第17話 突然はじまりました
白いブラウスに黒くてタイトなスラックス。まるでこの世界のキャリアウーマンの様な姿に、異質な銀髪を整えている。
「その格好、もうすっかり社会人だよな」
「仕事にはこの方が色々と都合がいいのです」
「そういうものなのか?」
「はい。そのあたりは貴族社会に似ています」
彼女が新しい仕事を始めて、一ヵ月が経った。来たばかりの頃はあれだけ初々しかったものの、今では必要な服は自分で買いに行っている様だ。
俺も本格的に活動をする為に、新しく作った曲をレコーディングする所まで来ていた。
「心は今日レコーディングですか?」
「うん、ライブで知り合った人が結構凄い人でさ、作ってくれる事になったんだよ」
「それは楽しみですね!」
「ああ、音源が出来れば今後の活動も幅が広がっていくからね」
これまで事務所経由でしか音源を作った事の無い俺は、個人でやれる人が居ると言うのをその時初めて知った。スタジオの機材が普通の人は買えない値段というのを知っていた事もあり、てっきり音響などの学校を出た一部の人しか出来ない物だと思っていたからだ。
ギターの弦を張り替えていると、アンリが先に家を出る。仕事に向かう何気ない「行ってきます」に俺は鼓舞された。
「俺も頑張らないとな」
そうつぶやいてギターを背負う。アララギとしての初めての大仕事に、自然と気持ちが高まっていた。
レコーディングをしてくれる前田さんの所は、最寄駅から二駅離れた所にある。SNSでやり取りはしていたものの、彼のスタジオに行くのは初めてだった。名刺の住所をマップに登録して現場に向かったのだが、住宅地のど真ん中に付く。
もしかして俺、騙されていたのか?
ふと不安になり、電話をかけてみると彼はすぐに電話に出た。
「あの……アララギです」
「ああ、もう着いてる? もしかして迷った?」
「……はい。マンションしかないです」
「名刺にマンション名かいてない? 黄色い車が止まっているマンションだから、多分すぐに見つかると思うけど」
「あ、ありました!」
「じゃあそのまま入って来て。302号室だから」
見た感じごく普通のマンションだ。今までレコーディングして来た所は、看板があり倉庫の様な建物だったり会社のビルの中にあったりとスタジオだと直ぐにわかる様な所が多かった。
しかし、指定の場所はどう見ても五階建の一般的な住居。もしかして監禁されたりしないだろうかと、余計な事ばかりを考えてしまう。エレベーターはなく階段を登ると部屋の前に着いた。
「302……看板どころか表記もないのか」
恐る恐るインターホンを鳴らすと鍵が開き、直ぐにドアが開いた。
「お疲れ様です!」
「あ……ここで良かったんですよね?」
「そうだね。まあまあ、狭いけど中に入ってよ」
そう言って中にはいると、玄関から入って両サイドに風呂かトイレ。その後すぐに台所とリビングがみえた。リビングに着くと奥に部屋が二つあるのがわかりパッと見2DKのこじんまりとした部屋だというのがわかる。
「その辺に荷物置いて準備しててよ」
「はい……」
ソファーと机はあるものの、スタジオに来たと言うよりは宅飲みに来たという感じだ。しかし言われた通りにギターを出しチューニングしていると、前田さんもパソコンを開きながら声をかけてきた。
「そうそう、音源どうだった?」
「一応合わせてできる様にはして来ました」
「弾いているのに合わせて作ったつもりなんだけど、ギター重ねたいとか有れば臨機応変に対応するよ?」
「ありがとうございます……」
先に貰っていた音源もドラムとベースが入っただけのものだった。イヤホンで聴きながら練習はしたものの全体像はよく分からない。アイドル時代は別の人が歌っていたプリプロという物があった事もあり、不安な気持ちは隠せないでいた。だけど今までとは違い、自分の曲がどうなっていくのだろうかという楽しみもある。
「もしかしてここで録るのですか?」
「大して変わらないけど、そこの部屋かな。一応こんな感じでも、吸音シートを貼ったりして音はしっかり録れるから安心してくれよ!」
そう言って開いたドアの先には、機械だらけの部屋があった。真ん中にはキーボードがあり画面が二つ並んでいる。レコーディングスタジオというよりはまるで作曲部屋の様な部屋だった。
「最初はギターから軽く流してみようか?」
「……はい。助かります」
真ん中にある椅子に座ると、前田さんは二本のマイクを立て、ヘッドホンを渡した。
「あー、あー、聞こえる?」
「はい」
「同じ部屋で録るから始まったら話せないけど、気にせず最後まで弾き切ってくれればいいよ!」
「わかりました」
俺はメガネを取り、ギターに集中する。今日弾いた音がずっと残ると考えると緊張してしまう。今のうちに緊張しておこうと練習に挑む。
クリックの音が鳴ると自分のカウントを合わせて刻む。よし、これなら大丈夫そうだ。普段弾きながら歌っている事もあり、しっかりとギターの音だけに集中出来ている。このまま引き切ることが出来れば本番も……。
こうして一度弾き終わると、前田さんは意外な言葉を口にした。
「はい、オッケー! いいかんじ!」
「あれ? 今のは練習じゃ?」
「一応録っておいたんだけど、力が抜けたいい演奏だったと思うけど聴いてみる?」
まさかの本番に、俺は固まってしまった。




