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馬車馬の如く俯瞰は廻る

作者: けゆの民


──私は、何者でもなければ何物にもなれない。

表面上の感情ではなく、心底の考えがそれである。

別に感情がないだとか、世界全体がつまらないと感じているわけではない。

楽しければ笑みが漏れるし、悲しいと感じれば涙も出る。

人並みの感性があり、人並みの表現もある。


 ただ、唯一の差異はふとした時に“我にかえって”しまうことだ。

いくら面白いと思っていても、いくら悲しいと思っていても、ふとしたタイミングでそのメーターがリセットされてしまう。

何に対してこんなに泣いていたんだっけ、なんでこんなことにいつまでも笑っていたんだっけ。

一度そう思ったが最後、どうしようもなく自らが陳腐に思える。


 ああ、どうせ自分は人並みのコトしか考えられないのか。

あれだけ盛り上がっていた灯火はあっという間に消え、あれだけ荒れ果てていた心もすぐに無機質なものへと変わってしまう。


 そしてまた、次の心象を探しに行くのだ。

 そしてまた、同じように無へと返ってくる』





 そんな、自分が嫌になる。

何に対しても普遍的で、ありふれた対応しか出来ない自分が嫌になる。

誰もが通る道筋を、あたかも私だけが通ったかのように舗装する自分が嫌になる。

自らが特別であると、自身が普通であることを宣言することによって主張するその性根を、私は好ましく思わない。

無に返ってくる、だとか言っているけれどそれが本当かなんてわからない。

本当に無に返っているのなら、それを観測する手段があるはずもない。

だとすれば、その無は無なんかではなく、無と名付けられただけの有なのではないか。


 私が知らないだけ、私が認識していないだけのありふれた感情の一柱なのではないか。

自らの教養の不足と、怠惰によって引き起こされた傲慢なのではないか。


 そう、つまりは自分が知らないものは、他者にとっても味わったことのないものであるはずだから。

だから、私はこの普通が特異である──そう言っているだけである。


 そんなわけないのに、人類の積み上げてきた数千年の感情はそんな薄っぺらいものではないのに。

なのに、私は特異であることを主張し続ける』





 そんなことを考えている、自分を見つめる。

要約するならば、単純な話。

本当は一般であることを理解している、狂人だと思いたい人……そう主張することで自分が逸脱している、そう主張したいのだろう。

それこそよくある話、無知の知なんて言葉が流行り始めたころから、否定的命題を理解している自分こそが他者と比べて逸脱している、そんな考えが浸透し始めた。

原義を見返せば、そんな考えに至るはずもない。

正しく知識を見返せば、そんな愚かな発想には至らない。


 結局のところ、本音のところで他者を優越したいだけなのだろう。

人類という生物全体が、知的生命体としての本能は先へ先へと繋いで行くことだ。

だから、他者よりも自らが優れている──残される価値がある、そう証明したいのだろう。


 端的に言うならば、自らの価値を証明して生き残りたい。

それだけなのだろう。

まあなんとも……知的生命体、或いは高度な社会を築く生命体にしては単純過ぎる原始的な考え方だ。』





 自我、その存在の意義とは何なのだろうか。

私はそんな沈思を眺めながら考える。

確かに自らの根元的欲求を模索するのは悪いことではない、むしろそれを制御するために考えれば善いこととすら考えられる。

だが、自らの思いが……そも、全生命体の普遍的思考と自らの根元的欲求が合致しているかなど、わかるのだろうか。

異常だとか、普通だとかの話ではなく。

主語を狭めるのは確実だ、それは統計学によって善が証明されている。

確率母数の事を考えれば、正確性は上がりはしないが下がることは決してしない。

その子集団を意図的に選別しない限り、という注釈は必要になるが。

そして、今回はその例外に当たる。

意図的に自らという子集団に、公平性の欠片もない子集団に焦点を当てて大義を翳している。

そんな考えに正確性は、論拠は果たしてあるだろうか?

論拠のない、根拠のない、理論のないその考え方こそ私の言う“原始的考え方”という奴ではなかろうか。


 結局のところ、大衆の枠組みというのは想定の何倍も強大で、強固なものだ。

幾ら自らがその枠から外れたと考えていたとしても、結局のところその渦に戻ってきてしまう』





 そんな、自分を俯瞰して考える。

いつまで経っても終わらぬ俯瞰の旅。

考える自分を俯瞰して、そんな自分を客観視して、更にはそんな自分を見つめなおして……どこまで言っても終わらない閉塞的な旅。

繰り返せば繰り返すほど、抽象度の梯子を登っていき……同時に根底に存在する具体が置き去りになっていく。




 置き去りにして、見捨てられて、駆け昇るその先へと視点を持つ。

それこそ正に走馬灯その物だろう。


 私の人生、それを具体的に全て洗い流し、一つの物語を完全させる。

抽象度を限界まで上げ、本当に必要かすらわからないコトバだけをぬきだして、無意味にしてから魂を返却する。



 最後に一度だけ、梯子から落ちてみよう。

落ちて、刹那の私を見てみよう。

迫る瓦礫と、つんざく轟音が私を襲おうとしている。



 そう、だから今の私の状況は────



 

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