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カーライズも顔を上げた。
真実を、知らなくてはならない。
「両親が亡くなる前に、リアナのことを頼むと言われました。それが、両親と交わした最後の言葉でした。リアナは当時まだ十一歳で、私が守らなくてはと、できることは何でもしました。でも、私は不器用で……。家事もまともにできなかったのです」
今まで不自由なく暮らしていた貴族令嬢に、そんなことができるはずがない。
ナージェがそう言って、婚約者を慰めている。
両親も、仕事で留守にする間だけ、妹を頼むと言ったに過ぎないのだろう。
けれどそれが遺言になってしまったことで、エスリィーはまだ幼い妹を守ろうとした。
だが彼女だって、当時はまだ十六歳だったはずだ。
「私は本当に不器用で……。何とか働こうと思っても、何もできなくて」
家にあった美術品や、宝石など少しずつ売って、何とか生活していた。
でもそれも尽きてしまい、エスリィーは何とかしなくてはと、仕事を求めて町に出て行く。
そんなとき、良い仕事があると騙されて、裏路地に連れ込まれてしまう。
「そのとき助けてくださったのが、トィート伯爵様でした。父の知り合いだったそうで、私たちの事情を聞いてくださり、自分の話し相手になってくれないか、と」
「トィート伯爵が……」
町を彷徨っていた自分に声を掛けてくれたあの人なら、きっとするだろう。
世間の噂では、彼は若い娘に簡単に騙された愚かな老人だと言われていた。
けれど自分の知る彼は、そんな人ではない。
だから恩人をそこまで貶めた『悪女ラーナ』を、カーライズは憎んでいたのかもしれない。
「亡くなった娘の話を、たくさんしてくださいました。娘のためだと思って厳しく接していたけれど、あんなに早く亡くなってしまうのなら、もっと好きなことを自由にやらせてあげればよかったと、深く後悔されているご様子で……」
娘が亡くなった年と同じだったことから、トィート伯爵家のメイドと相談して、娘のラーナの服を着てみたことが、きっかけだった。
トィート伯爵は、エスリィーの想像以上に喜んでくれた。
それが嬉しくて、エスリィーはトィート伯爵のところに行ったときは、娘の服を着るようになった。
でも彼の娘のラーナは、もっと華やかな美人だった。
だから少しでも似せようと、派手な化粧をして、我が儘な態度をしてみたりした。
すべては、亡くなった娘への後悔をずっと抱えている、トィート伯爵を慰めるためだった。
だが、トィート伯爵が娘の格好をしたエスリィーを、外に連れ出したことからすべてが変わってしまう。
「伯爵様は、私が彼の愛人だと言われていることを、最期まで知りませんでした。今思えば、きちんと訴えるべきだったと思います。でもあの当時は、私さえ我慢していれば、それで良いと思ってしまったのです」
派手な格好をしていたのは、娘のラーナが派手な美人だったため。
我が儘な態度をしていたのは、娘をもっと甘やかしたかったという、トィート伯爵のため。
でも、かなりの実業家で資産家だったトィート伯爵は、その分、敵も多かった。
巧妙に、彼の耳には入れないように、若い愛人を囲っていて、夢中になっているという噂が広まっていく。
かつては切れ者として知られていたトィート伯爵は、若い愛人に騙されている愚かな老人に。
そして、彼を慰めようと、彼の娘の姿で話し相手になっていただけのエスリィーは、狡猾で我が儘な『悪女ラーナ』となっていく。
あのトィート伯爵が、そんな罠に簡単に引っかかってしまうのかと思ったが、エスリィーに夢中だったのは、本当だったのかもしれない。
愛人としてではなく、亡くしてしまった娘の代わりとして。
彼の娘への愛と後悔は、想像以上に深いものだったのだろう。
「トィート伯爵様が亡くなってしまって、悲しかったけれど、リアナにカロータ伯爵家のエスリィーとして生まれ変わるチャンスだと言われて。友人の結婚式の招待状をいただいたので、本来の自分の姿で出席しました。そこで、ナージェと出会って……」
互いに、恋に落ちた。
両親の借金も、トィート伯爵がエスリィーに残してくれた遺産のお陰で、ほとんど返済することができた。
これからは、しあわせになれるかもしれない。
そう思った矢先、ナージェの父であるホード子爵に、『悪女ラーナ』の話をされてしまった。
それが妹のリアナだと信じるナージェとホード子爵に、エスリィーは本当のことを言えなかった。
罪悪感に苛まれて、屋敷に戻って泣いていたら、リアナが事情を聞いてくれた。
「リアナは、よかった、と言ったの。自分が悪女だと思われているのに、それでよかったと。『悪女ラーナ』は、自分が引き受けるから、どうかしあわせになってほしいと。私は……。そんなリアナの言葉を、受け入れてしまった。どうしても、ナージェを諦めることができなくて……」
「すまない。エスリィー。俺のせいだ」
泣き出すエスリィーを抱きしめながら、ナージェも泣き出しそうな声で謝罪する。
「父の知り合いに、『悪女ラーナ』はカロータ伯爵家の姉妹のどちらかだと聞いて。見かけで、それはリアナの方だと思い込んでいた。だから最初から、彼女には冷たく接してしまっていた。まさか、そんなことだったなんて」
リアナに冷たくしてしまったことを、心から後悔している様子だった。
それは、カーライズも同じである。
恩人であるトィート伯爵を貶めた悪女だと思っていたからこそ、報酬を口実に、ひどい条件の契約結婚を要求した。
でもリアナは、ただ姉思いの心優しい少女だったのだ。
宛がわれた部屋で静かに暮らしていたのも、外出先が馴染みの修道院だけだったのも、ドレスや宝石をすべて置いていったのも、そう考えれば当然のことだった。
エスリィーもナージェも、そしてカーライズもすでに深い後悔に苛まれていたが、到着した女性医師アマーリアの言葉は、さらに衝撃的だった。
「仰る通り、エスリィー様は難病に冒されていました」
カーライズにエスリィーはただの疲労だったのではなく、何か難しい病気だったのではないか聞かれたアマーリアは、淡々とそう答えた。
自分が呼び出された理由を、彼女はすでに知っている様子だった。




