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 会場に入ると、集まった人々の視線が一斉にこちらに向けられた。

 その視線の多さに怯んで、リアナは思わず立ち止まってしまう。

 ここはホード子爵邸で開かれている、子爵の三男の婚約披露を祝うパーティ会場である。

 ホード子爵家は当主夫妻が王城に勤めているために交友関係も広く、彼の三男の婚約を祝って集まってきた人も多い。

 そこに、少し前まで世間を騒がせてきた女性が登場したのだから、注目を集めるのも無理はないのかもしれない。

 あの噂は本当だったのか、と呟く声も聞こえてきた。

 当然のことながら、好意的な視線や言葉などひとつもなかった。

 覚悟をしてこの場を訪れたはずなのに、少しだけ怯んでしまう。

 けれど、『悪女ラーナ』であれば、こんな視線は気にしないはずだ。

 リアナは顔を上げて、まっすぐに前を見た。

 ここからは見えないが、この会場にはホード子爵家の三男の婚約者として、リアナの姉のエスリィーがいるはずだ。

 姉は数年前から、とある事情で『悪女』と呼ばれていた。

 そんな姉の身代わりになって、リアナは今夜から『悪女ラーナ』となる。

 ここから先に足を踏み入れたら、もう戻れないとわかっている。

 リアナは別人となって、本来の自分とは違う女性を演じなくてはならない。

 少しだけ、怖かった。

 でも、迷ったのは一瞬だけ。

 リアナは彼らに向かって、宣戦布告のように艶やかに微笑んだ。

 光沢のある美しい銀色の髪に、白い肌。

 深い青色の瞳。

 人目を惹く美貌に、仰々しいくらい華美なドレス。

 今日の主役のふたりよりも、目立つだろう。

 そんな装いのリアナに向けられている視線は、あまり好意的なものではない。

 でも、そんなものは気にならない。

 気にしてはいけない。

 今夜のリアナは、『悪女ラーナ』なのだ。

 かつて、そう呼ばれていたのは姉だった。

 懸命に厚化粧をして華やかさを装っていた姉とは違い、リアナは少しだけ姉に似せた化粧をするだけで事足りた。

 母譲りの派手な外見が、こんな所で役に立つとは思わなかった。

 今までのラーナとは違うことを悟られないように、悪女らしく、さらに魅力的に振る舞わなくてはならない。

 パーティに参加するのも初めてのリアナには荷が重いが、すべては姉のしあわせのためだ。

(今まで苦労したお姉様が、ようやくしあわせになろうとしている。だから、私が頑張らないと)

 そう決意を固めて、ちらちらとこちらを見ている男性に微笑んでみせる。

 男性はたちまち頬を染め、急いで視線を逸らす。

 そのパートナーの女性の蔑むような視線を受け流して、リアナはさらに会場の奥に進んでいく。


 リアナは、カロータ伯爵家の次女である。

 家族は、五歳年上の姉のエスリィーだけ。両親は五年前、馬車の事故でふたり揃って亡くなってしまった。

 あれは、秋の日のことだった。

 大騒ぎになった屋敷。

 青褪めて震えた姉の顔。

 その日の風の冷たさを、今でもはっきりと覚えている。

 両親が亡くなってしまい、十六歳と十一歳の姉妹だけが残されただけでも悲惨なことだ。

 それなのに、不幸はそれだけでは終わらなかった。

 間の悪いことに、両親は新しい事業を始めたばかりで、かなりの額の資金を借りていたのだ。

 そこまでして始めた事業も、両親がいなくてはどうにもならない。残された姉妹だけでは何もできず、たちまち倒産してしまった。

 こうしてふたりに残されたのは、先祖代々の古びた屋敷と、多額の借金だけ。

 地方にある領地は、まだ成人していない姉妹ではどうにもならないだろうと、王家預かりになった。

 条件はあるが、それさえ満たせば、後継者の姉が結婚した際に返却される予定だった。

 その姉は王都の貴族学園に通っていたのに、まだ一年も通っていない学園を退学して、リアナが待つ屋敷に戻ってきた。

 貴族が通う学園だけあって、学費もかなり高額になる。

 でも入学したときに一年分の学費は支払っているはずなので、二年生になるまでは通えたはずだ。

「どうせ来年の学費は払えないわ。だったら、すぐにでも辞めてしまいたいの」

 それなのに姉は、諦めたような目でそう言った。

 一年だけでも勉強できれば、今後の生活に多少は役立ったかもしれない。

 でもカロータ伯爵家に起こった悲劇は、貴族社会でかなり話題になったようだ。おとなしい性格の姉は、周囲の好奇の視線に耐えられなかったのだろう。

 親戚は何人かいたか、両親が多額の借金を残して死んだと知ると、力になれないことを詫びながらも、全員が離れていった。

 借金さえなければ、姉の学費くらいは貸してくれたかもしれない。

 でも事業拡大に熱心だった両親は、どうやら聞いた人が驚くほどの多額の資金を借りていたようだ。

「もしお父様とお母様が生きていても、この事業が失敗していたら、どうせ学園は辞めることになっていたわ」

 姉はよく、自分に言い聞かせるようにそう言っていた。

 五歳年上の姉は、まだ十一歳だったリアナよりも、事業の難しさを知っていたのかもしれない。

 こうして屋敷に戻ってきた姉は、借金返済と生活費のために働こうとした。

 けれど、今まで貴族令嬢だった姉にできる仕事などほとんどない。

 しかも姉はとても優しく、穏やかで真面目な性質だったが、あまり手先が器用ではなかった。

 だからしばらくは母の形見の装飾品や、屋敷にある美術品などを売って生活費や両親の残した借金の返済に充てていた。

 でも一年ほど経過することにはそれも尽き、使用人にも賃金が払えなくなって、ほとんどが辞めていった。

 残っていたのは、両親の代から勤めてくれている執事と、メイドがひとりだけ。

 ふたりは亡くなった両親に恩があると言って、満足に賃金が払えなくなっても、ずっと傍にいてくれた。

 でも、このままでは、食べるものにも困る日がくるかもしれない。

 そんな状態の姉妹を助けてくれたのが、トィート伯爵だった。

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