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そうしているうちに、季節は冬となった。
寒い日が続くようになると、トィート伯爵は風邪を引いて寝込んでしまった。
姉はトィート伯爵の屋敷に泊まり込んで、必死に看病をした。
けれど老齢ということもあって、トィート伯爵はそのまま回復せずに、静かに息を引き取った。
姉は最後まで、ラーナのドレスを着て彼に寄り添っていた。
恩人の死に、リアナも泣いた。
不器用で優しくて、そして寂しい人だった。
愛する妻、娘のことを、長い間ずっと想い続けていたのだろう。
その想いが、姉を悪女にしてしまったのだ。
トィート伯爵は資産の一部を姉に遺してくれたので、両親の借金もかなり返すことができた。
まだ残ってはいるが、数年ふたりで一生懸命働けば、きっと完済することができるだろう。
姉は本来の自分に戻り、これからは自分の人生を生きることができる。
リアナはそう思っていたし、姉もそうだったのかもしれない。
けれど、『悪女ラーナ』の噂は、トィート伯爵が亡くなった後も収まらなかった。
「お姉様、どうしたの?」
教会から戻ったリアナは、落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っている姉を見つけて、そう声を掛けた。
トィート伯爵が亡くなり、彼の話し相手という仕事を失った姉は、屋敷にいることが多かった。
家事をしようにも、不器用な姉では衣服をかえって汚してしまったり、貴重な食材を焦がしてしまったりする。
だから今は王家預かりになっている領地を取り戻せるように、父の代から仕えてくれている老執事に色々と教わっている最中だった。
今朝もリアナが出かける前は、熱心に領地運営について学んでいたはずだ。
それが、困ったような、それでいて少し嬉しそうな顔をして、部屋の中を歩き回っている。
「リアナ、お帰りなさい」
帰ってきた妹に気が付いた姉は、そう言って手にしていたものを隠した。
「どうしたの? 招待状?」
ちらりと見えた封筒は、招待状のように思えた。だからそう尋ねると、姉は困ったような顔をして、こくりと頷く。
「そうなの。学園で唯一仲良くしてくれた子が、結婚するみたいで。それで、私にも招待状を送ってくれたみたい」
姉が学園に通っていたのは、春から秋にかけての期間でしかない。
そんな中で、仲良くしていた人が結婚式の招待状を送ってくれたのか。
「お姉様、これはチャンスよ!」
リアナは姉に駆け寄り、その手を握りしめた。
「チャンス?」
「そうよ。ラーナではなくて、カロータ伯爵家のエスリィーとして社交界に出るチャンスよ。お姉様だって、いずれは婿を迎えてカロータ伯爵家を継ぐのでしょう?」
「……そうね」
両親が亡くなったあとも、まだ子どもだった姉妹に代わって、カロータ伯爵家を継ぐ意思を示した親戚はひとりもいなかった。
借金の貸し付けは、カロータ伯爵名義だったのだ。
爵位を継ぐと、その借金も背負うことになる。だから今は領地とともに、王家預かりになっている。
女性では爵位を継げないが、両親の借金をきちんと返済し、姉のエスリィーが結婚すれば、その夫がカロータ伯爵になる予定だった。
借金の返済を、爵位を継ぐ条件にしたのは、領民たちが苦しい生活を強いられないようにだと聞いている。
だが、いくら両親の遺した借金とはいえ、当時はふたりとも未成年だった。
その借金を返済することを条件にしたのは、さすがに酷ではないかと思ってしまう。だが、他でもない両親が作ってしまった借金だ。
でもその借金も、姉の苦労のお陰でほぼ返した。
あとは、婿入りしてくれる男性を探すだけだ。
トィート伯爵も色々と心配して、姉を夜会に連れて行ってくれたようだが、『悪女ラーナ』に持ち込まれた縁談など、できれば遠慮したい。
姉には、カロータ伯爵家のエスリィーとして社交界に出直して、姉とカロータ伯爵家を大切にしてくれる婿を探してもらわなくてはならない。
「でも、私は悪女よ。今さら、社交界になんて……」
当時のことを思い出したのか、姉の顔が曇る。
「大丈夫よ。今の姉様と、ラーナを演じていた頃の姉様とは、まったく違うから」
トィート伯爵の娘ラーナに似るように、かなり派手な化粧をしていた。
だから招待状を送ってくれた友人も、きっと気付かないだろうと、リアナは姉を説得した。
「そう、かしら。リアナがそう言うなら……。でも……」
姉はまだ迷っている様子だったが、招待状をしっかりと握って離さないところを見ると、本当は行きたいのだろう。
両親の死によって、退学しなければならなかった学園。
そこで出会った友人が、結婚式に招待してくれたのは、姉にとってリアナの想像以上に嬉しかったに違いない。
「さぁ、姉様は早く出席しますって返事をしないと。ドレスも用意しなくてはならないわね」
「そんな、勿体ないわ。ドレスなら、以前頂いたものがあるから」
「駄目よ。あれは、姉様のためのドレスじゃないわ」
トィート伯爵からもらったドレスの中には、娘のラーナが好まなかった、あまり派手ではないドレスもあった。
けれど、せっかく姉が『悪女ラーナ』 から抜け出せるチャンスなのだ。
ここは少し無理をしても、姉のために新しいドレスを用意したい。
「今年は凝った刺繍のドレスが流行だから、シンプルなドレスを買ってきて、私が刺繍するわ。それなら、それほどお金が掛からないでしょう?」
躊躇う姉を押し切って、結婚式に参列するドレスを買いに行った。
悪女とはかけ離れた清楚で美しいドレスに、リアナは時間を見つけては、刺繍をしていく。
(どうか姉様がしあわせになれますように。姉様を守ってくれるような人と、出会えますように)
そう祈りを込めて、寝る間も惜しんで、丁寧に針を刺していく。
じっくりと時間をかけたので、服飾店に依頼したものとそう変わらないほどのドレスが仕上がった。
「こんな素敵なドレスを、ありがとう」
試着した姉は、そう言って喜んでくれた。