もう一度、貴方と
「きゃあああぁぁっ!」
王宮に男爵令嬢フェリエラの絹を裂くような悲鳴が響き渡る。
今日も彼女の取り巻きが無残な姿で見つかったのだ。
最初は魔術師団長の息子だった。
学園の卒業パーティで婚約破棄をされて、床に転がっていた侯爵令嬢エミリアを蹴り飛ばした彼の脚が消えていた。
蹴ったほうの足だけでなく軸足も。
次は宰相の息子だった。
婚約者の王太子ラオベンに近寄ろうとした侯爵令嬢を突き飛ばして床に転がした、彼の腕が消えていた。
もちろん両腕だ。
今回は騎士団長の息子だった。
彼は直接侯爵令嬢に危害を加えていない。
ただずっと王太子と男爵令嬢の前に立っていて、侯爵令嬢がふたりに近寄れないように邪魔をしていただけだ。
だから、彼から消え失せたのは厚い胸板と広い背中──胴体だった。
頭と四肢だけしか残されていなかった。
これまでの犠牲者はまだ命があった。しかし胴体で脈打つ心臓がなければ人間は生きていけない。騎士団長の息子は死んでいた。
「エミリア様よ! 婚約を破棄されて国外追放されたエミリア様の復讐よっ! ほら! またエミリア様の人形が血塗れで転がっているわ!」
ラオベンは叫ぶフェリエラを抱き締めた。
なんとか国王夫妻を説得して、王宮で妃教育を受けさせている愛しい婚約者の考えが正解していれば、次に狙われるのは自分だ。
学園の卒業パーティで、ラオベンは元婚約者のエミリアを罵って婚約破棄と国外追放を言い渡した。自分から奪われるのは言葉を発した唇がある頭だろう。騎士団長の息子と一緒で、自分は死んでしまうに違いない。
侯爵令嬢エミリアはこの国の貴族子女が通う魔術学園でゴーレム科に属していた。
彼女には才能があり、厳つい石の塊だけでなく小さな可愛い人形をも操ることが出来た。
同じゴーレム科に属していたフェリエラにラオベンの心が移ってから、ふたりの関係に嫉妬したエミリアが人形を使った嫌がらせをおこなっていたとフェリエラに聞いていた。エミリア本人は違うと言い張っていたけれど、彼女以上に優れた遠隔操作能力を持つものはいない。
(エミリアは幼いころ、お忍びで行った王都の下町で見た人形劇に憧れて、遠くで操作しながら人形劇を楽しみたいと言っていたからな)
ラオベンは昔のことを思い出す。
エミリアは最初から婚約者のラオベンに友好的だったが、はっきりした恋愛感情を見せるようになったのは、一緒に行ったそのお忍びの後からだった。
少し離れ離れになっていたときがあったので、迷子の不安が恋心を煽ったのだろう。あるいはあのときの人形劇が恋物語だったからなのかもしれない。
だれにも真似出来ないゴーレムの遠隔操作能力を持つ侯爵令嬢は、ほかの面も優れていた。少し気が強く生真面目なところもあって、周囲に流されがちなラオベンはよく注意を受けた。
ラオベンはそんな婚約者を愛せなかった。
彼が好きなのは男爵令嬢のフェリエラのように可愛くて、男の言葉に逆らわない女性だったのだ。
ラオベンは愛しい少女を抱き締めて言う。
「大丈夫だ、フェリエラ。三人は周囲から離れてひとりになったときに襲われている。私は君から離れない。だからずっと側にいて、私を見守っていてくれ」
「わかったわ、ラオベン」
ラオベンは両親である国王夫妻の許可を得て、まだ結婚前であったが、その夜からフェリエラと同衾することになった。
フェリエラはゴーレム科でエミリアに次ぐ優等生だったのだ。
ゴーレムを操作するのに必要な媒体などに敏感で、これまでの事件でもエミリアのものと思しき血塗れの人形達を見つけ出したのはフェリエラだった。彼女はゴーレムを作って操作し、逆に止めて壊すための道具も持ち歩いている。
ラオベンの部屋の外には護衛騎士、控えの間には侍従達、同じ部屋には新しい婚約者の男爵令嬢フェリエラ。
どんなにエミリアが巧妙で、彼女のゴーレム遠隔操作能力が優れていても、ラオベンを襲うのは不可能に違いない。
実際、翌朝になってもラオベンの頭は消えていなかった。ちゃんとラオベンの部屋の中にあった。騎士団長の息子の胴体と、宰相の息子の両腕と、魔術師団長の両脚と一体になって。
★ ★ ★ ★ ★
「まさかこんなところで、もう一度貴方とお会い出来るだなんて思いませんでしたわ」
自国の王太子ラオベン殿下に婚約破棄と国外追放を言い渡された私は、遠国にあるお母様のご実家でお世話になっていました。
今回の私への処遇についても、学園在学中の王太子殿下の不貞や被せられた冤罪についても、侯爵であるお父様はきちんと王家に抗議してくださっていました。ですが殿下に甘い王妃様が聞く耳をお持ちでなかったので、最終的には諦めて私の安全を第一に考えて出国させてくださったのです。
もしかしたらそのうち、侯爵家自体がこちらの国へ移ってくるかもしれません。
王妃様が殿下に甘いのには理由があります。
恥ずかしながら、我が国の国王陛下は大変女癖が悪い方です。
王妃様との結婚前から多数の女性と付き合って種を蒔き散らしていらっしゃいました。
おまけに浮気相手には子どもが出来るのに、王妃様との間にはなかなかお子様がお生まれにならなかったのです。
やっとお生まれになった殿下を王妃様が溺愛なさるのは当然のことでしょう。
国王陛下が殿下と男爵令嬢の関係に反対しても、王妃様は息子の願いを叶えたいとふたりの婚約を強行しました。
故郷を離れた国で私が再会したのは、まさにその国王陛下と浮気相手の間にお生まれになった方でした。
母君は男爵夫人で、実はラオベン殿下の新しい婚約者となったフェリエラ様の異父兄に当たる方なのです。
フェリエラ様はちゃんと男爵のお子様ですわよ。そうでなければ殿下の新しい婚約者にはなれませんもの。
「私もです、エミリア嬢」
私が男爵家に閉じ込められてお育ちになった彼、フリート様と初めてお会いしたのは、幼いころ殿下と一緒にお忍びで王都の下町へ人形劇を見に行ったときでした。
フリート様もお忍び……というより王都にある男爵邸から抜け出して下町に来ていらしたのです。
私はフリート様と殿下を間違えて、しばらく一緒に行動してしまいました。別れてからも長い間、下町で過ごしたのは殿下だと思い込んでいたのです。
そう思い込んだのは、同じ父親を持つ殿下とフリート様がとてもよく似ていらっしゃるからです。
ただ全体の印象は違います。
フリート様の両脚は殿下よりも長く、フリート様の両腕は殿下よりもしなやかで、フリート様の胴体は殿下よりも逞しいのです。妙な言い方になりますが、殿下のご学友でフェリエラ様の取り巻きだった魔術師団長の息子の脚、宰相の息子の腕、騎士団長の息子の胴体を合わせて殿下の頭を乗せると、フリート様に限りなく近くなるのではないでしょうか。
「フリート様はお亡くなりになったと……あ、ごめんなさい」
「いえ、良いのです。そういうことにして姿を消したのです」
フリート様が男爵家に閉じ込められてお育ちになったのには、国王陛下と男爵夫人の不貞の子だという以外にも理由がありました。
殿下とよく似たフリート様は当然父君の国王陛下とも似ていらっしゃいます。
夫がいながら不貞を働くほど国王陛下を慕っていた男爵夫人は、父親そっくりのフリート様に執着し、溺愛していらしたのです。男爵夫人がお亡くなりになるまで、フリート様は監禁状態でした。幼いころに抜け出して下町に行ってからは、さらに拘束が激しくなったのだと聞きます。
そういうことを知ったのは、学園に入学してフリート様と再会してからでした。
フリート様は異母弟のラオベン殿下よりもみっつほど年上なのですが、男爵夫人が亡くなるまでは家を出してもらえなかったので、学園入学は私達と同い年の異父妹フェリエラ様と一緒だったのです。家から出ないで育ったせいか、幼いころの体格は年下の殿下と変わらないほど小柄でした。
フリート様はすぐに学園へいらっしゃらなくなって、やがてお亡くなりになったとお聞きすることになりました。
そういえば、フェリエラ様とラオベン殿下が親しくなったのはそれからでした。
彼女は家族を喪った悲しみを癒されたことで、殿下をお慕いするようになったのかもしれませんね。
いいえ、ご家族なのですからフリート様の生存はご存じですわよね? ラオベン王太子殿下の異母兄であるフリート様が姿を消したのは政治的な理由からでしょうし……
「エミリア嬢、異父妹が申し訳ございませんでした。学園での人形による嫌がらせは、殿下の心を奪うためのあの子の自作自演でしょう。エミリア嬢のような遠隔操作能力は持っていませんでしたが、あの子は自分の近くにあるものなら自在に操作出来ましたから」
「……もう良いのです。今は殿下とフェリエラ様のお幸せを祈るだけですわ」
フリート様と再会して、私が人形劇の日からずっと恋焦がれていた方がラオベン殿下でなかったことを知ったときの複雑な気持ちが胸に満ちます。
それでも殿下を愛そうと、愛しているのだと自分に誓ったのに、私は殿下に婚約を破棄されてしまいました。
宙ぶらりんになった初恋の炎はどうしたら良いのでしょう。
「メイドと従者が同行していらっしゃるので、私がエミリア嬢をお茶に誘っても悪い噂が出回ることはないと思うのですけれど、いかがでしょうか? 貴女より早くこちらへ来ているので、良い店をいろいろ知っているのです。こちらへ来て初めて自由に外を出歩けるようになったので、あの人形劇の日に戻ったように浮かれて町を歩き回ったのですよ」
フリート様のお誘いを受けて、私は首肯しました。
私も王太子の婚約者でなくなって、自由に過ごせるようになったのです。
年ごろの娘として男性とふたりきりにはなれませんが、フリート様のおっしゃる通りメイドと従者がいるので問題ありません。
あの人形劇の日には戻れません。
でも今日、遠い町で再会したこの方と前とは違う新しい関係が始まるのかもしれません。
胸で燃える初恋の炎が勢いを増したのを感じながら、私はフリート様と歩き出したのです。
★ ★ ★ ★ ★
血塗れの人形はただの目くらましだった。
魔術師団長の息子と宰相の息子、そしておそらく騎士団長の息子も、周囲に彼女の取り巻きと呼ばれるほど慕って大切にしていたフェリエラに誘われてふたりきりになり、睡眠薬を飲まされたのだ。
眠っている間に体の一部を奪われた彼らは、王太子の新しい婚約者と浮気しようとしていたと思われたら死刑になるかもしれない、と思って口を噤んでいた。
騎士団長の息子の場合は話すことの出来る状態ではなかった。
フェリエラは魔術師団長の息子の脚、宰相の息子の腕、騎士団長の息子の胴体を合わせてラオベン王子の頭を乗せて作ったゴーレムに『もう一度会えましたね、お兄様』と呼びかけ、処刑される直前まで自分から離さなかった。死肉のゴーレムは、彼女の処刑後崩れ落ちた。
──男爵令嬢は母親の男爵夫人に、とてもよく似ていたのだという。