9-1
『フィリップ2よりフィリップ1。
全ルート異常なし。
なお、依然魔女ルイスは確認できず。
オーバー』
グーンの車内に響く無線。
それに対し、戦闘服を着込んだノインが応答する。
「フィリップ1了解。
使用ルートをアルファに、フィリップ2は南門にて待機せよ。
アウト」
ノインの話を聞くところによると、俺を街の外に追いやってから、魔女ルイスはトンズラをこいたらしい。
今も警備隊が捜索を続けているようだが、先の無線の通り、未だに見つかっていない。
ノイン達はその隙を突いて、グーンともう一両の戦闘車両を率いて、俺の捜索に来たということだ。
ちなみにフィリップ1とは、このグーンをのコードネームである。
つまり、グーンまで駆り出して、ルイスを捜索しているのだ。
今のところ異常があるわけではないが、ルイスが強襲を仕掛けてくる可能性もある。
もしそうなった場合は、俺の護衛が最優先と聞いてはいるが、いざとなれば、この身体でも戦わなければ……。
俺の搭乗しているグーンは、いかにも軍事用といった、無骨な内装だった。
左右に設置された長椅子に、ライムやノインが座っている。
他の警備隊員達は、もう一両の車両に乗り込んでいるようだ。
俺を発見するという第一目標を達したからか、ここにいる全員が安堵の表情を浮かべていた。
とはいえ、懸案事項が無くなったわけではないが……。
そんな車内の一角で、俺はイブキに携帯食料を食べさせられていた。
元の世界でもあった、ゼリー状のドリンクだ。
イブキは俺の左側に座って、力の入らない俺の代わりに、ゆっくりゆっくりとゼリーを飲ませてくれている。
が――。
「がはっ!!?」
急に飛び跳ねた横隔膜によって、ゼリーが口から追い出されてしまった。
「旦那様!?
大丈夫ですか!?」
背中をさすりながら、イブキは優しく問いかけてくれる。
全身がうまく動かせなくて辛いが、彼女のお陰で元気でいられる。
「ああ……体が、言う事を聞かないだけだ……」
俺は俯き、中途半端に喉から口内に出てきたゼリーを飲み込んだ。
胃液が混じっているのか、不快な酸味が口に広がる。
俯いたことで、不意に右腕が、俺の視界に入った。
俺が発見されてからずっと、手袋が被せてある。
恐らく、俺が無くなった右腕を見て錯乱しないように、と言う心遣いなのだろう。
だが、一つの違和感の所為で、右腕がないことは丸わかりだ。
その違和感とは、右腕を動かしているのに、手袋が動かないということ。
全身がうまく動かせない今の俺でも、右腕だけは素直に動いてくれている……と言う感覚がある。
しかし、手袋は一切動じていないのだ。
これは即ち、そう言う事なのだろう。
「あ、旦那様。
ココア味とかもありますよ!!」
俺が自分の右腕を見ていることに気が付いたのか、イブキは懸命に話を逸らす。
でも、そんな気遣いは無用だ。
「大丈夫だよ、イブキ。
わかってる」
俺は、自分の右腕に被せてある手袋を脱ぎ捨てた。
それによって、皮膚に覆われた綺麗な断面が、俺の目に晒された。
これが俺の腕であるということが、いまだに信じられない。
俺ですら、目を逸らしてしまいそうだ。
しかし、イブキは俺の腕を、真っ直ぐに見つめていた。
「……わかっていたんですね……」
「未だに信じられないけどな。
これが俺の腕だなんて、嘘みたいだ」
その時、イブキが俺の左腕に指を絡ませてきた。
「嘘のままでいいんです。
これからは、私が旦那様の右腕になります!!」
「いいんだよ、イブキはイブキだ。
お前のまま、傍にいてくれ」
……自分で言っておいてなんだが、今煮も歯が空を飛んでいきそうなセリフだ。
でも、それが俺の本心だ。
俺のことで気負ってほしくはない、ありのままのイブキでいてほしい。
イブキは、俺の言葉を正しく理解してくれたのか、自らの身体を、俺の左肩に預けてきた。
「私達を忘れてもらっちゃ困るわね」
そんな俺の右腕を取ったのは、ライム。
そして、彼女の横に並ぶノイン。
この世界に来てから、俺が手に入れた仲間達。
「ああ……ありがとう……!!」
俺を支えてくれる人達……。
俺が元いた世界で、手に入れられなかったモノ……。
もう、俺の右手は無いけど、これだけは絶対に手放さない。
『フィリップ2南門に到着。
これより開門する。
予備障壁を展開』
マフルの街は開門する際、魔物が侵入しないように、入り口付近に障壁を展開する。
今頃、このグーンの周りには障壁が展開されている事だろう。
「フィリップ1了解」
ノインの声と共に、グーンは前進を始める。
今、グーンの外の光景を確認する方法は、車内前方の巨大なモニターのみ。
そこには、先を行く警備隊員の戦闘車両が映っていた。
前方しか見えないが、マフルに帰ってきたということはわかる。
グーンの後方で、巨大な門が唸りを上げながら閉門した。
――その時。
ドン!
という衝撃音が、俺達の乗るグーンを襲う。
閉門によるものじゃない……もっと攻撃的な……。
「なんだ!?」
ノインが叫ぶのとほぼ同時に、グーンのモニターが全天周モニターに切り替わる。
上下左右が、見慣れた街の景色に染め上げられた。
……ただ一点を除いては。
グーンの真上で、大口を開けていたのだ。
例の獅子の魔人が……!!
その口内には、眩いほどに輝く熱の塊。
「な!?
セットアップ、アームズ01!!」
<Roger.
Standby Arms01 “Destroy Beak”.>
グーンの車体前方から、上に射出されたデストロイ・ビークが宙を舞い、獅子の魔人へと照準を合わせる。
そして、誰の手も借りることなく、その銃弾を放った。
その一撃は、獅子に直撃。
奴はグーンから吹き飛ばされ、道路に転がる。
その隙を逃がさず、グーンは全速力で道路を駆けた。
「クソ!!
索敵班は何をしていた!?」
前方を走っていた警備隊車両が停車し、車内から武装した隊員達が降りてくる。
恐らく、獅子は彼らともう一両のグーンで相手をするのだろう。
隊員達とすれ違うように、俺達は街を駆ける。
俺達の目的地は、地下の秘密基地。
入り口は街中に隠されているうちの、どれを使ってもいい。
このタイミングでの強襲ということは、恐らくルイスの目的は俺。
対して、警備隊の最優先防衛目標も俺だ。
この街の最大戦力を掛けた戦い。
だが、今のこちらの戦力は、俺を魔物から守れる程度でしかない。
今まで出会った中で最強の魔人を、グレイスなしで対処できるのか?
しかも――。
「あの魔人がいるということは……!」
ライムが唇を噛み締めながら呟く。
こいつの言う通りだ。
あの魔人がいるということは……!!
突如、空から降り注いだ鋭すぎる雨粒が、車体を掠めた。
空から落ちてくる二つの人影。
「来るよなぁ、こいつらも……」
魔女ルイスと、メイルを纏うナル。
そいつらは、まるで俺達の道を阻むかのように立ちはだかった。
グーンはその場に急停車することを、余儀なくされた。
このまま奴らに突っ込んだら、グーンごと吹っ飛ばされるからだ。
こいつらの強襲を防ぐために、ルイスを捜索していたと言うのに、情けない話だ。
何より敗北し、この状況を招いてしまった俺自身が情けない。
「魔女様、グーンの操縦権をそちらに譲渡します。
ここは私が」
「おいノイン!!」
俺は、背中を向けたノインを呼び止める。
「死ぬなよ……!!」
「死ねないさ。
お前を送り届けるまでな」
ノインはそう言うと、後部ハッチから降車する。
そして、グーンの横に並び立った。
「ちゃんとした挨拶は初めてね。
ディア・メイルの装着者様」
「お初にお目に掛かります、ノイン・アイシバーと申します。
以後、お見知りおきを」
張りつめた糸のように、俺達を覆う空気は緊迫している。
出来る事なら、穏便に事を済ませてほしいが……。
「あんたのことなんてどうでもいいのよ。
私達が欲しいのは、グレイス。
あの子を差し出してくれるのなら、あんた達には手出ししない」
……あくまで俺狙いってことか……。
だったら――。
「ライム、今のうちにメイルの始動を」
「ええ、わかってる」
ライムは俺の左腕を掴むと、ドライバーに魔力を流し始めた。
「それは出来かねますね、魔女様。
彼は我々にとっての大切な財産であります。
この場は御引き取り願いたい、以後正式な場を設け――」
「私は今すぐ欲しいって言ってんの」
ナルは、問答無用に銃を構える。
ノインは彼女らの態度に、深いため息を吐いた。
「でしたら……。
セットアップ、アームズ00」
<Roger.
Standby Arms 00 "Dia・Mail">
「この場は、力尽くでも!!」
ディア・メイルの構成部品が射出されると同時に、グーンは斜め上方向に急速な加速をする。
そして、ルイスらの直上を飛び越えた。
無論、奴らも妨害をしようとはするが、ディア・メイルを纏ったノインがそれを制した。
今これの操縦権を持っているのはライムだ。
彼女の脳波によって操縦されている。
ノインが少しでも早く逃げられるように、俺も早く目的地に到達しなければ。
だが――。
<Error.
You don't have qualification.>
……メイルが、始動しない……!?
なんでだ……?
まさか、故障!?
「どうしてだ……!?」
「この反応は……!?
ソウタから、魔力が検知された!?」
ライムは驚愕の声を上げる。
俺から魔力が……?
「バカ言うな!!
今までそんな誤作動は!!?」
いくらノインとはいえ、メイルと魔女を同時に相手することは難しい。
こうしている間にも、グーンを狙う水鉄砲が、何発も襲い掛かってきている。
幸いライムのドライビングテクニックで、避けられてはいるが。
だが、全天周モニターに映るナルが、ディア・メイルを踏み台にし、こちらに跳躍してきた。
『!?
しまった、魔女様!!!
ナルがそちらへ――!』
高速で走行するグーンの斜め右に降り立ったナルは、その場でくるりと回転する。
そして、その勢いを乗せた足で――!!
ドォン!!!!!
強烈な回し蹴りを繰り出した。
「旦那様!!!」
即座に、イブキが俺の頭を胸の中に抱きしめる。
その瞬間、グーンは道路沿いの建物へと叩き付けられた。
まるで弁当が潰れるかのように、俺の背中が、車内の壁に叩き付けられる。
激しい衝撃に晒され、俺はイブキの胸元に、嘔吐物をぶちまけてしまった。
幸い、後頭部は守られているが……。
全身が痛い……。
先程からロクに体が動かせなかったが、痛みの所為で、全身ピクリともさせられない。
対して、ケロッとしているライムは、グーンの後部ハッチへと駆け出した。
「イブキちゃん、ソウタをお願い。
ここは私がやるわ!!」
「は……い……!!」
先程の衝撃を受けたのは、イブキだって同じだ。
けが人二人の脚を使って、秘密基地までどれだけかかる?
それなら、もう一両のグーンを寄越してもらうべきか?
いや、そうなると、魔人の脚止めに使う戦力が足りなくなる。
「旦那様……動けますか……?」
いや、考えるのは後だ。
俺さえ無事に帰ることが出来れば、ノイン達も柔軟に動けるはず。
「ああ……」
不意に、グーンの車内にルイスの声が響く。
奴の方に目をやると、どうやらノインの左腕を掴んで、彼の腕時計から俺達に語りかけてきているようだった。
『あ、あ~、聞こえる?
あんたら、大事なことを忘れてない?』
大事なことって……?
それを思い出させるように響いたのは、膨大な数の銃声。
そうだ……俺が最後にナルから喰らったのは、透明な対メイルライフルの射撃!
光学ステルスによって姿を消し、空中に浮遊することも出来る対メイルライフルは、何十丁持っていたとしても、肉眼では捉えられない。
あの時も持っていたのなら、今も持っていて当たり前のはずだ!?
件の銃弾は、グーンの車体を容易に貫いた。
そして、グーンに窓を作るかのように、弾痕が刻まれていく。
気付いた時には、グーンの壁は四角くくり抜かれ、その先でナルがこちらに銃を向けていた。
『ねえフロイアのお弟子さん?
命が惜しければ、早くその男から離れた方がいいんじゃない?』
その通りだ……。
この状況、俺の生還は絶望的だろう。
ルイスは俺さえ殺せればいいわけだし、どうせ死ぬなら巻き添えは少ない方がいい。
でも、イブキは俺を抱きしめたまま、動かなかった。
「私は……私は、退きません!!
私は、この人の妻だから!!」
「イブキ……」
その時、ライムの拳がナルへと襲い掛かる。
しかしナルは、それを軽々と躱しつつも、俺から銃口を逸らさない。
『そう、それじゃあ……ナル、殺してあげて』
そして再び、十数丁もの対メイルライフルの銃声が、街に響いた。
それはもはや銃声なんて生易しいものではない。
俺の身を砕く轟音だ。
俺がヒーローじゃないということは、街の外で嫌と言うほど実感した。
でもまさか、俺以外の誰かを巻き込んで死ぬことになるなんて……。
これじゃあ、ただの厄介者だ。
今からイブキを突き飛ばすか?
ダメだ。
少し離れた程度では、対メイルライフルの一撃は、容易にイブキの身体を砕くだろう。
それに、今の俺にそんな力は出せない。
じゃあ、どうすればよかったんだ?
どうすればこの状況から、イブキを守れた?
そんな自問が、俺の頭の中を乱反射する。
いや、そんなことは最初から決まってる。
俺が、こいつらに勝てればよかったんだ。
――こいつらを、ぶった斬っていれば!!!!!!
<Awakening>
その時、俺の視界が真っ赤に染まった。