4 真実
リーベはハーバートと同様に王立学院に入学する前の時点で、学ぶべき事は全て学び終えていた。貴族の子弟はここを卒業しなければならないから入学しただけで、授業を受けなくてもよかった。
結局リーベは王城にいる時と同様に、必須の授業以外はハーバートと共に生徒会室か、図書室か、植物園にいた。そしてハーバートの仕事や研究の手伝いをしながら、薬草の研究をしていた。将来は王立植物研究所に就職して、薬師になるための勉強をしたいと思っていたのだ。
ハーバートは近頃のルーツィのリーベに対する態度が気になっていた。特に虐めているとか、嫌がらせをしている訳ではなかったが、リーベを見る目つきや言葉の端々に、彼女を馬鹿にするというか、侮蔑するものを感じていたからだ。
もしかしてこれが嫉妬というものか? 早めに対処しないと、彼女は悪役令嬢になってしまう。それを未然に防ごうと、ハーバートは動いた。しかし、ルーツィは呆れた顔をしてこう言い放ったのだ。
「私がリーベ様に嫉妬ですって? 冗談ではございませんわ。何故私の方があの方に嫉妬するのですか? 逆ならわかりますが」
「逆とは?」
「大切な幼馴染みを格下の私に奪われたら普通嫉妬するでしょう? それなのに、あの方全然そんな気はないみたいですわ。どうしてなの? がっかりだわ」
「がっかりって・・・
それは僕がリーベを含め『ゲーバローゼンの会』のメンバーで、永遠の友情を誓ったからだよ。君の為にしたんだよ。君を周りからの虐めや嫉妬から守りたくて」
ハーバートの言葉にルーツィは驚いた顔をした。ハーバートはそこまで君の事を思っていたんだよ、という意味を込めて話したのだが、ルーツィの反応は思いもがけないものだった。
「この退屈でつまらない学院生活は全て王太子殿下のせいだったのですね。何故そんなつまらない根回しをなさったんですか? おかげでワクワクドキドキするイベントが何一つ無かったではないですか!」
「何を言っているんだ?」
ハーバートはルーツィの発している言葉の意味がさっぱりわからなかったが、次の言葉で彼は絶句した。
「私は『婚約破棄シリーズ』のお話に出てくるような学院生活を夢に描いていたんです。あんな刺激的な日々を送れるのならば、私が虐められ役でも、虐め役でもかまわなかったんですよ。
でも、みんな私に優しくて全く虐めてくれないし、やっと現れてくれた虐め役の筈のリーベ様も、私に関心を持たれない。逆に私が嫉妬しようにも、嫉妬する必要もない相手で本当にがっかりしましたわ。あんな方に嫉妬したら、私のプライドに傷がつきますわ」
ハーバートは思わずこう叫んでいた。
「君とはもう付き合えない!
君とは婚約しない!
フィーアシュタイン辺境伯には私が近々詫びに行かせて頂く」
「詫びなどいらないですわ。そもそも殿下と私はただの同級生で、婚約者どころか婚約者候補としても扱われていなかったのですから。最初から私と婚約する気など無かったのでしょう?」
ルーツィはハーバートに怒るでもショックを受けた様子でもなく、平然とこう言った。
「そんな事はない。君と婚約したくて、僕は六年以上前から準備をしてきたのだからね」
「では、何故、さっさと早く婚約してくださらなかったのですか?『ゲーバローゼンの会』の皆様は全員婚約なさっているというのに。つまりはそういう事ですわ」
「・・・・・」
二人は暫く沈黙した。
「済まない。どうやって詫びればいい?」
「ですから詫びる必要などありませんわ。私には何一つ傷がついた訳ではありませんもの」
「しかし、君の時間を無駄にしてしまった。淑女としての大事な六年を、僕との約束のせいで」
段々とハーバートはルーツィに申し訳無い気持ちで一杯になってきた。一目惚れして将来結婚したいから、学院に入学するまで互いに研鑽し合おうなんて、今思い出すと恥ずかしくなる台詞を吐いて、彼女の時間を奪ってしまった。今から良縁を探そうにも、周りのめぼしい優秀な人材は皆婚約者持ちだ。
そう、ルーツィを取られまいと、自分がそう仕掛けたからだ。自分はなんと酷い事をしてしまったのだろう。彼女とは結婚はできないが、どんな事をしてでも責任をとらねば・・・と思ってそれを口にしようとした瞬間ルーツィが先に口を開いた。
「この六年間は無駄ではありませんでしたわ。
実は私、六年前、初めて殿下にお会いした時、猫を被っていましたの。乗馬が好きで、外遊びが好きで、ちっともじっとしていない子で両親はこのままではとても学院に入っても無事卒業できないだろうと心配していたんです。
そんなじゃじゃ馬でも嫁に欲しいとおっしゃってくださる物好きも、まあいるにはいたのですが、まさか学院を卒業も出来ないような娘では両親も結婚させられないじゃないですか。ですから、私が殿下のお手紙を真に受けて大人しく勉強や淑女教育に励みだしたので、両親は大喜びしましたわ」
「申し訳無い・・・」
「いえいえ、ですから謝られる必要はありません。父は最初から私が殿下の婚約者になれるなんて全く考えておりませんでしたもの。
そもそも父は北の要塞の警備隊長のご子息、オットー様と縁を結びたかったのですから。辺境において大切な繋がりは遠い王都にいる方ではなくて、共に闘う同士ですわ。とは言え、昔の私ではいくらオットー様が望まれても無理があったのです。殿下のおかげで私がこうして淑女らしくなり、無事卒業できそうで、しかも殿下とは婚約せずにすんで、父は大喜びだと思います」
「・・・・・」
「多分私は間もなくオットー様と婚約します。ですから、殿下も早くお相手をお探しくださいませね、卒業まで後一年ちょっとしかございませんから」
二学年の最後のパーティーでルーツィをエスコートしたのは、北の要塞の若き騎士オットー=コッヘル伯爵だった。金髪の髪をワサワサと揺らしながら、婚約者と踊るその姿は、まるで美女と野獣のようだったが、何故かお似合いだった。
そしてもう一組の美男と珍獣のカップルもとてもお似合いだったのだが、本人達だけがその事に気付いていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
最終学年になり、ハーバートが生徒会長、副会長にはリーベが就任した。本来なら副会長も三年生がなる場合が多いのだが、みんなは勉強に忙しい。ならば授業に参加しなくてもトップを取り続けているリーベになってもらおうと言う事になった。
本来なら副会長になると思われていたルーツィが、益々リーベに対して嫌な態度をとるのではないかとハーバートは心配したが、寧ろ彼女はリーベに対してとても親愛的になっていた。
そして二人で楽しそうに話をするようになっていた。それがどうしても不思議だったので、ハーバートはその訳を尋ねると、ルーツィはこう答えた。
「私、ずっとリーベ様を誤解していたんです。候爵令嬢なのに淑女としての努力を惜しんでいるなんて許せないって。
でも、前生徒会長のダーフィット様からリーベ様の真実を教えて頂いて、知らなかった事とは言え、本当に失礼な事をしていたと反省いたしました。
リーベ様に謝罪すると、すぐに許して下さいました。本当にお優しい方ですわ」
その言葉に嘘偽りはないように思えた。しかし・・・
「真実の姿?」
ルーツィは笑ってそれ以上は何も語らなかった。
その後ハーバートは自分の側近になったダーフィットに、リーベの真実とは何かと尋ねたが、それは殿下が既にご存じの事ですよとかわされてしまった。そしてその後続けられた願い事に青褪めた。
「殿下、リーベも半年後には十七歳になりますので、そろそろよいお相手を見つくろって頂けないでしょうか?『ゲーバローゼンの会』の中でまだ婚約者が決まっていないのは殿下と妹だけでございます。殿下は選り取り見取りでごさいますが、妹はそうもいきません。妹が幸せになれるのでしたら、身分や地位にはこだわりませんので何卒よろしくお願いします」
「何を言う。リーベならそれこそ僕と違って選り取り見取りだろう。候爵令嬢で、頭が良くて、気立てもいい。そしてなによりあんなにかわいいのだから」
「かわいい? ええ、私は妹をこの世でいや、婚約者のロッテンマリアの次にかわいいと思っておりますが、一般的な世間の評価は微妙です」
何を惚気てるんだ。こんな奴だったか? ダーフィットは僕以上に冷静沈着なタイプだと思っていたのだが。
それにどういう審美眼しているんだ。確かにロッテンマリア嬢は理知的で優しくて素晴らしい女性だとは思う。昔と比べて大分ソバカスも減り、赤毛も更に鮮やかに華やかになったし。だが、彼女は美女というより愛嬌がある感じだ。美人で、しかもかわいいリーベとじゃ比較にもならないじゃないか、とハーバートは憤慨した。
そんなハーバートの様子にチラリと目をやりながら、ダーフィットはにっこりと、リーベそっくりの整った顔に笑顔を作って、こう言った。
「とにかく、出来るだけ早く妹の婚約者候補を見つけて頂けるようお願いします。もし殿下がご無理でしたら、父を通して陛下にお願いしますので」
「待て! 父上は駄目だ。父上にリーベの婚約者を見つけるのは無理だ。リーベの相手はリーベの事を一番良く分かっている僕が探すのがベストだ」
「それでは殿下にお任せしてよろしいのですね?」
「ああ、もちろん。男に二言は無い」
「それを聞いて安心しました。では、リーベの十七歳の誕生日は、必ず婚約者と迎えられますように、どうぞよろしくお願いいたします」
ダーフィットが居なくなってからハーバートは頭を抱えた。往生際悪く今まで誤魔化してきたが、さすがにこれ以上自分を騙せない。
リーベの婚約者候補なんか絶対に見つけるつもりはないし、人に探させるつもりもない。リーベを自分以外の者に渡すつもりなんてない。しかし一体どうすればいいと言うのか。
今更自分がリーベに告白したとしても、それは、釣り合う人間がもう彼女しか残っていないから結婚したい、と言っているようなものだ。
自分がどんなに幼い頃からリーベを好きだったと言ったとしても、リーベや周りの人はそんな事を信じてくれる訳がない。
いや、たとえリーベ自身が信じてくれたとしてとも、世間の認識は変えられない。ハーバートがルーツィと親しくしていた事は事実なのだから。
リーベがまるで仕方なく選ばれた残り物のように、人から思われるのは耐えられない。
リーベの言う通り、僕は本当に馬鹿だ。大馬鹿だ。七年前に言われた通りだった・・・・・
読んで下さってありがとうございます。