【33】
女がその白い腕を軽く振っただけで、船は緩やかに湖へと滑り出した。
音もなく出港した船が充分に離れたところで、岸の小石の光が不意に消え闇に飲まれた。
女は対岸にむかうと言ったが、船は暗闇へ進むため不安はつのるばかりだった。
トゥルーたちは暗くなった岸に背を向け、舳先で前方を見つめる女を見た。
「魔法、魔法、魔法。何もかもが魔法なんだな」
ラウルがうんざりしたように呟いた。
船は手すりをはじめ、帆までも石で出来ていた。
船内はがらんどうで大きな空間に甲板へ続く階段があるだけだったし、甲板も帆柱がある以外椅子も舵もない。
魔法以外にこの船を動かすことは、無理だと誰もが感じたことだった。
「仕方ないだろう。ここは神の山なんだから」
トルドが手すりにもたれるように座り込み、皮肉たっぷりな笑顔を浮かべた。
「トルド、お前なんでそんなにつっかかるんだ? 変だぞ」
「突っかかってなんてないだろう? 本当のことを言ってるだけだ」
ラウルの言葉にトルドは肩をすくめる。
「スコットを見捨て、今度は誰を犠牲にするんだ? エルナン」
「トルド、やめろよ。納得してなかったんなら、どうして残らなかったんだ? 戻ってスコットを捜せばよかっただろう。ここでエルナンを責めるのは違うだろう」
「違わないさ。スコットがこの『遠征』にどれだけ期待して臨んだかを、エルナンも知ってた。あんなとこで脱落させちゃ駄目だって。眠ってても変でも先に進ませるべきだって」
「ラウル、トルドやめてください。今そんなことで言い争ってる場合じゃないでしょう?」
エルナンが割って入る。その言葉にトルドが目をむいた。
「そんなこと? そんなことってどうゆう意味だ」
「……スコットのことは私も残念だと思ってます。ですが今は……」
「残念……それで済ますのか? それで済まして、また誰かを犠牲にするのか?」
トルドの悲痛な声が響いた。エルナンはまっすぐにトルドを見つめている。
トゥルーはとりあえず2人を止めようとして、一歩踏み出し何故かそのまま座り込んでしまった。
「あ、あれ?」
躓いたわけでもない。なのに、立ち上がろうとしても足が立たない。
「どうかしましたか? トゥルー?」
ペタンと座りこみ、1人で立ち上がろうともがくトゥルーにエルナンが気が付いて手を出した。
だが、やはり立てない。
「どうした? 疲れて動けないのか?」
「いえ、どこもなんともないですけど……」
ラウルにむかい首を傾げながら、なんとか立とうと努力するがまったく足が動かない。
「どうしたの?」
トゥルーを囲み覗き込んだメンバーの間から、女が顔を出した。
ラウルがよって、かわりに女がしゃがみこむ。
「トゥルーが立てないみたいで」
「立てない? ああ、あなた魔法使いね。この船魔法を吸い取るから気をつけてねって言うの、忘れてたわ」
ごめんね、と女が笑った。ちっとも悪いと思ってない顔で。
「遮断できる?」
「遮断?」
はじめて聞く言葉にトゥルーは女を見上げた。
「そう、言わない? なんかしばらくそうゆう言葉使ってないから、うまく思い出せないわ」
トゥルーの茶金の髪に、その指が触れた。
途端、くっついたように動かなかった足に、力が戻ってくる。
「あなた、太陽の魔法を使うのね。ちょっとっていうか、かなり不安定な力だけど……。でも船が喜ぶはずだわ。まがりなりにもバランスはとれるんだものね」
不思議そうに見守るメンバーを見回して、女は立ち上がった。
「まあ、それは置いといて、誰が残るかは決まったの? この速さならすぐ対岸につくわよ」
「好きなの選んでください。置いてきますから」
間を置かず、エルナンがそう返した。最初から決めていたことのように、簡単に。
「あら……そんなこと言っていいの?」
「私たちでは絶対に決めれませんから……それより、どうして代償が人なんですか?」
「それは……・そうねぇ、見なさい」
女が右手を振り上げ、帆を指差した。白い石で出来た膨らむ帆には、森が映し出されている。
その森の中をいくつかの影が、草を掻き分けながら必死に進んでいる。
白い装束の影は6つ。どこかで見たような姿だ。
「あれは、俺たちか?」
「そうよ。『遠征』なんて立派な名前がついた旅をしている割には、何か呑気な感じがしない?」
女は不満そうにそう言った。
森の中では、トルドが頭を抱えてしゃがみこみ、ラウルはどうでもよさそうに肩をすくめている。その傍らではスコットが草をちぎっては幸せそうな顔で空にほおって遊んでいる。
それはどうみても遠足とかキャンプとかの途中の風景で、緊迫感というものが見えない。
「……まあ、そういわれればそうだけどさ……」
「もう少し緊張感をもって行動してもらいたいと思うのよね……岸が見えてきたわよ」
脈略なく女が告げる。トゥルーたちは女の視線を追った。
決して近くはないが、あと少しの距離に白い石の敷き詰められた岸が浮かび上がる。
「あなた達は『遠征』が行われるようになって初めてこの湖までやってきた、選ばれし者。ならわたしはあなた達がこの『遠征』に成功できるよう協力してあげようと思うのよ。そのためにはどうするか―――」
女はそこでメンバー1人1人を見つめた。
楽しそうなその表情は、悪巧みを考えている顔だ。
「人質をとるということですか?」
と、言葉を受け取ったのは、エルナンだ。その目が怒っている。
「目的があると旅は楽しいものになるわよ。それも仲間を救う旅になれば」
「今だって目的はありますよ。『太陽の子』を復活させるっていう目的がね」
「『太陽の子』……本当にそんなものがあると信じてもいないくせに」
女が心底おかしそうに笑う。そして、エルナンと向き合う。
女の注意がエルナンに注がれている間に、トゥルーの耳元でトルドがささやく。
「トゥルー、お前泳げるよな。合図したら湖へ飛び込め。岸まで泳ぐんだ……今だっ!」
頷くより早く、トルドがトゥルーの腕を引っ張って手すりを越えた。
ほかのメンバーも次々と飛び越える。
そのまままっすぐに湖へと潜るはずだった。
だが、一瞬何が起きたか分からないまま、
「さすがに機転は利くようね」
という、女の声に息を呑んだ。
水面に足が着くと同時に、甲板の上へと跳ね返されていたのだ。
トゥルーたちは床に無様に転がって、その声を聞いていた。
「水は女の管轄なのよ。太陽神のお膝元とはいえ、この湖の上ではわたしの方が有利だって、どうして分からないのかしら。まあ、少しは骨があるってことは分かったけど」
試されたのだ、と全員が唇をかむ。
自分達がどう行動するかを、この女は知りたかったのだ。
ラウルが体を起こす。
「俺たちをどうするつもりだ?」
「どうするって、対岸まで無事送り届けるわよ。そして、代償として誰かに残ってもらう。言ったとおりよ」
トルドの前で足を止め、しゃがみこんでその顔を覗き込む。
「あたしの好みはあなたなんだけどね……今回は我慢して彼にするわ」
女はタイロを見た。そして、指を鳴らす。
音がひどく大きく響き渡る。
「うわっ!」
音とともにタイロの真下に穴があいて、その姿が吸い込まれるように穴の中へ消えた。
「タイロっ!」
慌ててそこへと近づくが、もう石の床には穴があった痕跡すらなかった。
女を振り返る。
「な……タイロをどこへ」
「ただここに置いといても意味がないでしょ。だから彼には、わたしが作った迷路に挑戦してもらうわ」
女が顎で帆を示した。帆には闇が降りていた。その中心にタイロの姿。
暗闇の中で不安気にキョロキョロ見回している。
「力作だから飽きさせないわよ。考え付くありとあらゆる遊び道具もつけてあるし」
自信満々にそう言って、微笑む。トルドが立ち上がって、女に掴みかかった。
「タイロを戻せ。俺が残るから、あいつは……」
「それは、駄目。もう決めたから」
肩を落としたトルドの手を、エルナンが引き剥がした。
「これは契約ですか?」
「そうとってもらってもかまわないわ」
「なら私たちが目的を果たせば、タイロは返してもらえるんですね」
女は頷いて、言った。
「……船が着くわよ。仲間を助けたかったら、頑張りなさい」
悪役のような一言を母親の声のように慈悲深く―――
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