【22】
振り返ると、白い世界が広がっていた。
何が起こったのかよく分からず、エルナンは首を傾げる。
辺りを見回してみるが、今まで共にいたはずのメンバーも森も、なくなっていた。
前も後ろも、右も左も、上も下もただひたすら白1色。
かろうじて足元には地面があるらしく、立っていることには支障はない。
「一体、何が?」
足元を確かめながら進んでみる。数歩進む間にも、目の前に突然白い壁が現れるような錯覚に襲われ、思わず足を止めては手で目の前の空間を探る。
当然目の前に壁などないのだが。
足を止めもう一度あたりを見回す。
「どこかへ飛ばされたのでしょうか? 森が突然こうなるとは思えませんし。」
エルナンはそう呟き、一人頷いた。白い空間にその声は妙な具合に響いていく。
「……少し整理してみましょう……まずスコットの姿が見えなくなった。そしてトゥルーが逃げろと叫んだ。トゥルーに背を向けたとたん風が吹いて……振り返ったら、ここにいたと……」
思い当たることを口にだす。
「あの風のせいですか? トゥルーに見えたということは、あれは魔法の風?」
考え込む仕草をしてみる。
「もし魔法だったとして、その魔法が一体何の魔法なのか、移動の魔法の必要はないでしょう。衝撃もなかったし……」
洞窟までの移動を思い出して、顔をしかめる。
「その他なら……肉体的なものか、精神的なものか……」
髪をかきあげ、腕を組み溜息を1つ漏らしたとき、足音のようなものが聞こえてきた。
辺りを見回したが、空間に異変はない。なのに、音は次第に高まっていく。
「誰かいるんで……わっ!」
言うより早く、後頭部に衝撃がはしった。
不意をつかれたエルナンは、顔から白い床に突っ込んだ。同時にあがる笑い声。
「相変わらず、どんくさいのねぇ。エルナンは」
女の声だった。となりのおばさんのような口調だ。
エルナンはやっとの思いで体を起こす。
「何するんですか、姉さん。どっからきたんです?」
「どっからって、家からにきまってるじゃない? 他にどこがあるのよ」
「わざわざ追いかけてきたんですか?」
「追いかける、なんで? 家の前でボケてるから声かけただけでしょう。大丈夫なの、頭。それともとうとう壊れたの?」
女はにやにやと笑っている。言い方にむっと来たが、エルナンもにやにやと笑ってみせる。
この2つ上の姉は、いつだって本当のことを言わないのだ。
「使いすぎには気をつけてますから、壊れてはいませんよ。それよりここが家の前とは、姉さんの目の方がおかしいんじゃないですか?」
姉の目が怒りに形をかえる。エルナンも負けじと睨みつける。
2人の間に火花が散った。
「今日はやけに突っかかるわね。……久々に、やる?」
「いいですね、受けてたちますよ」
言うが早いか、その右ストレートがエルナンに向かってきた。
☆☆☆
こんな白をどこかでみたことがある……どこだったろう? ああ、そうか雲みたいなんだ。
目の前に広がった白い世界は、タイロのその想いに答えるようにゆっくりと凝縮し、やがて青い背景の中心に収まった。
そしてその白い塊は雲になり、青い背景は空になる。
タイロは考えるのをやめて、仰向けに寝転がった。
耳元に風に揺れる草の音が聞こえはじめる。
それはひどく懐かしい音だ。
日が昇り誰かが自分を起こしにくるより早く、寝台を抜け出しいつもの場所に向かう。
小さなゲートを抜けて緩やかな坂を登り切ると、地面のかわりに海が見えてくる。
そこが、タイロとあと1人だけしか入ることを許していない、いつもの場所だ。
いつからかそこに寝転がって、雲の流れる空を見るのがタイロの日課になっていた。
毎日があたりまえのように過ぎていた、あの頃の。
「やっぱりここにいた」
どのくらいそうしていたのか、声がして白い雲が影に遮られる。ほっとしたような呆れたような、やわらかな声だ。
タイロ以外でこの場所に入れる、唯一の少女のもの。
長い巻き毛とスカートを風になびかせ、タイロをのぞきこんでいる。逆光で見えないが、その顔は微笑んでいるはずだ。
「早起きなのはいいけど、部屋を抜け出すのはもうやめた方がいいわ」
「ここに来るのは分かってるんだから、別に心配しなくてもいいだろう?」
いつもの注意を聞き、いつもの答えをタイロは口にする。
少女は腰に手をあて、頬をふくらます。
「そうはいかないわよ。みんな心配しているんだから。それに、貴方のせいで毎日朝早く叩き起こされる人の身にもなってほしいわ」
「……子供じゃないんだから、家の中にいるときくらい自由にしたっていいじゃないか。どうせここ以外には行かないんだし……」
「あら、そう言って、この間町に行ってたのはどなた?」
「それは……」
勝ち誇ったように言われて、タイロは口ごもった。
絶対にばれないと思っていたのに、つい喧嘩して怪我をしたのがまずかった。
おかげで唯一外出の理解者だった少女まで、こんな風になってしまった。
「みんな心配しているのよ。お兄様があんなことになったばかりですもの。あなたの姿が見えないだけで、みな不安でしょうがなくなるのよ。何かあったんじゃないかって」
「……」
「あなたの体は、あなただけのものじゃない。たくさんの人があなたに希望を託しているのよ」
いつもより熱の入ったお説教に、タイロは肩をすくめた。
確かにここ何日かですぐ上の兄2人が立て続けに命を落とした。だが、その1人は前から病弱だったし、もう1人は危険なことが3度の飯より好きな人だった。
皆いつどちらの訃報がもたらされるのかと、はらはらさせていた人たちだ。
勿論不幸が重なった偶然に意図的な何かを噂する者も多かったし、それに近い状況は何度も起きている。心配するなというのは無理だろう。
「息がつまるんだ。……俺は、『王』になるつもりないんだから、ほおっておいて欲しいのに」
少女は溜息をもらして、タイロの横に座り込んだ。
「……海はあなたを呼んでいるわ。あなたがどう思おうと、それだけは確かよ」
「また始まった。君の呼んでいる、が……何度もきいたから分かってるよ。でも俺は『王』になんてなりたくない」
「あなたが決めることじゃないでしょ。決めるのは海だもの」
「それはそうだけど、拒否権はあるだろう? 俺には13人も兄弟がいるんだ。『王』にふさわしい立派な人たちだよ。だから、俺じゃなくてもいいはずだ」
体を起こして、大きく首を振る。弱々しい言い訳にしか聞こえない言葉を、少女は黙って聞いていた。
「もう、やめよう、こんな話。せっかくいい天気なんだし、さ」
「……もう時間がないの」
「なんで? 父はまだ生きているよ」
「生かされてるだけだわ」
ひどく暗い声で少女はそう言った。
「もう限界なのよ。海の呼び声は日に日に強くなってる。次の王が選ばれる時は、もう来てるわ」
「やめてくれ、聞きたくない……俺は、『王』になりたくないんだ。すべて無くなってもいいと思ってる。君が……」
―――いてくれれば……
タイロはその言葉を飲み込んで、頭を抱えこんだ。少女の視線が痛い。
「ねぇ、海の声、あなたには本当に聞こえないの?」
哀しそうな疑問に、タイロは答えなかった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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