10-2
「はぁ~。
シャバの空気を吸うのは一日ぶりだなぁ!!」
病院からの許可を取って、俺とキサラギは病院の屋上に上がった。
「違う、四日ぶりだ。
何日間、奥様方に心配をかけたと思っている」
「わかってるって!
ライムにも散々、説教されたからな」
快晴の空の下、体を伸ばしているキサラギに対し、俺は買っておいた缶ジュースを投げつけた。
彼の好みを考え、コーラを買っておいたのだ。
キサラギはそれを、器用に掴み取る。
……報告で聞いていた通り、身体に異常はないということか……。
だが一瞬、無い筈の右腕を使おうとした。
やはり、失ったのが利き腕とくれば、そう簡単になじまないか。
「お、悪いじゃねぇか」
「お前には借りがあるからな」
「借り?」
「ああ、おまえが魔女ルイス達を撃破してくれなければ、恐らく俺は死んでいた」
「そいつを言うなら、俺だってそうだ。
あの時お前が守ってくれたから、俺はこうして生きてる。
これで貸し借りは無しだぞ」
俺達が不甲斐無いばかりに、キサラギは右腕を失った。
それなのにこいつは、今までと変わらずに笑っている。
俺にとっては不思議だった、何故こいつはこうも戦いに向き合えるのか。
こうまでまっすぐでいられるのか……。
不意に、キサラギがあっと声を上げる。
彼は俺に、先程渡した缶ジュースを差し出してきた。
「こいつ、開けてくれないか。
これで、こいつの分も貸し借りなしだ」
そうか、俺自身も忘れていた。
こいつは今、人にとって当たり前にできることが……出来ないんだ。
「……ああ、すまない」
開けられた缶を持ち、キサラギはフェンスに肘を掛けた。
屋上から見えるのは、セントラルシティの巨大なビル達。
地上には、病院の駐車場が広がっている。
「にしても、外はいいな。
空が晴れてると、気分も晴れ晴れしくなる。
このまま帰りたいくらいだ」
「そいつはダメだ。
お前の脱走を見逃したとなれば、俺が奥様か魔女様に絞められる」
「なんでだよ。
治ってんだからいいだろ?」
確かに、右腕以外の怪我は完治しているように見える。
だからと言って、おいそれと退院させるわけにはいかない。
本当に完治しているのか、精密な検査をする必要があるからだ。
それともう一つ言うなら「何故、こうも早く完治したのか」を調べる必要がある。
「そこが問題なんだ。
メイルも始動していない状態で、急速に怪我が治るなんて……普通の人間では考えられない。
なぜそうなったのか、裏に何か潜んでいないか、念入りに検査する必要がある」
「なぜそうなったか、ねぇ」
キサラギは、物憂げな表情で屋上からの景色に目をやった。
彼は街の外であったことなど覚えていないと言っていたが、本当なのだろうか?
失った右腕を簡単に受け入れたことや、例の端末に何の疑問も抱かない所から、変に勘繰ってしまう。
彼を疑うつもりはないが……。
「なあキサラギ……」
自分自身がボロボロになっても、何一つ変わらないキサラギ。
俺は、そんな彼に聞きたいことが一つあった。
「ん?
なんだよ」
「無理をする必要はない。
確かに、魔女様や奥様に心配を掛けさせたくないのはわかるが――」
俺が彼への問いを言い切る前に、キサラギはコーラを口に運んだ。
俺の声など、聞いていない様子で。
そして、小さくげっぷをしてから、俺へと口を開いた。
「お前までそれを聞いてくんのか?
無理してることがあるとすれば、ここが退屈で堪らないってことだ」
この反応……やはり奥様方に同じ質問をされたのだろう。
しかし、キサラギの態度が空元気でないとしたら、何故彼はこうも平然としていられるんだ?
「無理をしていないなら、何故平然としていられるんだ?
お前は散々傷ついた。
街の外では、いつ死んでもおかしくなかった。
それなのに、なぜお前はいつもと変わらない?」
キサラギは俺の問いを聞くと、苦笑いを浮かべた。
「また変な質問するなぁ、お前は」
「……教えてくれ。
魔女様のお陰か?
奥様が支えがあるからか?」
「どれも違う――いや、違ってはないか。
まあ言うなれば、俺がヒーローだからだ!」
「ヒーロー……だから……?」
正直、意味がわからなかった。
ヒーローだと、何ができると言うのか?
彼が周りからどう見られていようが、彼自身が命を張る理由にはならない。
傷つく理由には……。
「……いや、ヒーローでいたいから、かな。
カッコいい自分でいたいってのは、誰だって同じだろ?
俺は元の世界で、ずっとヒーローに憧れてた。
俺には絶対になれないって、思ってた。
でも今、俺はこの街のヒーローでいられる」
キサラギは、自らの右腕に視線を落とした。
彼の着ている寝間着の右袖は、だらりと垂れている。
「その為なら、こんなの安いもんだ」
その言葉に、俺の腸は煮えたぎるようだった。
右腕を無くして安いもの?
人の身体は、そんな安いものではない。
ヒーローであろうがなかろうが、それは変わらない。
今ならば、魔女様や奥様の気持ちもわかる。
キサラギにとっての、彼自身の価値は、俺達が思っている物よりもずっと低いのだ。
きっと、彼にとってはヒーローであること以外は、どうでもいいのだろう。
「……安いもの?
お前は……お前は右腕を失ったんだぞ!!
一生治らない、二度と戻らない……それが安いものであるものか!?」
俺は、思わず奴の胸座を掴んでしまった。
キサラギは、左手に持っていたコーラを、地面に落とした。
炭酸を含んだ黒い液体が、地面に水溜りを作った。
俺は怯えるキサラギの瞳に、ハッと我に返る。
「す、すまない」
俺はキサラギから手を離し、後ずさる。
俺には、彼にどう声を掛けたらいいのか、わからなかった。
魔女様や奥様なら、わかるのだろうか?
「た、確かに治らないけどさ、義手だってあるだろ?
ここの義手なら、元の腕と殆ど変らない生活ができるってライムも言ってたし……」
そう言う事じゃない……そうじゃないんだ。
何故彼は、こうまで傷つき続けられるんだ……?
「キサラギは、それで納得できるのか……?」
俺にはできない……出来る筈がない。
キサラギは、地面にこぼれたコーラをを見ながら、ぽつりと呟いた。
「お前は、何が言いたいんだ?」
その言葉に、俺は思わず目を見開く。
確かに、いま俺の中にある感情は、かき混ぜられたかのようにぐちゃぐちゃだ。
俺自身にも、わからない程に
「なんで俺の戦う理由なんかを聞く?
今のお前は、何かに縛られている……俺にはそう見えるぞ」
何かに……縛られている……?
「この前さ、俺もその……知り合いに言われたばかりなんだ。
俺の願いは、ぐちゃぐちゃだって。
それよりも貫きたい願いがあるだろ、って。
ノイン……お前の願いは、何なんだ?」
「……俺の……願い?」
俺の父は、警備隊の捜査局長だった。
恵まれた家庭環境に生まれた俺は、何一つ不自由なく生きていくことが出来た。
そんな環境で過ごす中で「俺の幸福を世界に還元したい」という願いが、俺の中で芽生えた。
俺が幸せなら、他の誰かも幸せであるべきだと思ったから。
そして俺は、親の七光りで警備隊に入隊した。
親の敷いたレールの上で、生きてきた。
いつか、誰かの役に立つ為に――。
でも……それでは、誰の役にも立てないと気が付いた。
マフル警備隊の結成から、約二百年。
その月日は、警備隊という組織の指揮系統を遥かに複雑にしてしまった。
組織の上からでは、人々の役には立てない……。
そんな時、俺は魔人の存在を知った。
そんなものが現れていると言うのに、魔物対策課にすべての対応を押し付けていることも。
だから俺は、魔物対策課に志願した。
人々の役に立つ為に。
「俺は……俺は、誰かの為になりたい。
誰かの為に、戦いたい……そう思って、魔人対策課に志願したんだ。
だが今の俺では、何もできない。
それどころか、俺が不甲斐無いばかりに、おまえが傷ついてしまった……!!
だから――」
「立ってんじゃねえか、誰かの役に」
キサラギは、屋上の柵に背を預けたまま、空を見上げていた。
そして、その視線を俺の瞳へと移す。
決して折れることのない、真っ直ぐな視線を。
「もう一度言うぞ。
俺は俺がヒーローでいるために戦う。
その為なら、どんな困難にだってぶつかってやる。
俺は俺の為に戦うんだ」
それは何度も聞いた。
初めて聞いたときは、なんて不純な動機だと思ったが、実際にキサラギは真っ直ぐに戦いに向き合っている。
そのことに、俺は……嫉妬していたのかもしれない。
「……ノインが何に縛られてるのか、今わかった。
お前は焦ってんだ、すぐに誰かの役に立ちたいってな。
だから教えてやる」
そしてキサラギは、先程落した缶を拾い、俺へと手渡してきた。
「お前の戦いは、俺の為になる。
俺の為に、戦ってくれ」
その一言に、俺の肩は憑き物が落ちたかのように軽くなった。
そうか……俺の戦いは、誰かの為になっていたのか……。
まさか、キサラギの言葉に説き伏せられる日が来るとは。
彼も、彼なりに成長しているということか……。
「ってことでまずは、こいつを捨ててきてくれ。
あ、床の掃除もな」
そう言うと、キサラギは屈託のない笑みを浮かべた。
「一瞬でも、お前を認めた俺が馬鹿だった。
偉そうに、俺を使い走らせるつもりか?」
「なんだよ、誰かの役に立ちたいって言ってのはお前だろうが!!
まずは下積みからだからな」
「新人研修ならとっくの昔に終わらせた」
「そうじゃねぇ――!!」
その時、不意に俺の腕時計が振動した。
この振動パターン……まさか、魔人か!?
キサラギも目付きを尖らせる。
だが、彼の右腕に無理やり巻き付けられた腕時計は、振動していない。
『ノイン、聞こえるか。
すぐに戻ってくれ、おまえに頼みたいことがある』
聞こえてきたのは、テンドルト課長のお声。
今日呼び出しが掛かる可能性があることは、昨日から伺っていた。
「課長、承知いたしました」
キサラギは、俺の右腕を掴むと、腕時計の小さな画面を無理矢理覗き込んできた。
「おっさん、魔人か!?」
『ただの業務連絡だ。
魔人の出現なら、おまえにも通知がいくだろ?』
「なんだよ、せっかくここから抜け出す口実が出来ると思ったのにさ」
実は今魔人が出現しても、キサラギと奥様には連絡が行かないようになっている。
彼なら病院を破壊してでも出撃しかねないからだ。
「ということだ、キサラギ。
安静にしてろ」
「はいはい……。
もう十分休んだんだけどな……」
俺は、彼の腕から缶を奪い取ると、病院を後にした。
今魔人が出現したとなれば、キサラギを出撃させる訳にはいかない。
彼の力を使わずに、魔人を退治する。
それがいま俺に出来る、キサラギのための戦いだ。




