【2】
部屋に入ると、すぐに『遠征』の白い服が目についた。
殆んど使うことのなかった机の上に、きちんと置かれている。
白い豪奢な布地に白銀の糸だけを使って刺繍の施された服は、神への《敬虔さ》を表しているのだと、ティラから聞いたことがある。
昔は、神に近づくことを許される、名誉ある儀式だったらしいが……。今では殆んどの人が気付いている。
この『遠征』が―――イケニエ―――に近いということを。
それでも、人々が『遠征』をやめられない。
【太陽伝承】の中にも、歌われている。『遠征』を拒否したが為に、7日7晩の豪雨がル・シーニ全土を襲い多くの犠牲を出した、と。
結局人々は、7人の『遠征の勇者』を決定した。そのとたん、雨は止み太陽がその姿を現した。
そんなことが何度か繰り返された後、人々はやがて『遠征』を拒否することは即、ル・シーニの滅亡を呼ぶのだとその魂に刻み込んだ。―――イケニエ―――の言葉もここらへんから来たものだろう。
表立っては誰も言わない……いや、言えない。でも皆心では思っていることだ。
トゥルーは溜息をついて、机の上の服を持ちあげた。触り心地の良いそれは、どう考えても旅装束にはむかない。
しぶしぶいったのろさで着替えを終えて、長めのマントを銀の留め金で止める。
「このマント、一体何の為にのものなんだ? 森に入ったらこんなもの邪魔なだけだっていうのに」
腰のベルトに、やはり実戦にはむかなそうな銀の剣を下げる。
「剣なんて1度も使ったことがないのにな……」
(邪魔なものばかりだ)
吐息まじりに、そう呟く。
人が暮らした後のない、殺風景な部屋を見回す。
魔法を会得する・・・そう決めたときからトゥルーはティラの下、神殿の生活をはじめた。
人語ではなく、魔法語での会話。野山を駆け回るかわりに、神殿で経典を写していた。
次第に世界のことを理解して、人々の話が耳に入るようになって、はじめて母と神殿の関係を知った。
トゥルーが神殿に上がることを何故あれほど嫌がったのか、その時知った。
もうその時は戻れなかったが……。
脱いだ服から小さな袋をはずし、剣の脇に括りつける。
「これで準備は良しだな」
もう一度、部屋を見回す。
戻ると言ったものの、トゥルーもこの世界の人々と一緒だった。はじめてその伝承歌を聞いたときから、そう思っていた。
神に近づく? それは嘘だ、と……。
帰ってこれないかも知れない―――そんな思いが胸に溢れて、トゥルーは頭を振った。
「……そろそろ、行かなくては……皆が待っている……」
必死でそう声を押し出し、浮かんだ心の中の嫌なものを追い出す。
何の思い出もない部屋に背を向け、トゥルーは部屋を後にした。
台所まで行くと、マールの姿がなかった。
トゥルーは来た廊下を戻り、自室の向かいの部屋の扉を叩いた。
「母さん……いる?」
返事はないが、気配はある。
トゥルーは、胸のペンダントを握りしめて、言葉にする。
「行ってくるよ、母さん。必ず帰ってくるから、待ってて……母さん」
「トゥルー」
行こうとしたトゥルーを、マールが呼び止めた。
振り返ったが、扉は閉められたままだ。
「トゥルー、私の言ったことを忘れないで」
扉の中から泣き声が混じった声で、そう告げる。
トゥルーは真剣なマールの瞳を思い出して、微笑んだ。
胸がムズカユイというような、ほっとしたような表情だ。
「分かってる。忘れないよ、母さん……じゃあ、行ってくる」
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