第1話・目覚め
「私、引っ越すんだ」
「へえ、どこに?」
「知らない。お父さんもお母さんも教えてくれないの」
「そっか。手紙出せないね」
「うん」
「……」
「……」
「探すよ」
「えっ?」
「どれだけ時間かかっても探す」
「……待ってる。もし、もし大きくなって会えたら」
夢を、見ていた。
昔、誰かと約束した夢を。
オレの目に入って来たのは見慣れない白い壁だった。壁じゃない、あれは天井だ。
どうやら知らない部屋で寝ているようだ。
(えっと、久しぶりに出かけて、ラーメン食って……アレ?)
そこからの記憶がぷっつりと途切れている。目が覚めたら見知らぬ部屋の中でした。これは悪の組織に改造されたのでは!?
そんなアホなことを考えているがピッピッと規則的になる電子音。白を基調とした清潔感ある部屋。何よりオレの腕に繋がっているチューブと点滴からここが病院であることなんて既にわかっていた。
「意味わからないんだけどー」
少しばかり痛む頭をフル回転させてラーメンの味を思い出す。違った、思い出すのはそのあとだ。
えっと、腹一杯ラーメンを食べて、フィギュアを見てから帰ろうと思って裏路地に入ったらトラックが飛び出してきて……状況的にはオレが飛び出しになるのか?
いや、でもあんな狭い道トラック走るのが悪い、そうに違いない。
「つまり、轢かれた?」
異世界転生定番、序盤のトラック事故。今のトレンドはPCに吸い込まれるとかそんな感じだって聞いたけど、いまだにトラックを使ってるストーリーもあるんだなぁ、じゃなくて!
ココどう見ても現実世界だろ!転生してないじゃん!
目くるめく冒険譚は?ダンジョンは?チートスキルにオレTUEEで「ボク、なんかやっちゃいました?」は!?
そんなお手軽人生リセットチャンスに恵まれながらもオレにその女神が微笑むことはなかったようだ。うっそだー、これは夢だー。
目線を横に向けるとそこにはナースコールをするボタン。どれくらい寝ていたのかわからないけど、喉はカラカラ。これは緊急事態と言っていい。なぜならオレが決めたから。
スイッチを押す。無音。無音!?鳴れよ、ナースコール!
なんの音もしないナースコールを放り投げるとバタバタと駆け足の音が聞こえてくる。がらりと引き戸を開けるとひとりの看護師が息を切らせてこちらを見ている。
「院長!!新井さんが目を覚ましました!!」
大声で叫んだ看護師はつかつかと歩み寄り、オレの顔を両手で押さえるとじっと目を見る。ずいぶんと荒っぽい看護ですこと。
「目覚めたって!?」
白衣を着たおっさんも息を切らせて部屋に入る。その後ろから何人もの白衣がなだれ込んでくる。一瞬で白衣の壁ができあがる。
「失礼」
白衣の壁の向こうから明らかに女の声が聞こえてくる。
その声を聞いて左右に分かれる白衣壁はさながらモーゼの海割りのようだ。
しかしその先導をしているのはひとりで、しかもスーツ姿だった。どうやら神話は始まらないようだ。
「院長、彼と話しても?」
「刺激を与えなければ。精密検査をしないと何とも言えんね」
場違いなスーツ女はオレと目線を合わせるためか、ベッドの脇にあった椅子に腰かける。
「新井ススム、さん。私はこういうものです」
そう言いながら名刺を渡される。現実世界にワタクシなんて自分を呼ぶ人間がいたことに驚きだ。
『内閣総理大臣付 秘書官 橘エリカ』
シンプルな名刺に書かれていた文字をオレは3度見した。何度見ても文字が変わることは当然無く、目の前にいるオネーサマは総理大臣付きのお偉いさんのようだ。
「新井さん、精密検査に問題が無ければ明日総理と会っていただきたいのです」
「なんて?」
言っている言葉はわかるが意味がわからなかった。なんで総理とオレが会わなければならんのだ。
「私はこれにてお暇します。明日10時に迎えに上がりますので」
エリカはそこまで言うと、すっと立ち上がり出口に向かう。長身のエリカの後ろ姿は……うん、見惚れるものがありますね。
ん?部屋から出る直前こちらを振り向くと残念そうな目を向けたような。
そこから検査室をたらい回しにされて脳波やらなんやらいろいろと検査をされた。
話を聞くにオレがトラックに轢かれて3か月の間ぐっすりだったらしい。トラックの運転手は即死。オレは健康体にも関わらず目が覚めない状態だったらしい。おかしくないか?相手即死で生身のオレ無傷?
そのことを医者に問い詰めたら「よくあること」とあっさり流された。おかしくね???
消灯時間が過ぎて小さな明かりしかない部屋。ぐるりと見回すと変な妙な感覚に陥る。その正体にはすぐ気づいた。
(この病室、なんで窓がないんだろう)
翌日10時。時間ぴったりにエリカは部屋に迎えに来た。
「おはようございます。本日はよろしくお願いします」
全くよろしくないんですけど。
エリカは地下の駐車場に案内して、オレを車に乗せた。おお、リムジンなんて初めて見た。
「どうぞ。総理とお会いすることは内密に」
エリカと2人で後部座席に乗り込む。電車のボックス席よろしく、はす向かいに座っている。ボックス席がわからない?作者の住んでいる田舎はまだ走ってるんだよ!
高級車がそういうものなのか、それともわざわざそうしているのかわからないが、やはり外の景色は見えない。まるでオレに外を見せたくないかのように。
美女と狭い車内で2人きり。なんのイベントも無いのがわかっている上でドキドキしてしまう。なんなら女の人とふたりきりなど我が人生の中であっただろうか。
「新井さんはどれくらい事故前のことを覚えていますか?」
出し抜けにエリカが尋ねてくる。質問の意味がよくわからない。
「事故の前、ですか?別になにか忘れていることはないと思いますが」
「そうですか」
……終わりかい。このエリカの言動はいまいちわからない。一番わからないのはオレを総理のところに連れていこうとしていることなのだけど。
到着したのはどこかの地下駐車場。
また外が見えない場所。
「こちらへ」
エリカに促されてエレベーターに乗る。一度フロントを通って別のエレベーターへ向かう。
どうやら相当位の高いホテルなのだろう。広いロビーに、整った服装を着た従業員。歩いている客も金持ちですよーってオーラが出ている。
「ちゃんとついてきてください」
エリカに叱られながら広いエレベーターに乗る。相変わらず極端に言葉が少ない。
「あの、エリカ、さん?」
オレが名前を呼ぶとキッと睨みつけてくる。
「名前で呼ばれるような距離ではないと思いますが」
ごもっとも。だからって睨むこと無くないか?
「たちばなさん。なんでオレは総理に呼ばれているんですか?」
「その説明指示は受けていません」
取りつく島もないとはこのことかな?……面倒臭いから帰れないだろうか。途中扉が開いたら逃げ出してやろう。
オレのささやかな願いは叶わず、そのまま15階までノンストップだった。
「こちらの部屋で総理がお待ちです」
エリカはカードキーを滑らせてドアを開ける。
オレが部屋に入ると中はホテルの一室というよりも執務室のように模様替えされていた。
打ち合わせのために使うのであろう、向かい合わせのソファーに低いガラス製のテーブル。そして大きな窓の側には書斎机が置かれてロマンスグレーの老人が肘を机に突いて手を組んでいる。
「キミが、新井ススムくん、かな?」
内閣総理大臣、牛頭雄大。
現日本国首相。……ゴメン、政治に興味の無いオレにわかることはそれしかない。それでもそんなお偉いさんがなんでオレみたいな一般人をわざわざ呼びつけたかは疑問でしかない。
「そう固くならず。橘くん、キミも座りなさい」
「失礼します」
総理の言葉にエリカはソファーの隅に座った。オレも後を追いかけてエリカの対角に座る。するとスーツの男がオレとエリカにティーカップを出す。こんな細い握りで飲むのか、上流は。
「早速の本題で申し訳ない。新井くん」
「は、はい!」
声が変なところから出て返事をする。対して総理は響く低音でオレに告げた。
「ハーレムを作ってくれないか」
何言ってんの?このオヤジ。