【1】
「あら、お帰りなさい。トゥルー」
衝撃の発表の後、ラウルの愛馬・ドルフを借りて跳ぶように家に帰ったトゥルーを迎えたのは、いつもと変らない母の声だった。
泣いているかも……と心配していたトゥルーは、そんな母に少し驚いてあいまいな返事をしただけだった。
「今まで何をしていたの? 連絡もしないで」
「ティラ様の所へ。招霊の呪文のスペルかうまくいかなくて……」
「空文字?」
あまり知られていない魔法用語を、母親は軽く口にする。
「うん」
「昔は私も使えたのよ。ごく簡単なやつだけど」
トゥルーの母。バトラー・マールは昔、―――正確にはトゥルーを生むまで―――太陽神殿の巫女であった。魔法用語くらい分かって当然なのだが、トゥルーが神殿に上がると知ったとき、その少女のような顔を鬼のようにゆがませて反対したものだ。それ以前にしたって魔法の“ま”の字が出るのも嫌がった。一体何があったのか……。
それでもトゥルーは魔法にあこがれて神殿に上がった。おかげでトゥルーとマールはその後5年以上顔を合わせなかったほどだ。
「3日前よ」
何を言ったらいいのか考えているうちに訪れた沈黙を破ったのは、マールだった。
「3日前、ティラ様とローサン様がみえて、貴方が『遠征』の勇者に選ばれたと言われたわ」
お座りなさいと促されて、トゥルーはおとなしく椅子に座った。
話をしなくてはならない、いろいろな、事を。
「トゥルー、貴方には話しておかなくてはならない事がたくさんあるわ。バトラー家のことや力の系譜、そして―――父親のことも」
マールは軽く頭をふってトゥルーを見つめる。しかし深い悲しみを称えた瞳は強い意思の光を持っている。それはトゥルーの知らない―――神に仕えた巫女としてのバトラー・マールの一面だった。
トゥルーは無言で母親を見た。
「私はねトゥルー。お前がここに宿ったと知ったときから、この日が来るのが分かっていたの。貴方が特別な子供で、『遠征』の勇者に選ばれる、と……」
自分の腹に手を触れ、ふぅ、とため息をもらす。
「いつか、話さなくては……そう思って結局、今日まで話す事が出来なかった。時は待ってくれない事も、行動しなければ何も変えれない事も分かっていながら、自分に目隠しをして逃げていた……」
「母さん……」
トゥルーはそう言って、首を振った。
「母さんは、オレが『遠征』に行った後の事も分かる?」
「・・・いいえ、それは見えなかったわ」
見えなかった……、マールは未来見をしたのだ。なら、それは確定していない未来があるということ。
それは予感と違って、決まってない未来は絶対に見えないのだ。
「母さん、オレは必ず帰ってくる……必ず、何があっても」
気休めにしかならないような言葉を、トゥルーはあえて口にした。
待ち合わせの時間が近づいていたこともあったが、聞きたくなかったのだ。マールの話を。
逃げているのは、自分も同じだ……と、トゥルーは思った。
「トゥルー」
マールは、トゥルーと同じ青い瞳を潤ませた。
「ちゃんとした話は帰って来てからでいいのね」
言いながら、ゆっくりとした動作で自分のペンダントをはずして、トゥルーの首へとかける。
小さな丸い金のプレートに、何か不思議な模様が描かれてた、トゥルーが子供の頃からマールが身に付けているものだ。
「母さん……」
「必ず帰ってくるんでしょう?」
穏やかにマールが微笑む。でも、少し苦しそうだ。
「トゥルー、これだけは、何があっても覚えておいて。他の誰の言葉も信じては駄目よ。ここで私が話すことだけが真実。私だけが真実を知っている事を、それだけは、忘れないで」
「分かったよ、母さん」
胸にかかったペンダントを握って、トゥルーは頷いた。
「トゥルー」
「か、母さんっ?」
マールが突然トゥルーを抱きしめた。
その細い腕が強くトゥルーの体を引き寄せる。
「トゥルー、私の<光の子>」
耳元でマールがそうつぶやく。トゥルーはその柔らかな感触に、ゆっくりと目を閉じた。
(最後にこうされたのはいつだったろう? ……懐かしい香がする……)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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