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カーライズ・キリーナは、物心ついた頃から、ずっとひとりだった。
母親の顔は、今でもはっきりと思い出せない。
カーライズは、広大な領地と莫大な資産。そして王家の血を継ぐ家系であるキリーナ公爵家の長男として生まれた。
何ひとつ不自由のない暮らしだったが、自分が両親にとって不要な存在であると理解するまでに、そう時間は掛からなかった。
母親は愛人の家に行ってしまって、一度も帰ってこない。
父親はカーライズを見る度に、忌々しそうに舌打ちをする。どうやらカーライズの顔は、母親によく似ていたらしい。
当主の仕事があるため、ときどき屋敷に戻ってきてはいたが、父親にもまた愛人がいて、彼女と暮らすために、同じ王都内に別荘を購入していた。
その愛人には子どもも生まれていて、父親にそっくりの異母弟がいると聞く。
カーライズはキリーナ公爵家の跡継ぎとして、厳しい教育を強いられているのに、愛情はひとつも与えられない。
そんな日々を過ごしているうちに、カーライズの心も次第に荒んでいった。
両親は互いに愛情の欠片もなく、ただ貴族の義務として結婚し、その結果カーライズが生まれただけだ。
どちらも息子に、愛情どころか関心すらない。そのうち母も愛人との間に子どもが生まれ、結局両親は離縁したようだ。
そんなカーライズの唯一の心の支えが、婚約者のマダリアーガ侯爵令嬢バレンティナだった。
バレンティナは父の従兄であるマダリアーガ侯爵家の娘で、父と従兄は幼い頃からとても仲が良かったようだ。
若い頃の父は放蕩息子で、周囲にもかなり迷惑を掛けていたから、いっそ従兄を後継者にしようかという話も出たようだ。
けれど、どうしてもキリーナ公爵家を継ぎたかった父は、その従兄に頼み込んで、当主にしてもらっている。
従兄にも好きな女性がいて、キリーナ公爵家を継いでしまうとその女性と結婚できないため、父の申し出を受け入れたようだ。
ただし、生まれた子どもをキリーナ公爵家の跡継ぎと結婚させることを条件としたらしい。
父のところにはカーライズが。そして従兄のマダリアーガ侯爵のところにも娘のバレンティナが生まれたため、ふたりはその約束によって生まれたときから婚約していたことになる。
バレンティナは、カーライズを気遣ってくれた。
少し疲れているときは、それに気が付いて休むように言ってくれたり、話を聞いてくれたりする。
些細なことかもしれないが、今までそんな相手すらいなかったカーライズは、バレンティナに夢中になってしまった。
いずれカーライズはバレンティナを妻にして、キリーナ公爵家を継ぐ。
そのときは彼女をしあわせにできるように、何からも守れるように、勉強にも社交にも力を入れた。
けれど、カーライズが貴族学園を卒業する寸前になって、父親が異母弟を跡継ぎにすると言い出した。
異母弟であるブラウリオの母親は、子爵家出身の貴族である。
年は、カーライズよりも三つ年下だった。
父親にとてもよく似ていて、父親もブラウリオをとても可愛がっていたようだ。
母親にしか似ていないカーライズは、自分の子どもではない。廃嫡して、本当の自分の子どもであるブラウリオを跡継ぎにすると言い出したのだ。
突然のことに、カーライズは驚いた。
たしかに両親の仲はあまり良くなかったが、父も母も愛人と暮らし始めたのは、カーライズが生まれたあとである。
それに、カーライズの背の高さと瞳の色は、父親譲りだった。
さらにブラウリオは性格も父親に良く似ていて、勉強嫌いの遊び人だった。とてもキリーナ公爵家を継げるような男とは思えない。
何よりもキリーナ公爵家の後継者でなくなってしまえば、バレンティナとの婚約も解消になってしまう。
そう思って、親戚などを頼って父親を説得しようとしたのに、彼女はあっさりとこう言ったのだ。
「キリーナ公爵家は、ブラウリオが継ぐの? それなら、今日から私の婚約者はブラウリオになるのね」
そう言って、ブラウリオの腕に自分の腕を絡ませた。
父親とバレンティナの父親であるマダリアーガ侯爵はとても親しかったから、ブラウリオのことも昔からよく知っていたようだ。
ブラウリオもまた、カーライズに見せつけるように、バレンティナを抱き寄せた。
所詮彼女も、他のひとと同じだった。
自分に都合の良いときだけ擦り寄ってきて、そうではなくなったと感じたら、すぐに乗り換える。
ふたりはもう、長年の婚約者同士のように寄り添っていた。
即座に婚約解消の手続きは進められ、カーライズが貴族学園を卒業すれば、廃嫡される予定であった。
学園卒業まで待ったのは、そうすればカーライズは成人と見なされ、父親に養育義務がなくなるからだ。
卒業と同時にカーライズは廃嫡され、母親も引き取りを拒否したので、市井に放り出される。
事情を知る友人たちも離れていったが、今さら何とも思わなかった。
両親はもちろん、あれほど寄り添ってくれた婚約者でさえ、あっさりと裏切る。
他人など、信用できるはずがない。
カーライズはもう、キリーナ公爵家のことも、自分自身のことでさえ、どうなっても構わないと思っていた。
どうせ、誰からも必要とされていないのだ。
屋敷には戻らず、学園にも行かずに、昏い瞳で町を彷徨うようになった。
そんなときにカーライズを拾ってくれたのが、トィート伯爵だった。
自分の娘も一時期、家出をして町を彷徨っていたことがあるらしい。だから放っておけなかったと言って、部屋の一室を貸してくれた。
午前中の更新分が間違っておりました。
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