5 婚約破棄要請
七年前、ハーバートの十歳の誕生日パーティーが終わった後、リーベにこう尋ねられた。
「あんな会を作って本当に良かったのですか?」
「あんな会って『ゲーバローゼンの会』のこと?」
「はい。確かに素晴らしい能力を持った方々と仲良くなるのは良い事だと思いますが、もう一つの目的の方はいかがかと思います。そんな事をして、将来困りませんか?」
「何故困るんだい?」
「だってこの会は、優秀な方々がハーバート殿下を恋愛対象にしないように画策する為のものなんでしょう?
でももし、ルーツィ様と御縁が無くなった時にはどうするおつもりなんですか? ハーバート殿下のお相手が居なくなってしまいますよ?」
「何を言っているんだい? 僕はルーツィを好きだし、彼女も僕を好きだと言って、毎日努力してくれているんだよ。彼女が心変わりする訳がないじゃないか」
「この世に変わらないものなんか無いですよ。人の好みも変わるかもしれませんよ?」
ハーバートはそれを聞いて眉を顰めた。リーベの母親は彼女が物心つく前に家を出て行った。だから彼女は永遠の愛を信じていないのだ。
「かわいそうだね、愛を信じられないなんて」
「愛を信じていないわけではありません。ただ愛の形は変化していくものだと思っているだけです。東方の国の言葉に『無常』という言葉があるそうです。この世のものは全て変化して、一定の場所に留まるものなどはないという意味だそうです」
「君も大概だね。人の心まで理詰めで語るんだね。感情は無いのか?」
リーベは悲しい顔をした。そして一生懸命に歯を食いしばるようにこう答えた。
「もし愛が形を変えられないものなら、一度失恋をしたら、二度と恋が出来なくなります。恋人や夫や妻が亡くなったら、ずっと泣いて暮らさなければなりません。殿下はその方がいいというのですか?
私は父が再婚をして久しぶりに幸せな顔をした時、とても嬉しかったです。私も幸せになりました。それはいけない事ですか?
無常はけして無情ではないと思います。苦しみも悲しみもいつまでも続かないという事ですから。寧ろ人を救ってくれる言葉だと思います」
「・・・・・・・・」
「余計な事を申しました。すみません。殿下がそうなさりたいのなら私はそれに従いますし、協力させて頂きます」
リーベの言った通りだった。人の気持ちは変化する。
元々リーベの事はかわいい妹、大切な存在だとは思っていたが、自分でも気付かないうちに恋愛の対象になっていたのだ。彼女をルーツィを紹介しようとした時に初めてその事に気が付いた。
今思えばルーツィに対する思いは、恋に恋するような幼い思いだった。自分の容姿にコンプレックスを持っていたので、母親や姉と同じ明るい髪と瞳を持った彼女に憧れただけだったのだ。
リーベの忠告に何故素直に耳を貸さなかったのか。自分の首をしめるためだけに自分で計画し、下準備し、根回していたなんて笑える。馬鹿過ぎる。
リーベの誕生日は卒業式の翌々日だ。
ダーフィットと男の約束をした筈なのに、ハーバートは何の行動も取れずに、少しでも長くリーベと一緒にいたいと、ただそれだけを願って残された日々を過ごした。
そして、とうとう卒業式の前日となったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
キャスリンは息子をあやしながら弟に向かって言った。
「貴方、ダーフィット様と約束したのに、どうしてリーベ様に合う男性を見つけてくれなかったの? 王族が約束をたがえる事は許せないと、お父様から命じられて、フランツ様がお探しになったのよ。本当に大変だったんだから。でも、良い方が見つかってほっとしたわ」
「えっ?」
「シュライデン候爵様のご嫡男のヘルマン様よ。先日隣国の留学先から戻られて王立植物研究所研究員になられたの。次期所長間違いなしの優秀な方なのよ。歳は七つほど上だから、落ち着いていらして、穏やかで、とても立派な方よ。きっとリーベ様の良い理解者になってくださるわ」
「・・・・・・・・・・」
「八年前にあの新種の黄色の薔薇を生み出した方なのよ。まだ学院在学中によ。天才ね。リーベ様にお似合いだと思わない?」
「思わない・・・」
ハーバートは呟いた。
「えっ? 何? なんて言ったの?」
「そんな奴、リーベには似合わない。リーベにそんな優秀な男は似合わない!」
「どういう意味?」
キャスリンは弟の言葉に眉を顰めた。
「リーベは、リーベは優秀過ぎるから、僕くらいの駄目な奴の面倒みるくらいが丁度いいんだ!」
ハーバートはそう叫ぶと勢いよく部屋から飛び出して行った。
「それが分かっているなら、もっと早くそう彼女に言えば良かったのに。本当に馬鹿な子ね」
姉のこの言葉は弟には届かなかった。
ハーバートは王宮の廊下を全速力で走り抜けて外へ出た。リーベを探すなら薬草園か図書館。ハーバートはまずは確率の高いと思われる薬草園の方に向かった。しかし、薬草園へ行く手前でリーベを見つけた。
リーベは背の高い男性と一緒に談笑していた。頬を染め、今までハーバートには見せた事のないような嬉しそうな顔をしていた。カーッと体中の血が逆流した。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
絶対にリーベは渡さない!
リーベは僕のものだ!
「リーベ!!」
ハーバートが叫ぶと、リーベは一瞬驚き、その後すぐに嬉しそうな顔をした。
ハーバートはリーベ達のすぐ前で足を止めると、ハァハァと荒い呼吸をした。リーベは目を丸くした。彼女はハーバートがこんなに焦っている姿を見たことがなかったからである。
「殿下、そんなに慌ててどうなさったのですか?」
「殿下?」
驚いたように男性が小さく呟いたので、リーベが頷いた。
「はい。ハーバート王太子殿下でいらっしゃいます。殿下、こちらは王立植物園研究所の研究員をなさっている、
こ・・・」
「リーベ、婚約破棄してくれ、頼む!」
ハーバートはリーベの言葉を遮ってこう言った。するとリーベは瞠目した。そして少し間を置いてから小さな声で呟いた。
「そんな事無理です」
「無理な事は分かっている。そちらの方にも候爵にもどんな詫びでもさせてもらう。だから婚約破棄してくれ」
「無理です」
ハーバートの懇願にもリーベは頭を振る。それはそうだろう。しかしハーバートはここで諦める訳にはいかなかった。
「リーベ。今更だという事は分かっているんだ。遅すぎるって事も。君がいつも言うように、僕は本当に馬鹿なんだ。だけど君を愛している。僕は君じゃなきゃ駄目なんだ。だから僕と結婚してくれ。お願いだ」
「「・・・・・」」
リーベと男性は顔を見合わせた。二人とも酷く困惑していた。それはそうだろう。自分がとても非常識な事をしている自覚はあった。しかし人としての常識などかなぐり捨てても、王族の矜持を無くしてもハーバートにはリーベが必要だった。
やがて男性の方が徐に口を開いた。
「ご紹介も受けていないのに発言するご無礼をお許し下さい。
私は王立植物園研究所の研究員で、シュライデン候爵家の嫡男のヘルマンと申します」
『やっぱり・・・』
「関係のない者が口を挟むのは大変恐縮なのですが、リーベ嬢が困っていらっしゃいますよ。殿下はいったいどうなさりたいのですか? 何をお望みなんですか?」
『関係なくはないでしょう。貴方もめちゃくちゃ関係者でしょ』
ハーバートは心の中でブツブツと呟いた。
「婚約破棄して欲しいのです」
「だから無理です」
リーベは即答した。それから小さくため息をついて言った。
「殿下は他の人には煩わしいほど饒舌なのに、何故私にはいつも言葉足らずなんですか? いくら私でも、何でもかんでもツーカーで分かるという訳じゃないんですよ。さっきから婚約破棄しろとおっしゃっていますが、私は誰とも婚約などしていないのに、どうやって、誰と婚約破棄すればいいんですか? どうか教えて下さい」
「えっ? だってヘルマン卿と婚約したのでは?」
「「はあー??」」
二人は素っ頓狂な声をあげた。
「殿下は何をおっしゃっているのですか? シュライデン様とは先程偶然、初めてお会いしたばかりですよ」
「でも、リーベ、凄く嬉しそうに笑ってたじゃないか!」
自分には見せた事のないような笑顔をしてた。
「そりゃあ、植物学を学ぶ者にとっては、シュライデン様は憧れの方ですよ。あの黄色な新種の薔薇を作られた方ですし。お会いして直接お話が出来たら嬉しいに決まっているじゃないですか」
「殿下、何か勘違いされているようですが、私はリーベ嬢とは本当に先程お会いしたばかりですよ。それに私には既に妻子がおりますし」
「えっ?・・・・・」
ハーバートは一瞬呆気に取られた後真っ赤になった。そして小さく呟いた。
「姉上の奴・・・」
そしてハーバートのその呟きで、賢いリーベは一連のこの騒ぎの原因に気付いたようで、クスリと笑った。
「それで、結局ハーバート殿下は私に何を望んでいらっしゃるのですか?」
「リーベ=ミッテヘルツ嬢、貴女を心から愛しています。ですから僕と結婚して下さい。そしてずっと僕の側にいて下さい。お願いします」
ハーバートは片膝を付き、リーベの左手をとって口付けた。すると、リーベは薔薇の花が綻ぶように美しく微笑んだ。そしてその後、その笑顔には似つかわしくないこんな言葉で応じたのだった。
「そのお申し込みをお受けします、殿下。だって、残り物には福があると、東方の諺にごさいますもの。私達は二人揃って残り者ですから」
『無常』という言葉に助けられた事があるので、話の中に入れてみました。共感してくださる方いたら嬉しいと思います。
読んでくださってありがとうございます。