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やがて馬車は、王都に辿り着いた。
キリーナ公爵家の屋敷は、王都の中でも王城に近い場所にある。
貴族の各屋敷で開かれるパーティには参加したが、リアナはまだ王城を訪ねたことはない。
想像以上に大きな王城に、思わず視線を奪われる。
(すごい……)
王都の町も賑やかだった。
たくさんの人たちで賑わい、市場や店が建ち並んでいる。
石畳の街道が規則正しく敷き詰められ、花や緑も多くて、町並みも整っていてとても美しい。
人々が行き交う様子は、どれだけ見つめていても飽きそうになかった。
その町並みをゆっくりと走る馬車は、やがて王城近くにある大きな屋敷に辿り着いた。
(ここが、キリーナ公爵家……)
広い門をくぐり抜けると、広大な庭がある。
庭にある大きな噴水からは水が迸り、太陽の光に煌めいていた。
季節は春なので、咲いている色とりどりの花からも良い香りが漂ってくる。
リアナは自分の立場も忘れて、つい美しい光景に見惚れていた。
その庭園の奥には、王城と見まがうような大きな屋敷があった。先に見ていなかったら、ここが王城だと思ったかもしれない。
リアナが育った屋敷などは、ここの離れにある馬小屋くらいの大きさしかないのではないか。
歴史ある家系であるホード子爵の屋敷とも桁違いだ。
同じ貴族でも、ここまで格差があるのだと思い知った。
(一年間、こんな屋敷に住むの?)
契約結婚であり、顔合わせもしないことを考えると、もちろんリアナに与えられるのは公爵夫人の部屋ではなく、客間、もしくは使用人の部屋だろう。
それでもあまりにも広すぎて、屋敷の中で迷いそうだ。
完全に気後れしているリアナだったが、馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて静かに停止した。
馬車内に同乗していたメイドが、扉を開いてくれる。
そこから見える豪奢な屋敷に逃げ出したいような気分になるが、リアナは覚悟を決めて、御者の手を借りて馬車から降りた。
入り口の扉でさえ見上げるほど高く、見事な彫刻が施されている。
門番がふたりがかりで開いてくれたその扉をくぐり抜けると、そこは広いホールになっていた。左右に階段があり、その壁にはいくつもの絵画が飾られている。
忙しく働いている使用人でさえ洗練されて美しく、着古したドレスに、鞄をひとつだけ持った自分が、どれだけ場違いな存在なのか思い知った。
思わず視線を落とすと、そこにも柔らかな絨毯が敷き詰められている。
付き添いのメイドが、そのままリアナをある部屋に案内してくれた。
どうやら客間のひとつのようで、ここもかなりの広さだ。
そこで待っていたのはもちろんキリーナ公爵本人ではなく、執事の男性だった。
やや白髪交じりなところを見るとそれなりの年齢だろうが、立ち姿も洗練されていて、隙のない人物のようだ。
彼は、フェリーチェと名乗った。
「カーライズ様に代わって、この度の契約につきまして、確認させていただきます」
低いが聞きやすい声で、彼はリアナにそう言うと、着席を促した。
リアナは黙ってそれに従う。
「こちらの条件、そして報酬は、先ほどサインをいただきました書類の通りです」
先ほど、ホード子爵家でサインをした書類をもう一度見せられて、リアナは頷いた。
「では、この屋敷で暮らす条件につきまして、ご説明いたします」
フェリーチェはそう言うと、さらに言葉を続けた。
宛がわれた部屋から出ないこと。
食事もひとりで、部屋で食べること。
この屋敷に人を連れ込まないこと。
夜会やパーティに参加するのは自由だが、エスコートはしないこと。
代わりにドレスや装飾品は、好きなだけ買っても良いこと。
普通の貴族女性なら、絶句するほどの条件が並ぶ。
契約結婚とはいえ、妻として扱う気はまったくないらしい。
でもリアナは、それを承知でここまで来た。しかも、これほどの金額を支払ってくれるのに、一年後には解放される。
悪女としての誹りは受けるかもしれないが、姉は五年も耐えたのだ。
どんな目に遭っても、一年後には解放されるのだから、何としても頑張らなくてはと決意する。
「質問はありますか?」
そう聞かれて、リアナは少し考えたあと、こう尋ねた。
「外出はできますか? あと、手紙は……」
「可能ですが、行き先によっては公爵家の紋章のない馬車をご用意いたしますので、事前に場所と時間をお伝えください。手紙は、こちらで確認させていただいてもよろしければ、可能です」
部屋から出られず、外出も手紙も許可制のようだ。
まるで囚人のような扱いだが、リアナに不満はない。
外出先は、縫い物の仕事を引き受けていた仕立屋か、修道院。手紙を送る相手も姉だけである。
「わかりました」
あっさりと承知したリアナに、フェリーチェは少し驚いた様子だったが、説明したことが書かれた書類をリアナの前に差し出した。
「では、こちらにサインを」
もし契約違反をした場合は、違約金を支払わなくてはならないと説明され、リアナは食い入るように文面を見つめた。
けっして違反しないように、何度も読み、契約書にサインをした。
続いてフェリーチェが差し出したのは、婚姻届けである。
夫の欄には先に、キリーナ公爵家の名前が綴られていた。
(カーライズ・キリーナ……)
一年間、名ばかりになる夫の筆跡は、とても美しい。
きっと、貴族学園にも通えなかったリアナとは違い、高度な教育を受けてきたのだろう。
リアナはなるべく丁寧に、彼の隣に自分の名前を書いた。




