8-1
俺は、新居で平和な休日を満喫していた。
俺の部屋は一階であることから、テラス付きだ。
隣の部屋との仕切りはないため、テラスは共通となっている。
隣に住んでいるのは、ライムとイブキ。
昼間は同じ部屋で過ごすことも多いため、実質寝る部屋が分けられているだけだ。
俺としては、男一人でいられるスペースが出来ただけでもありがたい。
俺は、木でつくられたテラスの床に寝そべり、空を見上げた。
テラスの屋根と、高い塀に縁取られた空は、今日も快晴。
そんな俺の傍らで、イブキとノインが、タライを用いて洗濯物を手洗いしていた。
今日は、おっさん以外の対策課は全員非番。
だから、皆で休日をエンジョイしているところだ。
まあ何かあったら、俺はともかくノインはすぐに駆り出されるのだが。
ノインは、手を動かしている方が落ち着くと言って、昔からこんな調子だ。
食事、風呂、ありとあらゆるものを、自分の手を動かして準備する。
だが、イブキまで付き合う必要はない筈だ。
「イブキ、こんなやつに付き合う必要はないんだぞ?」
「大丈夫です!
せっかくですし、一緒に洗濯しちゃいましょう!
私だって、手洗いくらいできますし!」
せっせと手を動かしながら、イブキはそう言うが……。
ただでさえ、家事は何から何まで任せてしまっている中、そんな手間まで掛けられてしまうとなぁ。
とはいえ、俺が手伝うと言うと、拒んでくるんだよな。
「つってもなぁ」
「奥様がそう言っているんだ。
キサラギは休んでいたらどうだ?」
元凶のノインもこんなことを言う始末。
人がせっせと働いてる横でなんて、休みたくても休めない。
「元はと言えば、おまえが手洗いなんて始めたからだろうが!」
「これが俺のライフワークだからな」
すると、ノインは懐から一本の筒を取り出した。
先端の無いキセルのようなものだ。
彼はそれを、俺に差し出すと「シャボン玉でもどうだ?」なんて言い出した。
……なんでそんなものなんか持ってるんだよ。
と思いつつも、俺は筒を手に取った。
タライに入った水に、筒の先端を漬ける。
そして、その反対側から息を吹き込むと、小さなシャボン玉が空へと舞った。
「まったく、酔狂な野郎だ」
青空に溶けそうなシャボン玉の群れを見つめながら、俺は呟いた。
「そう思うなら、キサラギはもう少し、奥様の気持ちを考えた方がいい。
このままでは、墓穴に足を取られるぞ」
「はぁ?」
イブキの気持ちを考えろって?
洗濯物を手洗いすることに、気持ちも何もあるのか?
俺はイブキに視線をやる。
彼女は、空を舞うシャボン玉に視線を奪われているようだった。
シャボン玉に興味があるのか?
「イブキ~」
だったら筒を貸してやろうと思い、声を掛けてみるが、イブキの視線はシャボン玉に捕えられたまま。
こちらのことなど、意識の外のようだ。
まあ確かに、シャボン玉は綺麗だが……。
「おい、イブキ!!」
イブキは肩を震わせると、ハッと俺に視線を戻した。
「は、はい!」
「シャボン玉、やるか?」
「い、いいんですか!?」
イブキは目を輝かせながら、タライにそこに手を突いて、こちらに身を乗り出す。
そんなにやりたかったのか……。
しかし彼女は、またもハッと肩を震わせると、鋭い視線をノインに向ける。
「い、いえ!
私には、大切な仕事があるので……」
そして、再び手洗いを始めた。
……彼女が一瞬、ノインの方へと向けた視線を、俺は見逃さなかった。
まるで戦闘中の時の、抜身の刀の様な視線。
まさに「敵」を見る時の様な瞳。
「イブキ……?
どうしたんだよ?」
そう問いかけても、イブキはせっせと洗濯をするのみ。
ノインの方を見ても、溜息を吐いているのみだ。
どうしたらいいんだよ……なんて考えた時、テラスの引き戸が思い切り開かれた。
開ききった瞬間、パキンと嫌な音がしたのを俺は聞き逃さなかった。
「さぁ~てみなさん!
おバナナシェイクが入りましたよ~!」
扉の向こうから現れたのは、お盆を持ったリユとライム。
リユはクルクルと回りながら、タライの横まで器用に移動してくる。
これだけ激しく動いておきながら、カップから一滴も零さないのは、やはり才能というべきか。
彼女はタライの隣に、バナナシェイクの注がれた三つのグラスを置いた。
「シンジキド……俺は甘いものは苦手だと言ってなかったか?」
しかしノインは、バナナシェイクに手を出そうとしない。
こいつ、甘いものは苦手なのか……。
俺はむしろ好きなんだがなぁ。
「そう言うと思って、ノイくんには私特製ドリンクを用意しました!!」
そう言って彼女が取り出してきたのは、紫色をした……飲み物?
「特製、バナナコーヒーシェイクです!
バナナとコーヒー……ベストマッチですよ!!」
「……には見えないが……」
まあ、リユはノインに任せて、俺はバナナシェイクを楽しむとするか。
俺は、普通のバナナシェイクへと手を伸ばす。
しかし、それはライムによって奪われてしまった。
「あ、おい!
それ俺のだぞ!」
「ソウタ。
久しぶりにノイン君に会えてうれしいのはわかるけど、イブキちゃんにもかまってあげなきゃダメよ」
「はぁ?」
確かに、越してきてからノインと話すことは多いが……。
イブキとは毎日話してるし、飯だって一緒に食べてる。
「イブキちゃんたら、この前なんてね――」
「あ、だ、ダメです!
言っちゃダメ!!」
ライムが何か言いかけた途端、これまで選択に集中していたイブキが血相を変えて叫ぶ。
……イブキがここまで取り乱すなんて、ライムは何を言おうとしたんだ?
まて……?
イブキがさっきノインに見せた、鋭い目つき……。
そして、ノインやライムの言葉。
イブキの手洗いに対する執着は、ノインへの対抗意識とも取れないか……?
そこから導き出される答えは一つ……!
「嫉妬か!!
イブキはやっぱりかわいいなぁ!!」
俺の渾身の褒め言葉だったが、イブキはぷいとそっぽを向いてしまった。
「……ソウタ……前々から思ってたけど、デリカシーないわね」
その様子を見たライムはそんなことを言いやがる。
俺だって、元の世界じゃ結構うまく立ち回ってきたんだぞ?
デリカシーの一つや二つあるわ。
「わりかしある方だろ。
な、イブキ。
あ、今のはデリカシーとわりかしを掛けたわけじゃないぞ」
「……別に嫉妬ではありません。
ただ、旦那様の妻になる者として、私は常に旦那様の一番でいたいだけです」
それを嫉妬って言うんじゃないのか?
とは思うが、ここは言わないでおこう。
俺はデリカシーのある人間だからな。
イブキは頬を赤らめながら、洗濯を続ける。
彼女の、俺に向き合う姿勢は、死ぬほどうれしい。
今すぐイブキを抱きしめたいところだが、一生懸命洗濯をしている彼女を見ていたくもある。
「まあ、彼女の気持ちがわかったのならいいわ」
そう言うと、ライムは奪い取ったグラスを、俺に手渡してきた。
そいつを握ると、俺の手にひんやりとした感覚が伝わってくる。
キンキンに冷えたバナナシェイク、なかなか美味そうじゃないか……。
それを口に運ぼうとした瞬間、右腕の腕時計が震えはじめた。
俺の物だけじゃない、この場にいる全員のものが。
それってつまり……!?
『ノイン、聞こえるか』
全員の腕時計から、どうじに聞こえるおっさんの声。
どうやら、俺達の休日はここまでのようだ。
「課長!
本日は御日柄もよく――」
「魔人の目撃情報と思しき通報があった。
すぐに調査隊を派遣する。
ノインは即応配置に付け」
流石おっさん、ノインと長いことやってるだけのことはある。
ノインの長ったらしい挨拶を、問答無用でぶった切りやがった。
「……了解です」
ノインは、歯がゆい様子で小さく返事をする。
「それと、ボウズは待機だ。
なるたけ早く準備をしとけよ」
「はいはい」
警備隊と俺が正式に手を組むこととなっても、やはりフィセント・メイルの存在は機密事項だ。
一般人や事情を知らない隊員に勘繰られないために、俺はあくまで魔力研究室からの外部協力者と言う体を取っている。
故に、ディア・メイルの制式採用が決まってからは、ノインが現場に先行するんだ。
ま、ヒーローは遅れてやってくるってことだな。
「ではキサラギ、先に行ってるぞ」
「おう。
ライムはメイルの始動を頼む」
俺は、テラスの戸を開けて、室内に入る。
そして、巨大な冷蔵庫にも見える戸を開き、その中に入った。
ライムも、それに続く。
これこそが、秘密基地に繋がるエレベーターなんだ。
イブキは、洗剤の泡の付いた手のままで、俺達を見送りに来た。
「旦那様、お気をつけて」
「ああ、帰るまでには、洗濯終わらせとけよ!」
エレベーターの扉が閉まり、イブキの姿は見えなくなる。
ライムと二人きりになった室内で、俺達はメイルの始動を始めた。
きっと今日も、すぐに帰れる。
そんなことを思いながら――。




