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 そもそも普通の人間は、挑発されても簡単に相手にワイングラスを投げつけたりしない。

 そんなことをした時点で、非は明らかにバレンティナにある。

 おそらくバレンティナの父であるマダリアーガ侯爵が、娘の悪評を少しでも抑えようと、すべての罪をリアナに押しつけたのだろう。

 修道院に入れたのも一時的なもので、噂が落ち着いた頃に、娘を呼び戻すものだと思われた。

 だが、その事件はそれだけでは終わらなかった。

 第三王女ロシータは国王が一番可愛がっている愛娘で、そんな娘の顔に傷を付けられた国王は激怒した。

 さらに第三王女ロシータが、バレンティナがリアナを酷く罵っていたこと。

 それが不快で思わず足を止めて見ていたら、ワイングラスが飛んできたと証言したのだ。

 世間の噂とはまったく違う真実が明らかとなり、娘を庇って噂を広めたマダリアーガ侯爵の作戦は、完全に裏目に出てしまった。

 マダリアーガ侯爵とバレンティナが、第三王女ロシータを傷付けた罪。

 その犯人を庇って真実を隠蔽しようとした罪に問われ、揃って地方に追放されることになったのだ。

 さすがに、これにはカーライズも驚いた。

 マダリアーガ侯爵家の存続は許され、爵位はバレンティナの兄のセレドニオが継ぐことになった。

 度重なる不祥事に、ここは身内同士で争っている場合ではないと、マダリアーガ侯爵を支持していた者たちも、揃ってカーライズが当主でいることを認めてくれた。

 もうすぐリアナと離縁し、爵位を譲るつもりだったカーライズにとって、これは予想外のことだった。

 爵位を譲る相手がいなくなってしまった以上、リアナと離縁しても、引き続きキリーナ公爵当主でいるしかなかった。

 その事件の事後処理や、急に爵位を継ぐことになったバレンティナの兄セレドニオのサポートをしているうちに、あっという間に時間は過ぎ去っていく。

 リアナも一応、あの事件に関わった者として、謹慎が命じられていた。

 でもそれは形だけのものであり、第三王女ロシータもリアナは被害者だったと言ってくれたので、それほど大事にはならなかった。

 だからカーライズは、リアナのことは執事のフェリーチェの任せ、自分の仕事に没頭していた。

 そんなある秋の夜。

 朝から執務室に籠もっていたカーライズは、さすがに少し疲れを感じ、仮眠をしようと思って部屋を出た。

 キリーナ公爵家を継ぐつもりなどまったくなかったが、こうして寝る間もないほど働いていると、煩わしいことはすべて忘れられるような気がする。

(もう季節は秋か……)

 眠ろうと思っていたが、月明かりに誘われて、少し歩こうかと庭園に足を向ける。

 すると、誰かの声が聞こえてきた。

「!」

 侵入者かと思い警戒するが、声は若い女性のものだ。

 しかも外ではなく、部屋の中のようである。メイドたちがお喋りに熱中しているのかと思ったが、聞こえてくる声はひとりだけだ。

 カーライズは何となく、声のする方向に歩いて行った。

「お父様……。お母様……」

 どうやら部屋の窓を開けて、空を見上げてひとりごとを言っているようだ。

 あの辺りは客間である。

 来客などいなかったはず、と思ったカーライズは、それが書類上の妻であるリアナであると気が付いた。

 暗闇で顔はまったく見えないが、聞こえる声は、想像していたよりもずっと若く、まだあどけなさを感じるくらいだ。

 本当に、『悪女ラーナ』なのだろうか。

 そっと耳を澄ませていると、また声が聞こえてきた。

「カロータ伯爵家は、姉様と婚約者のナージェ様が継ぎます。きっとあのふたりなら、領地と領民を守ってくれるでしょう」

 少し高い声は、今は亡き両親に語りかけていた。

「姉様のことも、心配はいりません。薬がよく効いて、もう健康な人とほとんど変わらない生活をしているそうです。これからもどうか、姉様を見守ってください」

 リアナの姉は、病気なのだろうか。

 きっと誰も聞く者がいないと思っているからこその、彼女の本音だ。

 何となく盗み聞きをしてしまった罪悪感から、カーライズは身を潜める。

「私のことは、もう捨てて置いて下さい。姉様のためとはいえ、カロータ伯爵家の顔に泥を塗ってしまいました。ナージェ様が仰っていたように、きっと私には失望していらっしゃるでしょう」

 声が震えている。

 泣いているのかもしれない。

「どうか姉様がしあわせに暮らせますように。そして、姉様を救う手立てを与えてくださったキリーナ公爵のカーライズ様にも、しあわせが訪れますように……」

 まさか自分の名前が出てくるとは思わず、カーライズは目を見開いた。

(私の、ために?)

 誰も聞いていないと思っているからこそ、その祈りはあまりにも純粋だった。

 カーライズは今まで一度も、こんなに優しい祈りの声を聞いたことがない。

 これ以上聞くのが怖くなって、カーライズは慌てて執務室に戻った。

 今、寝室に向かっても、きっと眠れないだろうという確信がある。だから、徹夜で仕事をすることにした。

(私のお陰で姉を救えた? 契約時に払った報償のことか? ならばリアナは、姉のためにこの契約結婚を受け入れたのか?)

 噂に聞く『悪女ラーナ』とは、あまりにもかけ離れた姿。

 でもあのリアナであれば、トィート伯爵が目を掛け、どうかあの子を頼むと言ったのも理解できる。

 病気だというリアナの姉。

 リアナは、契約結婚の報酬で、姉を救うことが出来たのだという。リアナが多額の支払いをした相手は、いったい誰だったのか。

 手続きをした執事のフェリーチェに聞けば、誰かわかるかもしれない。

 そう思っていたカーライズだったが、それから忙しくなってしまい、なかなかそれを実行することができなかった。

 今年の冬は寒さが厳しく、領地でも雪の被害が多発した。

 カーライズは領地の視察に言ったり、国に被害報告をしたりして、なかなか屋敷にも戻れない日々が続いた。

 それらがようやく落ち着いた頃には、もう季節は春になろうとしていた。

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