戻らない子どもがいる」
そう言って起き上がろうとする彼を、慌てて押しとどめる。
「大丈夫です。向こうで別の修道女が面倒を見ています。意識も戻りました。あなたが一番、重症ですよ」
そう言うと、安堵したようにベッドに崩れ落ちる。
「そうか。助かったのか。良かった……」
そう言う彼の瞳の穏やかさに、泣き出したいような気持ちになる。
あれほど昏い瞳をして、すべてを恨んでいたかのような人が、子どもを守ろうと、自らの危険も顧みず、こんなところにいる。
いったい彼に、何があったのだろう。
「……上流階級の方かと思いますが、どうしてここに?」
薬を差し出しながらそう尋ねてみると、カーライズは何かを思い出すように、目を細める。
「私も、かつて親に捨てられたことがある」
そう言って、リアナを見上げた。
深い藍色の瞳に宿るのは、かつてのような怒りではなく悲しみだった。
「だから、あの子たちを見てしまったら放っておけなかった」
カーライズは、キリーナ公爵家の当主である。
だから親から捨てられたといっても、ここの子どもたちとはまた、状況がまったく違うだろう。
でも、本来ならば庇護してくれるはずの親から、見放されて放置されたという事実は同じ。
傷付いた心も、きっと同じだろう。
「そうだったのですね」
リアナは、彼の気持ちに寄り添うように、静かに頷いた。
「教会の裏口近くにいる子どもたちは、ほとんど回復しておりました。ライ様のことを、とても心配していましたよ」
そう言うと、彼の表情も柔らかくなる。
「そうか。すまないが、あの子たちのこともよろしく頼む」