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皆、キリーナ公爵家で起こった事件のことは知っていても、よりによって『悪女ラーナ』を公爵夫人にしたカーライズに不満があるようだ。
加えて礼儀作法に疎いリアナは、主催に挨拶するときに順番を間違えてしまい、周囲からの蔑みの視線は嘲笑に変わった。
礼儀も知らない。
あの借金まみれのカロータ伯爵家の娘で、しかも噂の悪女である。
貴族学園さえ卒業していないらしいと、嘲笑われ、視界に入れるだけで不快だと厭われる。
それでもリアナは、すべて聞こえないふうを装って、若い男性に微笑みかけ、妻を連れた既婚者にも、熱い視線を送る。
自分はキリーナ公爵家の一員になったのだからと、積極的に話しかけたりした。
心はかなり疲弊していたが、それでも何とか最後までやり遂げた。
帰りの馬車の中では、疲れ果ててぐったりとしてしまい、顔を上げることもできなかった。
でも幸いなことに、キリーナ公爵家の縁戚が多いパーティだったので、さすがに公爵夫人となったリアナを口説いてくるような男性はいなかった。
それでも、悪意のある視線と言葉は、リアナの心を傷付けた。
何よりも、姉とリアナの恩人であるトィート伯爵。そして両親の悪口を言われるのが、一番つらい。
キリーナ公爵家の屋敷に戻ってきたリアナは、すぐに着替えをして化粧を落とし、そのままベッドに潜り込んだ。
(疲れた……)
こんなことを、一年間の間にあと何回かこなさなくてはならない。
泣きたくなるくらいつらいが、契約違反をすれば、違約金を支払うことになってしまう。それだけは避けなくてはならない。
(たった一年よ。これを姉様は五年も耐えたのよ。頑張らないと。絶対に、やり遂げないと……)
そうは思っても、傷付けられた心は簡単には回復しない。
リアナは泣きながら、いつの間にか眠ってしまっていた。
よほど疲れてしまったようで、翌日は昼過ぎに目を覚ました。
カーテンを開けたまま眠ってしまったのか、窓から眩しい太陽の光が降り注ぐ。
(顔を洗わないと……)
瞼が熱いので、腫れているのかもしれない。
顔を洗って身支度を整える。
でも今日は、縫い物さえする気になれなかった。そのまま昼近くので、ぼんやりと窓の外を見て過ごした。
昼近くになってメイドが食事を持ってきてくれたが、まったく食欲がなかったので、そのまま下げてもらった。
昨日のことを思い出すと胸が痛くなるが、姉はもっとつらかったはずだ。
リアナは姉のことだけではなく、カーライズのことも考える。
たしかにリアナも姉も、両親の遺した借金のせいで苦労したが、生前の両親は子どもたちをとても可愛がり、愛してくれた。
両親が亡くなったあとも、リアナには姉がいた。
まだリアナは幼かったので、姉に頼る部分も大きかったが、自分にできることを必死にやって、姉妹で支え合ってきたと思う。
トィート伯爵もふたりをとても気に掛けてくれた。
つらい環境だったが、ひとりではなかった。
でも、カーライズには誰もいない。
愛してくれるはずの両親は、それぞれ別の家庭を持ち、彼をひとりにした。
ずっと傍にいて、結婚後はカーライズを支えるはずだった婚約者は、彼から異母弟に簡単に乗り換えた。
母親はもうすべてを捨てて、別の子どもの母として生きている。
彼の孤独を思うと、どうしようもなく胸が痛む。
リアナは両手を組み合わせて、無意識に祈りを捧げていた。
(どうか少しでも、彼の心が安らぎますように……)
この日は一日、ぼんやりと過ごしていたリアナだったが、翌日からはまた縫い物を再開した。
数えてみると、昨日で三十日の薬の試用期間が終わっていた。
女性医師のアマーリアはカロータ伯爵家に赴き、姉の診察をしてくれたに違いない。
カーライズのお陰で一年分の薬も支払えたので、新しい薬も用意してくれたことだろう。
そんな姉の近況を聞くために、修道院に行く必要があった。
行くからには、子どもたちの服もすべて仕上げてしまいたい。
それに何事かに集中していれば、つらい出来事も忘れることができる。
一日中針仕事をして、子どもたちの服をすべて縫い上げたリアナは、夕食を少しだけ食べると、その食器を出したときに、修道院に行きたいと書いたメモを添えた。
すぐには無理だろうと思っていたけれど、翌朝にはフェリーチェが部屋を訪れて、修道院に行っても良いと行ってくれた。
でも馬車は、公爵家のものは出せないと言う。
さすがに悪女すぎて離縁する予定の妻が、熱心に慈善事業をしていたと噂されてしまうのは困るようだ。
もちろんリアナも、公爵家の馬車を使うつもりはない。
持ってきた古着の中でも、一番質素なドレスを着て、銀色の髪も綺麗にまとめて、帽子の中に隠す。
こうすれば、誰もリアナだとは思わないだろう。
帰りに町の仕立屋に立ち寄る許可も得て、リアナは用意してもらった小さな馬車に乗り込んで、修道院に向かった。
王都から少し離れたところにある修道院に着くと、御者にお礼を言い、ひとりで馬車を降りる。
両手に持っているのは、リアナの子どもの頃の服を再利用して作った服である。
重みで少しふらつきながらも、まずは修道院に顔を出す。
「院長先生、お久しぶりです」
そう声を掛けると、奥から初老の優しそうな女性が顔を出した。
「あら、いらっしゃい。あなた宛に手紙が届いていたわよ」
「はい。ありがとうございます。これ、子どもたちにお土産です」
そう言って、子ども服を渡す。
「こんなにたくさん。しかも、上等な生地だわ。これならかなり持ちそうね。いつもありがとう」
院長はそう言って、リアナに手紙を渡してくれた。
どうやら今朝、届いたばかりらしい。




