1 そして誰もいなくなった
短編にしようと思っていたのですが、長くなったので連載にします。七章続けて投稿しますので、読んで頂けると嬉しいです。
ザマァはありません。ハッピーエンドです。
明日はもう卒業式だというのに、どうすればいいのだろう。僕は一体誰をエスコートすればいいのだろう?
歴代の王族の中で、卒業パーティーに婚約者をエスコートしないで入場した者など滅多にいない。僕の知るところでは女嫌いで一生独身を貫いた大叔父くらいだ。僕も女嫌いと思われるのかな? いや、付き合っていた女性はいたのだから、それは大丈夫か。ただ情け無い奴だと陰で笑われるだけか。
何故こんなことになったんだろう。卒業パーティーで婚約破棄なんかしたくない。王太子廃嫡や平民落ち、牢獄行き、国外追放なんてとんでもない。それを防ごうと思ってこの八年間頑張ってきたのに、その結果がこれか?
ゾーネンラント王国の王太子ハーバートは今日何度目かわからないため息をついた。するとそこへ
「ハーバート、ごきげんよう。
あら? うかない顔ね。どうしたのかしら。明日は卒業式というめでたい日を迎えるというのに。これで貴方もようやく王族として、本格的な公務に励めて嬉しいでしょう?」
諸悪の根源である姉のキャスリン=モンフォール公爵夫人が、産まれて半年の息子を抱きながら、幸せ一杯に微笑んだ。
ああ、確かにもう無駄な時間を過ごさずに済む事は確かに喜ばしい事だ。何せ三年前、王立学院に入学する前の時点で、学ぶべき事は全て学び終えていたのだから。
だから学院でやるべき事と言えば、身体を鍛える事と、政治の真似事である生徒会活動と人脈作り、そして最大の目的は婚約者を見つける事だった。
いや、正確に言えば、とっくの昔に目を付けていた令嬢がいたので、早々に彼女にアプローチして、ルンルンの学院生活を送るはずだったのに、何故こんな事になったのか。
「貴方は自分で言ったのよ。将来の立派な王妃となるべき婚約者は自分でちゃんと見つけるから、絶対に余計な縁組みを持ってくるなって。
普通はそんな事まかり通る訳がないけれど、貴方、王族や高位貴族達の弱みを握って、言う事聞くように裏で脅していたのでしょ。
そこまでしたのに、どうして今現在貴方には婚約者がいないのかしら?」
姉は弟を馬鹿にするようにせせら笑った。普段冷静過ぎる程冷静なハーバートもさすがにカチンとして怒鳴った。
「みんな、貴女のせいでしょう、姉上!」
「私のせい? 何故?」
姉は白々しく驚いたような顔をしたので、それが余計に腹がたった。
「忘れもしません。八年前、貴女が最高の参考書だから絶対に読んで学びなさいと言って、山のような『婚約破棄本』を持ってきたのでしょ。あの本のせいで僕は誰とも婚約出来なかったんですよ」
「まぁ!」
姉はまたまたわざとらしく大きく目を見開いた。
「私はあの参考書のおかげで婚約者とのラブラブで幸せな学院生活を送り、浮気もされず、卒業パーティーで婚約破棄される事もなく、結婚して跡取り息子も授かって、今もラブラブで幸せだわ。
貴方が上手くいかなかったのは、読解力がなかったからか、実践で失敗したのか、どちらにせよ貴方自身のせいでしょ。私や本のせいにしないで」
「読解力がないだと? 僕の国語能力のリテラシーは最高水準なんですよ。
ああ、ようやくわかりました。何故姉上が僕にあんな本を薦めたのかを。僕を結婚できなくし、自分の息子を僕の養子にして、王位につけるためでしょう!」
ガツン!!
キャスリンは仕事机の上に置いてあった分厚い法律全書を片手で持ち上げると、弟の頭の上にそれを振り落とした。
「グッ!!」
ハーバートは両手で頭を覆ってその場に蹲った。
「ふざけないで。私達の愛の結晶を貴方みたいな馬鹿弟に養子に出す訳がないでしょ」
キャスリンは左腕で生後半年の赤ん坊を抱き、右手で分厚い法律全書を掴んだまま、ブルブルと怒りに震えながら叫んだ。すると、さっきまでスヤスヤと寝ていた赤ん坊も、さすがに母親の怒鳴り声に驚いたのか、勢いよく泣き出した。
「馬鹿、ばか、バカ・・・・・」
赤ん坊の泣き声と共に馬鹿というフレーズがズキンズキンと頭に響く。痛い。確かに本をぶつけられて頭が痛いのは事実だが、それよりも姉に馬鹿と言われた方がショックだった。
ハーバートは幼い頃から神童と呼ばれる程何をやっても優秀で、馬鹿だなんて人から言われた事がなかったからだ。
いや、ふと、頭の中に姉とは別の声が響いた。
『ハーバート殿下は本当はお馬鹿さんなんですね。愛していた猫が亡くなったんですから悲しいのは当たり前です。何故寿命だから仕方ないとか、生き物は必ず死ぬものだ。なんて正論言ってごまかそうとするんですか。悲しい時に泣くのは恥ずかしい事じゃないんですよ』
あれは八歳の頃だったか。姉の飼っていた猫が死んだんだ。姉が自分で世話をするからと駄々をこねて買ってもらった猫だ。
しかし姉はきまぐれに世話するだけで、ほとんど放ったらかしだった。結局その猫の世話をしていたのは弟だった。だから猫は姉ではなく弟になついていた。そんな可愛がっていた猫が亡くなったのだから悲しくない訳がなかった。
姉の前では強がりを言ったハーバートだったが、姉がいなくなって一人になると、猫の墓の前に蹲って泣いた。するとフワッと後ろから誰かがやって来て、ハーバートの背中から彼を抱いた。それは彼の一つ年下の幼馴染みだった。
そして先程の台詞を言ったのだ。
姉の馬鹿とは違う、優しい優しい馬鹿という言葉。そう、あれは幼馴染みのリーベから言われたんだ・・・頬に触れるリーベのふわふわな髪の毛がくすぐったくて、悲しいのに何故か笑みが浮かんだっけ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
八年前、姉のキャスリンが両手で何冊もの本を抱えて弟のハーバートの部屋へ入ってきた。
キャスリンは国一番と言われる程可憐で愛らしい、金髪碧眼の美しい王女だったが、中身は見た目とは正反対で、腕っぷしの強い男勝りの健康優良児だった。
「ハーバート、明後日は貴方の十歳の誕生日でしょ。これ、私からのプレゼントよ。二日早いけど」
「プレゼントって、姉上の読み古しでしょ。しかも、この『婚約破棄シリーズ』ってなんなのですか? 姉上じゃあるまいし、こんなくだらない本いらないですよ」
弟は姉が机の上に置いた本を一瞥すると、呆れたように姉にこう言った。
「くだらなくないわよ。明後日の誕生日パーティーには今までとは違って、貴方と年が近い子供達がたくさん呼ばれている筈よ。まあ、言わば将来この国のちゅうすう(中枢)をになう(担う)者達の、初の顔合わせみたいなもんよ。とっても大事なものなのよ」
「姉上、無理に難しい言葉を使わなくても大丈夫ですよ。ええ、パーティーの重要性は僕も分かっていますよ。だからちゃんと対策考えてますよ。二年前姉上がやらかした失敗を目の当たりにしましたからね」
そう、姉は二年前の誕生日でやらかした。姉はただ黙ってニコニコしていればよかったのだ。そうすればこの国一番の愛らしく可愛らしい王女様でいられたのだから。
それなのに、姉は生まれて初めて多くの同年代の子供達と接触してハイテンションになった。大口を開けて笑い、よくしゃべった。まあ、ここまでならまだ良かった。明るくほがらかな王女様ですんだんだから。
ところがだ。姉はなんと、とある候爵の跡取り息子の頭の上から、オレンジジュースをぶっかけてこう言い放った。
「つい、うっかりジュースを溢してしまったわ。でも、下位の者に謝る必要はないわよね」
と。その候爵の息子はその直前に、赤毛でソバカスだらけの子爵令嬢のドレスにわざと水を溢して、
「つい、うっかり水を溢してしまった。でも君はただの使用人だろう? 高位貴族の息子の僕が謝る必要はないよね?」
と言っていたので、姉はそのフレーズをそのまま彼に返したのである。
候爵の息子にとって、子爵や男爵などの下位貴族のご子息達は単なる使用人らしい。確かに王候貴族の家に行儀見習いの名目で働く者もいるだろうが、普通は主とはいえ、彼女達に対してはきちんと節度ある態度で対応している筈だが、この候爵家では違っていたのだろうか?
大体、この候爵の息子は阿呆だとハーバートは思った。王女の誕生日パーティーに呼ばれている時点で、子爵令嬢には呼ばれるだけの価値のある人間なのだという事に何故気がつかなかったのだろうかと。
この赤毛のご令嬢はドルトムント子爵のご息女であるロッテンマリア嬢。彼女の父上は元はコッヘン公爵家の二男で、我が国の『歩く法律全書』と呼ばれている有能な法務大臣だ。
つまり候爵の息子は、公爵家の孫で、法務大臣の娘のロッテンマリア嬢を使用人呼ばわりして、水までかけたのだ。詰んだな、この息子。
王城のパーティーに出席するのであれば、どのような出席者なのかをきちんと下調べしておくべきだっただろう。まあ、王女である姉の方も、招待客の出自なんかまるで知らなかっただろうが。
ハーバートは当時まだ八歳だったが、自国の主要な貴族の事は家族構成から役職までが頭の中に入っていた。姉に言わせると、そんな下らない事ばかり頭に詰め込むから、他の大事な物が入らないらしいのだが。他の大事な物って何なのかを、二年前にようやくハーバートも気付いたのだが、その時点で既に時は遅し状態だった。そして、そこから何も出来ずにズルズルと今日まで来てしまった。即決速攻がモットーだった筈なのに。
まあ、それはともかく、キャスリン王女のこの武勇伝はまたたく間に世間に広まった。まあ、それは大方好意的なものであり、ロッテンマリア嬢という才女で心優しい親友を得て、将来問題を起こしそうな人物を排除できたのだから、結果的には悪くはなかったとは思うが。
しかしながら、彼女は恋するお年頃になってから、自分のこの武勇伝に頭を悩ます事になったのだ。初恋の相手であるモンフォール公爵家の令息フランツが、大人しくて奥ゆかしい女性が好きだと聞いたからである。
大人しくて奥ゆかしい・・・
姉とは真逆だ。もし本当にフランツがそんな女性が好きなのならば、姉に見込みなんかある筈もないとハーバートは思った。
「好き好き言って迫るだけでは、それはストーカーです。はっきり言って振られます。恋にはかけ引きが必要です、王女様!」
一番若い側付きの侍女にこう言われたキャスリンは、薦められるまま読んだ『婚約破棄シリーズ』にどっぷりハマった。そしてそれを実践していったのだった。
読んで下さってありがとうございます。