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「カーライズ様」
まともに屋敷に帰れるようになり、執務室で仕事をしていたカーライズのもとに、執事のフェリーチェが訪れた。
「どうした?」
仕事の手を止めて顔を上げると、フェリーチェは一枚の書類と、手紙を差し出した。
「これは……」
記入済みの離縁届。
それを見て、カーライズはあの日のリアナの祈りを思い出す。
「もう一年が経過しましたので、離縁届を書いていただき、十日以内に屋敷を出るようにとお願いいたしました。すると、彼女はその日のうちに出て行かれたようです。部屋にこの手紙が残されておりました」
「……そうか」
カーライズは手紙を手に取った。
仕事に没頭するうちに、いつの間にか時間は過ぎ、リアナは離縁届を置いて出て行ったようだ。
話をしてみたかったと思うが、リアナはカロータ伯爵家に帰ったと思っていたので、いずれ訪ねてみようかと、そんなことを考えていた。
手紙を開くと、丁寧な筆跡で、一年間世話になったお礼の言葉と、これからのしあわせを祈っていることが書かれていた。
「そういえば、彼女が報酬を支払った先は、どこだ?」
手紙を丁寧にしまいながら、ずっと聞こうと思っていたことを訪ねる。
フェリーチェは少し考えたあと、説明してくれた。
「一人目は、とある女性でした。報酬の半分以上が、彼女に支払われておりました」
「女性……。何者だ?」
「支払いに向かわせるために少し調べてみたところ、どうやら貴族を中心に診察をしている女性医師のようでした」
「医師?」
リアナの姉が病気だというのは、どうやら本当のようだ。報酬の半分以上を支払ったということは、かなりの高額治療だったのだろう。
「他には?」
「はい。二人目はホード子爵です。どうやらカロータ伯爵家の借金を少し肩代わりしていたようで、それを返済したようでした」
「なるほど……。姉の婚約者のナージェは、ホード子爵家の者だったな」
ホード子爵家が借金を肩代わりしていたのは、おそらく爵位の継承や領地返還に関することだろう。
「残りはすべて、カロータ伯爵家に渡しておりました。支度金をもらったので、これからの資金にしてほしい、という手紙だったと思います」
「……そうか」
リアナは、報酬を自分のためにはまったく使わなかったようだ。
借金も、両親が遺したものだけである。
「それと、契約結婚の期間に仕立てたドレスや装飾品。そして、宝石店や服飾店の店員を呼んで購入した物も、すべて部屋に残してありました」
カーライズとしては、報酬の一部のつもりだった。
だからすべて持っていっても構わなかったのだが、リアナは何ひとつ持ち出すことなく、すべて置いていったようだ。
部屋の様子を確認したカーライズは、リアナと接触したメイドを呼び出して、話を聞いてみた。
「いつも静かに、窓辺に座って刺繍をしていました。食事も、あまり多くて食べられないから、スープとパンだけで構わないと」
時間が遅くなってしまったり、忘れてしまったこともあったと、メイドは申し訳なさそうに告げた。
でもリアナは一度も文句を言ったことがなかったようだ。
食事を出し忘れてしまったということは、仕事の手抜きをしたということなので、そのメイドは執事のフェリーチェが厳しく叱っていた。
ふたりを下がらせて、カーライズは改めて、リアナのサインがしてある離縁届を見つめる。
こうして冷静になって考えてみれば、いくら多額の報酬を支払うとはいえ、随分とひどい仕打ちをしてしまったと思う。
一年間で追い出すことを前提に噂の矢面に立たせ、一度も顔を合わせたことがない。
バレンティナの悪意から守ろうともせず、第三王女のロシータが真実を話さなかったら、すべて彼女のせいになっていたところだった。
それなのにリアナは恨み言を言うわけでもなく、あんなに綺麗な祈りを、自分のために捧げてくれた。
彼女に会ってみたい。
今さらこんなことを思うなんて、自分勝手だとわかっている。
けれど実際のリアナは、噂の『悪女ラーナ』とは、まったくかけ離れていた。
どちらが本当の彼女なのか。
そしてトィート伯爵と、本当はどんな関係だったのか。
カーライズはカロータ伯爵家に連絡を入れると、翌日、仕事の合間に訪ねることにした。
初めて訪れるカロータ伯爵家の屋敷はとてもこじんまりとしていたが、温かみを感じさせる場所だった。
リアナの姉のエスリィーと、その婚約者のナージェが揃ってカーライズを迎えてくれた。
「あの、リアナはどうしていますか?」
挨拶が終わると、エスリィーは泣き出しそうな顔で、そう尋ねてきた。
「大変なことに巻き込まれてしまって、どうしているのか心配で……」
しばらく話を聞いているうちに、どうやら第三王女の件らしいと、理解した。
心配していたが、向こうも大変だろうから連絡は控えた方かいいとナージェに言われて、手紙を書けなかったようだ。
ナージェは、もしリアナが罪に問われてしまえば、巻き込まれてしまうかもしれないと思ったのだろう。




