第7話・常識を越えろ
結局持ち帰ったのは古びれた折り鶴のみ。
エリカはその鶴をじっと見てた。そりゃわざわざ家変えるために荷物取りに行って折り鶴だけだったら不思議に思うだろう。
帰りの車は無言だった。
だって気まずいでしょう?エリカが治療受けてたなんて知ったらさ!
性欲が消えるってウィルスが世界中に蔓延してて、その治療にはオレの体液が必要。体液って。
もともとエリカは口数が多い方では無いからこちらから話しかけなければ会話が無いのはデフォなんだけど、今はオレの方から話しかけられないのでした。
マンションに戻ってからも無言だったのだが、リビングに着いたときエリカの方から話しかけてきた。
「生活に必要なものはいかがなさいますか?」
「明日、新しいものを買いに行こうかと」
ここ数日のドタバタのせいで少しひとりになる時間が欲しかった。
「わかりました。ご一緒いたします」
「いいですよ、エリカさんお仕事があるでしょう?」
冗談じゃない、一番のストレス源と買い物?胃に穴が開くでしょ。
「ご心配なく。今の私の仕事は新井さんが早く社会に馴染むようにサポートすること。そのことが何においても優先されております。それに……」
「それに?」
ツバを飲んで次に出てくる言葉を待つ。
「お金、無いでしょう?」
……その通りでございます。
明くる日、電車に乗ってショッピングモールに向かう。
なぜわざわざ電車を使うのかは社会になれるため、だそうだ。
実際駅に向かうまでの道すがらもほとんどの人が裸。
かといって服を着ているオレらをじろじろ見てくることはなく、そこの区別は無いように見えた。
「今の社会で服を着るというファッションジャンルとなっています。
着物を着る、プライベートでもスーツを着るなどと同じ認識ですね」
それで、なんで多くの人が全裸になるのか理解ができないのだがね。
服を着ていない人は、別に特徴がない。
男も女も、若者も老人も関係なくほとんどの人が服を着ていない。
これで犯罪が起きないのは本当に性欲が無くなっていることを実感する。
そんなときエリカがわざとらしい咳払いをした。
「新井さん、ジロジロ見るのはマナー違反ですよ」
エリカはどうやら勘違いしているようだ。
違うぞ!
社会の実情を知るために周囲の人……主に女の人を見ていただけで!
「トラブルを起こしても、助けませんので」
エリカは大きなため息を吐くのだった。
「さぁ、着きましたよ」
エリカが電車を降りる。
オレもついて降りた場所は新宿。確かに生活一式をすべて揃えるなら繁華街に来るのが一番だろう。
「新井さん、新宿に来たことは?」
「何回か。そんなに通ったって程じゃないけど」
「それならばよかった。以前の記憶と違うところを探してみてください」
教えてくれないのかよ。
答えの無い間違い探しはすぐに分かった。
「飲み屋、減った……?」
飲み屋と言っても居酒屋ではない。
キャバクラやホストクラブといった、いわゆる水商売の店が軒並み消えていた。
「それらの店は性欲に直結しますから」
エリカは頷きながら補足を入れてくれる。
「もちろん、すべてが性に直結しているわけではないのですが、多くの人は相手との性行為を目的としていたのでしょう」
そんな身も蓋もないことを真顔で言われても。
エリカの誘いでカフェに入る。
どうやら腰を落ち着けて話したいようだ。
「新井さんが今後治療する相手はそういう価値観で生きていると把握しておいてください」
つまり、興味のない物事を喜ばせながら布教しろってこと?
そんなことされたら、オレだったらブチ切れるけどそのブチ切れ案件をする側に回らなきゃいけない?
「釈然としない顔をしていますが、現在の価値観では性欲がある人間が少数派、しかもその人たちに治療をする意味はありませんので」
なんていうムリゲー。
「エリカさんはなんで治療を受けたんですか?」
話を逸らす目的で聞いたが、寧ろ藪蛇だったんじゃないかと思ってしまう。
「実験です。有効な治療か半信半疑でしたけど」
身も蓋も無いよなぁ。
てか、男相手に「私は性欲があります」って宣言を、眉も動かさずにできる神経がわからん。
「人類が存続するかどうかの瀬戸際で私個人の感情など無意味でしょう」
そうは申しましても。
あなた、人様の体液飲むこと平気だったので?
「もちろん、体液を直接摂取したわけではありません。成分を解析して、錠剤にしていただきました」
「それ、量産して国民に配ればいいんじゃないですか?」
わざわざオレ個人がひとりひとり見つけて口説くよりもよほど早く事態が進むと思うのですが。
「前提として、性的興奮状態で摂取しないと効果が無いのはお忘れですか?物語の都合とはいえそんな設定にした作者の頭の悪さには辟易します」
なんかメタい発言出た気がするけどスルーしていいんだよね?
「つかぬことをお聞きしますが、エリカさんはその錠剤で効果が出たってことは、その……」
「今後の治療のための質問と理解できる範囲ですのでハラスメントカウントはしないでおきます。私の場合前提が違います。治療の目的を理解し、自らを被検体だと割り切っていたので積極的感情が無くても受け入れました」
うむ、わからん。
「治療目的の人にも同じこと言えば良いんじゃないですか?あなたの病気を治しますーって」
無意味にセックス交渉していくよりよほど効率がいいし、抵抗も少ない気がするんだけど。
「……仮に新井さんが今服を着ていることが異常で、その治療のために薬を飲むように言われたらどうします?しかも、その治療に発情しているときに薬を飲まなければ効果がないと言われたら?」
「信じるわけないでしょう」
「ほとんどの人はそうでしょう。新井さんが治療薬を配布する案は同じ感情を与えると思ってください」
そっか、今の常識は性欲が無くて当たり前。そんなときにあなたの常識間違ってますーって言われても誰もそんな薬飲みやしないか。
「この先は地獄ですか?」
「現在が地獄です」
エリカはコーヒーをすすった。
あれ?どんどん鬱々としてきたぞ?難易度がインフェルノしてない?
「荷が重くないですか?」
「私にもそう思います」
フォロー仕事って言ってなかった!?
エリカはじっとオレの顔を見ている。なんじゃい、バカにしてるんかい。
「新井さん、今夜遅くまで起きてられますか?」
「え、ええ、大丈夫ですけど」
なんでそんなこと聞いてきたんだ?
オレの疑問は次の瞬間、予想外の方向から解決した。
「今夜、性行為しますか?」
ご都合過ぎません!?!?