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「私に?」
「ええ、そうよ」
姉はにこやかに頷く。
ナージェが話していたのだとしたら、それはキリーナ公爵家からの申し出か。
でも姉は嬉しそうなので、契約結婚だということは聞いてない様子だ。
姉が聞けるような場所でその話をしていたナージェの迂闊さに呆れながらも、楽しそうな姉の様子に安堵した。
「どなたから?」
「それがね、何とキリーナ公爵家からなの」
「公爵家?」
他の話だったらどうしようかと思っていたが、リアナに契約結婚を持ちかけてきた相手だったようで、ほっとする。
「リアナはお友達に会うために、何回かひとりでパーティに参加していたでしょう? きっとそこでリアナを見初めたのよ」
「そうかしら……。そんなことが……」
「近いうちに、ナージェから話があるかもしれないわ。リアナがしあわせになれるなら、私は大賛成よ」
嬉しそうな姉の笑顔に、罪悪感が募る。
姉は相手が公爵家だということよりも、リアナを見初めて婚約を申し込んでくれたことが、嬉しくて仕方が無いようだ。
「……そうね。楽しみにしているわ」
だからリアナも、できるだけ嬉しそうに見える笑顔で、姉の言葉に頷いた。
そうして、翌日。
姉が話していたように、正式にキリーナ公爵家からリアナに、婚約の申し込みがあった。
リアナは迎えに来たナージェに連れられて、縁談の詳細を聞くためにホード子爵家に向かう。
姉の婚約によってホード子爵は姉の義父になるので、キリーナ公爵は彼を通して婚約を申し込んできたようだ。
姉も一緒に行きたがっていたが、まだ体調が万全ではないので、屋敷で待っていてもらうことにした。
妹に婚約の申し入れがあったことを心から喜ぶ姉を、ナージェは愛しそうに見つめている。
リアナには皮肉そうな視線を向けるのは、自分が言ったように、姉がリアナの婚約を心から喜んでいるからだろう。
でもリアナは最初から、姉に自慢したいなんてまったく思っていない。姉がリアナの婚約を、心から喜んでくれるのだって、わかっていた。
だからそんなナージェの視線を無視して、視線を馬車の外に向けている。
このまま偽装結婚の手続きをするように言われても大丈夫なように、数日前にまとめた荷物も、一緒に持ってきている。
姉とこのまま別れてしまうのは寂しいが、屋敷に戻れば結婚式の予定や、相手がどんな人だったのか聞かれるだろう。
でも、実際は相手と顔合わせの予定すらない。もちろん、結婚式を挙げる予定もなかった。
それを聞いたら姉は、絶対にリアナの結婚に反対するだろう。
だから、これで良いのかもしれない。
気掛かりは姉の病状だが、女性医師のアマーリアに頼んで、診察の度に様子を教えてもらえるように頼んでいる。
リアナは、外に出て見送ってくれた姉と生まれ育った屋敷が見えなくなるまで、馬車の窓から見つめていた。
やがてホード子爵家に到着し、ナージェはリアナのエスコートもせずにさっさと下りていく。
さすがに見かねた御者が、手を貸してくれた。
最後までこの態度だと、かえって清々しいものだ。
姉と別れるのは寂しいが、彼とももう会わずにすむかと思うと、ほっとする。
義兄になる人だし、問題だらけのカロータ伯爵家を継いでくれることには感謝しているが、ここまで自分を嫌っている人と一緒に暮らすのは、やはり無理だったかもしれない。
もし姉の病気のことがなくとも、早々に家を出ていただろう。
リアナはメイドに案内されて、ホード子爵が待つ部屋に向かった。
先に馬車を降りたナージェは、もう到着している。
でもリアナは自分を置いていった彼に文句を言うこともなく、ただホード子爵にだけ挨拶をして、静かに彼の言葉を待つ。
悪女とはかけ離れた物静かなリアナの様子に、ナージェもホード子爵も戸惑っている様子だった。
「話はすでに聞いていたかと思うが、キリーナ公爵家から婚約の申し込みがあった」
それでもホード子爵は、あらためて結婚の詳細を教えてくれた。
「はい」
この契約結婚で、姉の命が救える。
そう思うと、リアナも真摯に頷いた。
「契約期間は一年。報酬はこちらだ。条件に同意したら、サインを」
目の前に一枚の紙が差し出され、リアナは目を通す。
事前に説明されたこととまったく同じだった。
婚約後、すぐに結婚すること。
結婚式は挙げないこと。
顔を合わせることはないこと。
パーティなどはひとりで参加すること、など綴られていた。
そして、結婚期間は一年。離縁後は、すぐにキリーナ公爵家を出て行くことが条件だった。
婚姻先では追い出され、ナージェからも戻ってくるなと言われていることに、少しだけ泣きそうになるが、すべては姉のためだ。
最後に報酬の額を何度も確認し、リアナはサインをしてホード子爵に渡した。
「先方は、すぐにでも来て欲しいとのことだったが」
「はい。準備はしてきました。いつでも行けます」
そう答えると、彼らは驚いた様子だったが、すぐにキリーナ公爵家に連絡をして、迎えに来てもらうことにしたようだ。
それまで客室で待つように言われて、リアナは頷く。
「姉のこと、どうぞよろしくお願いいたします」
最後にそう言って頭を下げて、ホード子爵の前から退出する。
ナージェはまた悪意のある解釈をしてきそうだが、これだけはどうしても伝えたかった言葉だ。
しばらく待っていると、キリーナ公爵家から迎えが来た。リアナはそれまで世話をしてくれたホード子爵家のメイドに礼を言って、客間を出る。
御者も迎えのメイドも丁寧に扱ってくれたが、ひとことも話そうとしなかった。
こうなることは想定していたので、リアナはまったく気にすることなく、馬車に乗り込んだ。
(すごい……)
ホード子爵家よりもさらに大きい高級な馬車で、むしろ落ち着いて座っていることができないほどだ。
居心地が悪くて、広い馬車の隅に固まって、じっとしていた。
リアナは、『悪女ラーナ』として嫁ぐ。
きっとナージェのように、悪意を向けてくる者もいるだろう。
でも、一年間だけだ。
それだけ我慢すれば、姉の命が救える。
そう思うと、どんなことでも耐えられそうな気がしていた。




