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 トィート伯爵は父の知人で、年齢は両親よりも先に亡くなった祖父と同じくらいである。

 父とは事業仲間で、かなり裕福な資産家だった。

 王都に大きな屋敷を持ち、使用人も、両親が生きていた頃のカロータ伯爵家の倍以上いた。

 けれど私生活は孤独で、三十年程前に娘と妻を事故で亡くしてしまい、それからは後妻も迎えずにひとりで生きてきたそうだ。

 トィート伯爵がとても裕福だったことから、ある程度の年になってもお金目当ての女性が大勢群がり、そのせいでかなり人嫌いになってしまったと聞く。

 それなのに両親を亡くしたエスリィーとリアナに手を差し伸べてくれたのは、理由があった。

 父と親しかっただけではなく、姉が彼の娘が亡くなった年と同じであり、さらに家族を事故で亡くしたという共通点があった。

 生活費を支援してくれて、そのお礼に姉は、トィート伯爵の話し相手をするようになった。

 ただトィート伯爵の屋敷に行き、彼の過去の話を静かに聞くだけだ。

 トィート伯爵は気難しい老人だったが、姉と亡くなった娘を重ね合わせているらしく、姉にはとても優しかった。

 彼の亡くなった娘は、姉やリアナと同じように、美しい銀色の髪をしていたそうだ。だから姉を見ているうちに、娘のことを思い出すことが増えていた。

 トィート伯爵の長年の孤独を垣間見てしまった姉は、彼を慰めたかったようだ。

 そんなときに、ふと姉は、トィート伯爵の亡くなった娘の服を着て、その話を聞くことを思いつく。

 彼の娘はラーナといい、少し派手好きで華やかな美人だったらしい。

 屋敷に飾られているトィート伯爵の妻の肖像画も美しい女性だったから、ラーナは母親によく似ていたのだろう。

 だからラーナの遺したドレスはどれも華美なデザインで、大人しい姉はそんなドレスを着ることが、最初は少し恥ずかしかった。

 でも親戚たちが背を向ける中、父の知人でしかないトィート伯爵だけが、姉妹を助けてくれた。

 その恩に報いたくて、姉はラーナのドレスを着て彼の傍にいた。

 それでも、姉と彼の娘のラーナの顔立ちはまったく違う。

 しかも、どちらかというと清楚な顔立ちの姉に、ラーナの派手なドレスはあまり似合わない。

 それを見て寂しそうに溜息をつくトィート伯爵を慰めたくて、姉は彼の妻や娘の肖像画、当時のメイドたちに聞きながら、少しでもラーナに似せようと、派手な化粧をするようになった。

 亡き娘とそっくりになった姉を見て、トィート伯爵は喜んだ。さらに姉を娘の名前で呼んで、夜会に連れ回すようになった。

 それは両親を亡くしてしまい、社交界にも出られなくなった姉のためでもあったかもしれない。

 けれど、今まで人を遠ざけていた裕福な老子爵が、美しく着飾った派手な若い女性を連れていたら、愛人だと思う人がほとんどだった。

 ましてトィート伯爵の娘が亡くなったのは、もう三十年ほど昔のこと。

 彼の娘の顔はもちろん、名前すら覚えている者はいなかった。

 こうして姉は、裕福な老子爵にうまく取り入った『悪女ラーナ』と呼ばれるようになった。

 トィート伯爵は、自分が娘のように思って連れている姉が、『悪女』と蔑まれていることを知らなかった。

 それなりに権力を持っていた彼に面と向かってそんなことを言う人はいなかったし、伯爵自身もあまり社交的ではなく、世間の噂にも疎かった。

 むしろ年頃の姉に、良縁を探してやるつもりで連れ歩いていたのかもしれない。

 毎回違う華美なドレスを着て、美しい宝石で身を飾る。

 派手な化粧をして、トィート伯爵を振り回すくらい、我が儘で勝ち気な性格。

 それは姉がトィート伯爵の娘がそうだったと聞き、彼女に似るように演じているだけだ。

 トィート伯爵がそんな姉に甘いのは、亡くなった娘には厳しく叱った記憶しかなかった後悔からである。

 けれど周囲はそんな裏事情など知らず、姉をトィート伯爵の愛人だ。裕福な老子爵を籠絡した悪女だと呼ぶ。

 そんな心ない噂は、姉を傷付けた。

 夜会から戻ると、部屋に閉じこもって泣いていたこともあった。

 リアナはそんな姉を見ているのがつらくて、自分も働くから、もうトィート伯爵のところには行かないで欲しいと訴えた。

「まだ幼いリアナを働かせるなんて、そんなことはできない。それに恩を受けたからには、必ず返さなくてはならないわ」

 それは、父の口癖だった。

 姉はその言葉を、別れの挨拶さえできなかった父の遺言のように思っていたのかもしれない。


 そして両親が亡くなってから、五年が経過した。

 姉はその間ずっと、トィート伯爵の娘を演じていた。

 悪女ラーナの噂は王都中に広まっていて、もう知らない者は、トィート伯爵自身くらいだ。

 このときはまだ、厚化粧と派手なドレスのお陰で、それが両親の死で学園を退学したカロータ伯爵家の長女だとは、誰にも気付かれなかった。

 大人しい性格だったこともあり、学園に半年も在学していなかった姉のことを、覚えている者はあまりいなかった。

 それも、理由のひとつだったのかもしれない。

 リアナも十六歳になっていた。

 姉はリアナだけでも何とか貴族学園に入れようとしてくれたが、リアナはそんな姉の提案を断った。

 こんなに姉がつらい思いをしているのに、自分だけ呑気に学園生活を送るつもりはないし、借金もまだまだ残っている。

 それに、貴族学園に通うのは義務ではない。

 勉強ならひとりでもできるし、今まで通り、家事の手伝いや在宅の仕事を継続していくつもりだ。

 姉はやや不器用なようで、家事は苦手で、刺繍の仕事もできなかった。でもリアナは、家事も裁縫も得意だった。

 だから両親が亡くなってからも、たったひとり残ってくれたメイドを手伝って、洗濯や料理をしていた。

 日中は修道院で修道女の手伝いをしたり、刺繍の仕事をしたりして、夜になると姉の教科書を借りて、ひとりで勉強した。

 リアナも、トィート伯爵には感謝している。

 彼が助けてくれなかったら、リアナはこうして姉と一緒に暮らせたかどうかもわからない。

 でも優しくて誠実な姉が、悪女として蔑まれていることがつらかった。

 一生懸命働いて、少しでも両親の借金を返し、姉を『悪女ラーナ』から解放するために、必死に頑張っていた。


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