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光を探す者たち  作者: 砂糖醤油やきもち
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第二話 記憶を書き換える男

くるしい。


くるしい。


くるしくて、むねが押しつぶされてしまいそうだ。


もういっそのこと、押しつぶされてたおれたほうがらくになれるんじゃないか。


いったい、どれくらい走ったんだろう。




脚がだんだんと覚束なくなってきて、全身に息を取り込むことさえ難しい。


今気がついたことだが、僕の体は震えていた。



息を吐くたびにその震えは勢いを増していく。


その都度、気道がきゅーっと締め付けられる。


そうしてまた苦しくなり、新しい空気を取り込んで息を吐く。



この繰り返し。



いくら空気を入れ替えたところで、体の外へ苦しみが放たれることはなかった。

僕はただひたすらに、無意味だと分かっているこの作業を繰り返すことしかできなかった。



立ち止まりでもしない限り、この呪縛から解放されることはない。


だけど僕は、止まってなんかいられない。



もっと、遠くに逃げなきゃ……!



そうは思っていても、体はあまり言うことを聞いてくれない。


やはり疲れがたまってきている。


全身疲労困憊だが、特にきついのが胸だ。本当に苦しい。



僕の胸がこんなにも苦しいのは、走っていることだけが原因ではない気がする。


さっきからずっと、僕を煩わせているやつがいる。



何度も僕の脳裏に投影される、おじいさんの倒れた姿。


のろりと起きあがってきた血まみれのおじいさん。


不気味な律動で僕に向かってきたおじいさん。


怒り狂った魔獣のような目を向けたおじいさん。



あの記憶が思い出されるたびに、僕の全身は後悔とやるせなさで満たされてくる。


そのせいで、心が言葉にならない叫び声をあげて必死にもがいていた。


あまりにも強く暴れるので、口から飛び出してきそうだった。



事故現場に残されたあいつからは逃げられたとしても、残像は僕に付きまとったまま離れない。


一生懸命逃げているのに、全く逃げれている気がしない。



もうここで、未来に終止符を打つことになってしまうのだろうか……




「…………っ!!」



突然、握っていた彼女の手がするりと抜け落ち、現実に引き戻される。

振り返ると、羽咲が苦しそうに肩を上下させながら立ち止まっていた。

僕は彼女の異変にすぐ気づく。


膝から血を流していた。


恐らく、自転車から投げ飛ばされたときに怪我をしたんだろう。



「ごめん、無理して走らさせて」



彼女は何も言わず、首を横に振った。しかし、顔には辛さがにじみ出ていた。

まずは彼女の傷を手当てしないといけなさそうだ。



僕達は今、大通りに差し掛かろうとしている。大通りの向こうには、和泉季湾が見える。

そこには波止があり、海水であるが水を確保することが可能だ。

いかんせん、この辺りは建物が多く立ち並んでいる場所なので、公園などといった怪我の治療をしやすい便利な場所がない。



あまり海水の効能を知らないが、手当てをするに越したことはないはずだ。



信号を渡り、防波堤に沿って作られた歩道をゆっくりと歩く。


横では車がビュンビュンとスピードを上げて走行している。

あいつらも事故に遭ってしまえ、と思ってしまうくらい心が疲弊していた。



程なくして、波止に着いた。

羽咲を係船柱に座らせてから、僕はハンカチを取り出して海水に浸した。

十分に浸みこんだ海水を強く絞り、彼女のもとへ行く。



「ごめん、ちょっと痛いかもしれないけど我慢して」



そう伝えてから、手当てに取りかかる。

まず、羽咲の白い脚に流れ出している血を拭き取った。そして三角形にハンカチを折り、そこから斜辺を下向きにして横に細長く帯状にする。

それを彼女の傷口に当てた瞬間、小さな悲鳴が漏れ、体がビクッと反応したが構わず膝に巻きつけた。



「とりあえず手当ては終わったよ」


「ありがとう……」



羽咲は下を向きながらそうつぶやく。


そのつぶやきは潮風にさらされ、心もとなく二人の間を漂った。


この空気にいたたまれなくなり、僕は空を見上げた。

頭上には、屈託のない青空が広がっている。そこではカモメが悠々と飛んでいた。

フギャーフギャーと鳴くそいつは、僕達をあざ笑っているようにしか聞こえない。



なんだか空にまで全てを見透かされている気がして、もうどんなに遠くへ逃げても無駄なんだなと思った。



どうして事故を防げなかったんだろう。

自転車は注意しながら運転しろってずっと言われているのに。


なんであの時に後ろを振り返っちゃったんだろう。

聞こえなかっただけなら前を向きながらでも聞き返せたのに。



「……ごめん…ね…」



羽咲が沈黙の均衡を破った。

彼女の言葉には嗚咽が混じっていた。うまく聞き取れない。



「私が、あの時に、声……かけて……なかったら。二人乗りしよ……なんて、言わなかったら……うぅ…」



泣きながら、息も絶え絶えに言葉を紡いで僕に伝える。

彼女は、事故が起こったのは私のせいだと主張したいのだろう。

いや、それは違うはずだ。それ以前にもっと重大な問題がある。



「違うよ。出掛ける時に僕が許したからだ。二人乗りをしようってことを」



彼女が二人乗りをしようと誘った時点で僕は断ることができた。

危ないからやめようとか、自転車が壊れるかもしれないからダメとか言えたはずだ。

なのに、僕はそれを言うことができなかった。


浮かれていた。


油断していた。


女の子と二人乗りができるというシチュエーションが僕の判断を鈍らせた。


ちょっとくらいなら大丈夫だろうという甘い自分がいた。


自転車は常に危険と隣り合わせだと知っているのに。




僕は選択を誤ってしまったんだ。







「それにしても、これからどうしたらいいんだろう……」



それを考えれるようになったのは、羽咲が泣き止んで落ち着きを取り戻してからのことだ。


どうするというのは、この事故をどのように対処するかということだ。

僕達はおじいさんをひいた現場から逃げ出した。

つまり、ひき逃げ犯という存在になっている。

現場に駆けつけた警察官達は、血を流して倒れているおじいさんとその場に投げ出された自転車を発見する。

そして、おじいさんをひいた犯人を捜しまわるだろう。


おじいさんの生死は分からないが、今すぐに出頭したほうが罪は軽くなるのかもしれない。



しかし、もっと厄介な問題を二人は抱えている。



「容疑者扱いされるのはまだしも、慰謝料がね……」



事故の被害者から加害者に科すことのできるオプション、慰謝料こそが一番の悩みだ。

慰謝料は被害者の容体や家族構成、収入などをもとに算出されるが、想像を絶する額が要求される。

それを一般的な家庭で暮らす人が払うのは、非常に困難なことだ。

無論、二人は学生なので慰謝料を払う義務はお互いの両親に生まれる。



警察に出頭することは、暗に慰謝料を払わせることを意味していた。



「本当に取り返しのつかないことになっちゃったな。あー、事件がなかったことになればいいのに」



羽咲が本音を漏らしてしまう。それは救いようのない言葉のように思えた。

僕だってその言葉通りになってくれれば、どんなに救われることか。

それでも口にしないのは、そんなの言ったところで叶う訳がないと思っていたからだ。




すると突然、彼女の言葉に返事をする者が現れた。




「私ならその事件、なかったことにできる」



背後からの声に驚く。振り返ると、背の高い男が立っていた。

サングラスをかけていて黒い服を纏っている。

高い肩からはボロボロに傷ついた、汚れだか柄だか分からない濃いベージュの鞄を肩からかけている。


見るからに怪しい人だ。


男は羽咲に近づく。



「事件が起こらなかったという風に、記憶を書き換えてやろうか?」


「誰なの……?」


「ちゃんと質問に答えろ。私はどうするかと聞いているんだ」



どうやらこの男はふざけて言っているつもりではなさそうだ。


本気で聞いている。


羽咲に、僕に事件をなかったことにするのか否か訊ねている。

ただ、確実に彼女は困っている。突然の質問に戸惑うことしかできていない。



「先ほど、二人は老人を自転車でひいた。彼は病院へ搬送されたが、意識はないそうだ。これから警察はお前たちを容疑者として逮捕しにくる。被害者についてだが、町の小さな病院で院長を務めている。もう言いたいことは分かったな。慰謝料は収入から決められることがある。莫大な額が請求されることだろう。つまり、お前たちにはもう未来がないんだ」


「そんな。私たちじゃ、大きな額の慰謝料払えないよ・・」



淡々と事実だけを見知らぬ男は告げた。

ここで一つの疑問が思い浮かぶ。

事故の現場には、運がよかったのか周りには人が誰もいなかったはず。

それなのに、なぜこの男は僕達の犯したことを知っているんだろう。



「なんで、事件のことを知っているんだ?」


「その質問に答えることはできない。他言してはいけないんだ」


「なんでだよ。ていうか、事件をなかったことにできるって本当なのかよ」


「ああ、できるさ。お前らのどちらかに死んでもらえればな。それも、ただ死んでもらうんじゃない。生を選択した者が、死を選択した者を殺すんだ」



思いがけないその言葉に、鋭い寒気が全身にほとばしる。

それはだんだんと恐怖へ変わり、僕の身体を縛り上げた。

羽咲もきっと怯えているんだろう。僕なんかより責任感の強い彼女のことだ。もっと辛い思いをしているはず。



「出来事を書き換えるための代償だ。背に腹は代えられない。それからもうひとつ。死んだ者は、この世界から認識が消える。つまり、そいつは元々ここにいなかったと同然になるんだ。そいつの友達から両親まで、関わった全ての人から記憶がなくなる。しかし、安心しろ。殺した者だけには記憶が残る。それでもいいなら事件をなかったことにしてやろう」



男が追い打ちをかけた後、肌寒い風が背中を通り抜けた。


身体はすでに縛り付けられているのに、それを自分でさらに締め付けろと言っているようであった。


要するに、事件を無かったことにする条件としてどちらかが死ぬ必要がある。

しかもただ死ねばいいというわけじゃなく、殺さなければいけない。

そして、殺された人の記憶が全ての人から消えてなくなる。


近所の知り合いから。


友達から。


家族から。


殺された人と共に記憶もこの世界から消えてなくなるんだ。

極めつけには、殺した側のその人に対する記憶は残り続けるということ。

故に、殺した人はこの記憶にずっと苛まされ続けることになる。


結局のところ、逃げられないのだ。もう、何ごとからも。



自分を守って、相手を殺すのか。



自分の非を認めて、お互いの家族を陥れるのか。



僕達は今、選択を迫られている。



「まあ、そうすぐには決めれないだろう。とりあえず、事件に関する記憶を止めておくから考えておけ。事件をなかったことにするのか、現実を受け入れるのか。猶予を4日間与えよう。4日後の早朝に、ここで待っている。覚悟しておくんだな」


男はそう言い残してどこかへと去っていった。



4日間の猶予と、死にたくない、殺したくないという思いだけが二人を取り巻いていた。


なんだか洞窟に迷いこんだような感じだ。

闇に覆われ、冷気の張りつめた、閑散とした空間に閉じ込められている。


僕達は野原に戻ることはできるのだろうか。


ポカポカと心までが温まってくる、あの場所に。

平穏で時がゆったりと流れていく、あの日々に。




もう後戻りすることはできない。


残された時間は進むにつれて、減っていくだけだ。


進まなくちゃいけない。



二人は、この窮地から抜け出すための光を探し始めた。

この話をきっかけに、「光を探す者たち」は真の始まりを迎えます。

これからも読んでくれると嬉しいです!

次話は1月中に投稿できるよう頑張ります!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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