4
薄暗くなった部屋でエマは目を覚ました。
あの日、いつもの四阿で突然意識をなくし、崩れるように倒れたエマ。
あれからどれくらい経ったのだろう――
まだ頭がぼんやりしている。
見慣れた天井が目に入り、なんとか瞳を動かし周りを見渡してみると、ここがエマの寝室であることがわかった。
身体は重くとてもだるかったが、ゆっくりと身体を起こしてみる。
今は夕方くらいになっているのか、部屋の中は薄暗く、ぼんやりと辺りが見える程度の明るさになっていた。
ベッドの近くにダリアの花が飾られているのが目に入った。
ピンク色の小さく丸みを帯びた可愛らしい花、これはきっと――
胸に切なく苦しい思いが込み上げてくる。
エマはそのダリアの花を見つめたまま、突然嗚咽を漏らし号泣し始めた。
眠っている間、エマはずっと夢を見ていた。
次々と再生される夢は悪夢としか言いようがなく、目を覆いたくなる程にとても辛い夢だった。
目が覚めた今でも鮮明に覚えている。
夢の中で抱いたあらゆる感情が溢れ出して、エマを支配していた。
ダリアの花を見ると、その感情が余計に呼び起こされる。
エマは恐怖に身を震わせていた。
しかし、悪夢は一度では終わらなかった。
来る日も来る日も悪夢はエマを解放せず、エマは夜に目を閉じるのが怖くなり、なかなか満足に眠ることが出来なくなっていた。
目の下にはくっきりと隈を作り、食欲の失せた身体は次第に痩せ細り、だんだんと精気を失っていくようだった。
寝不足が続いたエマは、まだ陽の高い昼間だったが、気付くと深い眠りに落ちていた。
――また夢を見ている
これがいつもの悪夢で、今自分は夢の中にいるとエマははっきりと自覚した。
大好きなダリア庭園が見える。
何度も足を運び、何度も見ているのに、いつでもここはため息が出るほどに素晴らしく美しい景色が広がっている。
そして、いつも訪れる四阿。
そこにはオーウェンとエマの二人の姿が見える。
相変わらず話は弾んでいないが、穏やかな時間が流れ、ゆったりと過ごしているようだ。
いつもと変わらない風景、この時のエマはこれが当たり前にずっと続いていくと思っていた。
この時は幸せだった。いつも、いつも――
だんだん幼かった二人が、成長していく。
オーウェンは騎士服を纏い、黒い髪を短く整え、黒曜石のような瞳は鋭さと深さを増し、背はすっかり伸び、エマが見上げるくらいの高さになっている。
身体つきもしっかりしており、締まって筋肉がついているのがわかる。
そして、成長したオーウェンは大人の色気を纏い始めていた。
夢の中だとわかっているのに、エマの瞳は彼を捕らえて離さない。
胸に痛みが走り、切なさが込み上げてくる。
エマはオーウェンを心から慕っていた。
しかし、エマがどんなに慕っていても、その手はいつも届かなかった。
――どうして
どこで足を踏み外すのか、どこでボタンを掛け違えるのか。
何度も自問自答を繰り返してみても、いつもその答えは見つからない。
エマのその思いは一度も報われる事はなかった。
今もオーウェンは目の前から去ろうとしていた。
エマに険しい顔を向けて、身が凍りそうなほどの瞳で睨んでいる。
縋るエマを冷たく突き放し、鋭い言葉でエマの心を引き裂く。
――やめて!
エマの心は悲鳴を上げ、目と耳を塞ぎしゃがみ込んでいた。
もうこれ以上は聞きたくない、見たくない。
全部わかっている。この後どうなっていくのかを。
エマはやっと理解した。
これがただの夢ではなく、エマ自身が経験した記憶、エマが何度か繰り返している人生の記憶なのだと。
エマはそのいくつもの人生で、裏切られたり、傷つけられたり、陥れられたり、その結末は全部違っていたが、共通していつも悲惨な最期を迎えていた。
それでもオーウェンを慕い続け、そして最期に次こそは幸せになりたいと強く願い、エマは知らずにやり直しを繰り返していた。
そして、前回の最期に祈った。
こんな悪夢はもう終わりにしよう、次に見るなら――
目を覚ましたエマは、声を上げて泣いた。
何度も報われない思いを繰り返し、それでも幸せになろうと生きてきた過去の自分を抱きしめたかった。
刻まれた記憶はとても残酷で、どんなに望んでも、どんなに努力しても、幸せにはなれなかった。
オーウェンの隣にいる未来はやって来ないのだと、今のエマを絶望へと突き落す。
――オーウェン様
どうしてこんなにもオーウェンに惹かれているのか、やっとわかった気がした。
でも、どんなに思い続けてもこの思いは叶うことはない。
花瓶に飾られた黄色いダリアが目に入る。
オーウェンはエマが寝込んでしまってから、お見舞いとして何度もダリアの花を贈ってくれていた。
またポツリと涙が零れる。
今度こそこの思いを諦められるのだろうか――
なぜオーウェンと出会ってから、思い出してしまったのだろう。
もっと早くに知ることが出来ていれば、こんなに苦しい思いをしなくてすんだのに。
そんな思いがエマの中に渦巻いて、駆け巡っていく。
初めてオーウェンと出会った時、なぜか近づいてはいけない気がした。
――あの時に自分の感覚にもっと注意していれば。
オーウェンと四阿で過ごしていた時、声が聞こえた気がした。
――その声にもっと耳を傾けていれば。
ダリアの花が大好きだったと言った時に母親に不思議がられた。
――いつから好きだったのか思い出していれば。
いつだってダリア庭園を初めて訪れた時に、あまりの美しさに感動して大好きな花になっていたのだ。
その記憶が今回のエマには最初から残っていた。
今までも自分自身の記憶から、警告されていたのかもしれない。
警鐘が幾度となく鳴っていたのに、それに気付く事など出来なかった。
いつか今抱えているこのどうしようもない気持ちも忘れることが出来るのだろうか。
忘れられなくても、折り合いがつく日が来るのだろうか。
一度溢れ出した涙は止まることなく、加速する胸の痛みと、行き場のない思いを全て吐き出すように流れ続けた。