【25】
流血シーンあります。
苦手な方はご注意ください。
その夜は、嵐だった。
激しい風と雨の音に目を覚ましたタイロは、胸騒ぎを感じて部屋を抜け出した。
屋敷はいつもと変わりなく寝静まっている。
退屈そうな顔で立つ警備員を横目に、少女のいる棟を目指す。
少女に会いにいく訳ではない。少女のいる棟は神の加護に預かる聖殿と呼ばれる棟で、そこには外部すべてを完全に遮断した祈りの間と呼ばれる部屋があるのだ。タイロは、不安や悩みがあるときいつもその部屋に行く。そうすると、不思議と心が静まった。
聖殿の暗く冷たい通路を進む。と、遠くから悲鳴が聞こえた。
聞きなれたその声に、タイロは足を止めた。
「まさか、な」
そう笑おうとしたが、引きつっただけだった。かわりに言いようのない不安が鼓動になって、胸を締め付ける。
祈りの間よりさらに奥。そこは神様の管轄で、この屋敷の中で1番安全な場所なはずだ。
「大丈夫だ、きっと、何か落とすか転ぶかしたんだ。しっかりしてるようで、おっちょこちょいだから……」
自分に言い聞かせるように呟くが、不安は募るばかりだった。
タイロはまっすぐな廊下を見つめた。タイロが一度も入ったことのない、少女の住んでいる場所。
意を決して何の障害もない廊下を進み、やがて光の漏れる部屋へとたどり着く。
中からは物音1つしない。息をひそめそっと扉を開ける。
「一体何が……」
部屋はひどいありさまだった。布団が切られ中の羽がとびまわり、棚の上のものが落ち、さらにあちこちに赤いものがこびりついている。
誰かいないかと部屋を見回す。
早くここが誰の部屋なのか知りたかった。少女の部屋でないことを確認したかった。
そして部屋の奥、隣室へ続くらしい扉の前に飛び散った赤とは違う何かを見つけて、タイロは足を進めた。
膝をつき拾い上げる。
しわくちゃで所々ほつれているが、それはリボンだった。
海の声を聞く者に与えられる真紅のリボン。この屋敷ではたった一人、少女だけが持っているもの。
「何があったんだ?」
立ち上がると同時に、扉の奥でガタンという音がした。
タイロは慌てて扉を押す。
「タイロっ!」
タイロが少女を見つけるより早く、その声は響いた。
「どうして来たの?」
「君の声が聞こえたから」
何もない部屋の中央、小さな祭壇の前に少女はいた。その長い巻き毛を捕まれ、首に剣を突きつけられている。
剣を辿り顔を上げると、どこかで見たことのある男が立っていた。
「ようやく来たな。お前を待っていたんだ」
「兄さんどうして……」
「決まってるだろう。私が王になるのに、お前が邪魔なんだよ」
言いながら、その剣を少女の肩に突き刺した。
少女が悲鳴をあげる。
「王になる? 貴方ならこんなことしなくたって、王になれるはずだ!」
「海に選ばれないものは王になれない」
「貴方も王候補でしょう、海の巫女に選ばれたはずだ」
「私の巫女は死んだ」
男はさらに剣を深く沈める。少女は身をよじった。
「駄目っ! こないでっ!」
たまらずその側へと駆け寄ろうとしたタイロを、少女が睨み付けた。
血走ったその瞳は、タイロを凍りつかせた。
男はそんなタイロを横目に、少女の体から剣を抜いた。そして、
「巫女は死なない。その体をどんなに傷つけても。なぜなら次の王が選ばれるそのときまで、海とともにあり王を守るからだ。なのに、私の巫女は死んだ」
今度は間違いなく致命傷になるだろう場所に剣を差し込む。
声にならない悲鳴が空気を震わせ、タイロは思わず目を閉じた。
だがその瞼には、彼女の姿が焼き付いていた。目の前の少女よりさらに惨い姿が。
「俺が邪魔なら、俺を殺せばいいだろう!」
「殺すさ。でも先に巫女を動けなくしておかないとな。……ああ、そうか、お前は知らないんだな」
男は笑って、剣を少しだけずらした。さらに悲鳴があがる。
「……苦しいだろう? 助けを求めたらどうだ? タイロ、お前も王候補なら巫女を助けてみたらどうだ?」
間違いない挑発に、タイロは震えた。
その言葉で、この後何が起こるかタイロは思い出したからだ。
「嫌だ。嫌だっ、俺は……俺はっ!」
―――お願い、逃げて。貴方が生きていれば、私は死なないっ!
「……お願い、助けて。もうこれ以上私を傷つけさせないでっ!」
タイロの言葉に合わせるように、少女が叫んだ。
だが、それはタイロの知っているものとは違う言葉だった。
「えっ?」
「お願い、助けて」
苦しげに少女が手を伸ばす。タイロは目を見開いて少女を見つめた。
タイロが知っている最後の少女は、逃げろと言っていたはずだ。
自分は死なないからと、だから逃げろと。そうして海の守りを呼んだ。強制的にタイロを逃すために。
「何で、今それを言うんだ……何であの時、そう言ってくれなかったんだ……そしたら、俺は……」
泣きそうになりながらタイロはそう呟いた。
少女も男もタイロを無視して、タイロの知っている筋とは違う話を演じている。
タイロがあの時もっとも望んだ物語を……。
「あの時、俺は、君を助けられなかった」
うなだれて、そう言う。少女が、男が不思議そうな顔でタイロの方を見た。
「あの時、俺はただ海に、君の願いに流されただけだった……でも今、君はここにいない。……どうしてだろうね、どうしてここにいるのかも分からないのに、それだけは分かるんだ。君はもう、俺の傍にはいないって」
その言葉が鍵だったのだろうか? タイロの体に何かが巻きついてきた。
それは『あの時』、断ち切ろうともがいた海の守りに似ていた。タイロを無理矢理、海へと連れ出した感触に。
あの時より少しか弱く、頼りなげではあったが―――海の守りと同じように、タイロをどこかへ導こうとしていた。
「トゥルー?」
まとわりつく感触に中に何かを感じ、タイロは何故かその名前を呟いていた。
☆☆☆
「手加減してるでしょ」
その動きを突然とめて、姉が悔しそうな目をする。
エルナンは受け流そうとあげた手を下ろし、姉を見た。
「貴方こそ、手加減してるんじゃないですか?」
「手加減? してないわよ、手加減なんてもう必要ないでしょう」
肩をすくめた姉に、エルナンは溜息をつく。
「手加減じゃ、ないんですか」
「あら、手加減して欲しかったの?」
眉を寄せ俯いたエルナンの言葉に、姉は首をかしげた。
「そんなことはないですよ。手加減なんてして欲しいわけないでしょう」
「そうよね。ならどうしたの? 貴方なんて、突然他人行儀な言い方して」
エルナンは少しだけ笑ってみせる。
「いえ、姉ではない方に『姉さん』なんて失礼だと思いまして」
「何よ、その言い方」
腰に手をあてて、頬を膨らます。
「あたしが狸や狐だっていうつもり?」
「その方がましかも知れません」
「……一体どうしたの? あら、もしかして、落ち込んでるの?」
「落ち込む? 私がですか? まさか」
くすくすと笑う姉に、エルナンも微笑む。
「私がそう言ったことと無縁なのは貴方が姉なら、よく知ってるはずでしょう?」
「そうね……そう、だったわね」
「そうですよ。忘れたんですか?」
姉はひどく寂しそうな顔をした。
「私が姉じゃないって、どうしてそう思うの?」
「それは……」
仕草も口調も姉と変わりない。姉そのものだ。
だが、そのどれもに妙な違和感を感じる。
「貴方が、私の望むとおりに動きすぎなんですよ」
「?」
「姉は一度だって私の思うとおりに動いてくれることはなかった。喧嘩してるときでさえ、私が思った場所に攻撃することがなかったんです。わざとそうする以外は」
姉の攻撃をよけれるのは姉が手加減したときだけ。
「貴方は、私が考えたところにしか攻撃してこなかった」
「そっか。エルナンは自分が強くなったなんて思わない人だものね……忘れてたよ」
嬉しそうに姉はエルナンを見上げる。
姉と取っ組み合いの喧嘩(?)をしなくなったのは、エルナンが姉の身長を追い越した頃だった。
「もう、忘れてたよ」
「私は姉に感謝してるんですよ。もし姉がいなかったら、私はここにいなかったでしょうから」
「うん。でもエルナンにはもう、私はいらないんだね」
背を向けて、空を見上げる。姉が旅立つとき最後に見せた背中。
「なんか寂しいなあ」
「姉にもそう言っていただけると光栄いいんですけどね」
「大丈夫だよ。すごく上手に笑えるようになってる」
振り返る。
「これから、どうすればいいか分かってる?」
「後は、トゥルーが……何とかしてくれるのを待ちます」
「そう。じゃあ、あたしは行くね」
トン、と大地を蹴って姉は空に浮かんだ。
その姿はぼやけて、もう誰だか分からない。
エルナンは、それを黙って見つめていた。
「……頑張って」
その姿は言葉と同時に解けて消えた。
エルナンは、白い世界にもっどってしまった辺りを見回した。
そして、思いっきり笑い出した。
それは、生まれてはじめて心からの笑いだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も、よろしくお願いします。




