5-4
ライムが攫われた。
それは俺達の持つカードが、全て奪われたということ。
たった一人いなくなっただけで、ここまで追い込まれるなんて、情けない話だ。
魔人やそれに準ずるものへの対策案は、山ほど用意してあるが、そのディーラーがライムしかいないとなれば、こうなるのも当然だ。
魔女の戦闘力ならば、万が一のことなどありえない、という慢心が生んだ結果だろう。
「……畜生!!
おっさん!! 警備隊員達はどうしてる!?」
「あの蜘蛛野郎のまいた糸の所為で、二進も三進もいかない状況だ。
ドア一つ開けるのに一苦労らしい」
あの蜘蛛の魔人は、新棟の屋上を陣取っているようだ。
用意周到なことに、警備隊の新棟のさまざまな個所に、蜘蛛の糸が張られているらしい。
それに加え、屋上には巨大な繭のようなものが造られている。
まるで屋根を形成するかのように
これでは、上空から降下することももままならない。
「んなもん気合でどうにかしやがれ!!
このままほっといたらライムが――!!」
「アイツがこの程度で死ぬタマに見えるか?」
「ライムの電撃すらものともしない奴なんだぞ!!
すぐには死ななくたって、いつまで持つか――!!」
俺に出来ることは何もない。
あるとすれば、ラッパを持って警備隊員達の応援をするぐらいか。
ラッパ吹きでも何でもいい、警備隊には一刻も早く、魔人のいる屋上に乗り込んで貰わなくちゃならない。
ならないんだ!!
その時、部屋の隅で黙りこくっていたイブキが、俺の方へと歩み寄ってきた。
まさか、いい案が思いついたのか!?
「イブキ!!
もしかして、何か――!」
だが彼女は、俺の額にチョップを繰り出した。
ポコッという音でもしそうな程に優しいものだ。
「旦那様、落ち着いて下さい。
今私達がすべきことは、ライムさんの心配ではありません」
ライムを心配しちゃならないって言うのか……!?
今アイツはピンチの真只中って言うのに!!
「じゃあイブキは、ライムがどうなってもいいてのか!?」
「そうじゃありません!!!
私達がするべきことは、私達が出来ることを探すことです」
「だからさっきから探して――!!」
イブキは、俺の反論を食うように、大声を上げた。
事務室どころか、部屋の外までも漏れそうな勢いで。
「喚くだけじゃ、現状は変わりません!!」
普段、俺のすることならば黙って認めてくれたイブキが、声を上げて俺を制する。
そんな彼女の姿に、俺にはない力強さを覚えてしまった。
イブキは、俺の左手を取ると、メイルドライバーに手を掛ける。
「メイルを始動できればいいんですよね?
ならば、始動できるだけの魔力を供給できればいい筈です」
それができないから、俺は喚いてるんだ。
……そう言い返そうとした瞬間、俺の頭に柔らかい感触が触れた。
イブキが、一生懸命手を伸ばして、俺の頭を撫でていてくれている。
「ライムさんが心配なのは、私だって同じです。
でも、今はライムさんを信じましょう。
私達は、まずはメイルを始動させるんです」
イブキが頭を撫でてくれているだけで、さっきまで荒んでいた心が、ビックリするほどに落ち付いて行く。
俺は、思わず彼女を抱きしめてしまった。
「……悪い。取り乱してた」
俺の腕の中で、イブキは微笑む。
そして、俺の背中に手を回すと、今度はポンポンと背中をやさしく叩いてくれた。
「……これじゃあ、妻じゃなくて母親だな」
その一部始終を見て、おっさんはぼやいた。
……まあ確かに、イブキはいい母親になると思うよ。
「で、でも、タレント・メイルの始動って、どうやって?」
先ほどから、慌ただしく意味の分からない動きをしていたリユが、声を上げた。
タレンドじゃなくて、フィセントだが……まあ伝わるからツッコミは無しとしよう。
リユの言う事は正しい。
ライムがいない状況で、どうやってメイルを始動させるんだ?
「この街のライフラインは、全て魔力で補われています。
つまり、魔力なんてどこからでも入手できるということです!」
俺の腕の中で、自慢げに語るイブキ。
確かにそれは、その通りだ。
しかし、そんなに簡単にメイルの始動が出来るなら、とっくにやっている。
「ダメだ。
フィセント・メイルの始動には、膨大な魔力を消費する。
それこそ、魔女じゃなきゃ生み出せない程のな」
真っ先にダメ出しをしたのは、おっさんだった。
恐らく、俺よりもおっさんの方が、メイルにはよっぽど詳しいだろう。
「で、でもやってみなくちゃ――!」
「散々やってる、俺がガキの頃からな
メイルは300年前の遺産、小型のパーパシャル・ジェネレーターだぞ?
そんな簡単に使えるもんなら、もっとうまく使ってるはずだ」
おっさんに完全論破されたイブキは、しゅんとして俺の胸に顔を埋めた。
子供相手に大人気ないと言いたいところだが、今はそう言っていられるほど暇じゃない。
メイルは腐っても、究極の永久機関。
そんなもんが気軽に始動できるなら、毎回ライムに魔力を注いでもらう必要なんかない。
待てよ……パーパシャル・ジェネレーター……?
「そうだよおっさん!!
ジェネレーターだ!!」
「そうだって言ってんだろ!!」
おっさんは、苛立ちを含んだ視線を俺に向ける。
でも今、俺はその苛立ちを払拭できる妙案を思いついた!!
「違う違う!!
こいつを、パーパシャル・ジェネレーターで始動させればいいんだ!!」
この街のインフラ全てを賄うほどの永久機関。
それなら、こいつの始動だってできる。
幸い、ジェネレーターはここからそう遠くない。
今から行けば……。
「どうやって中に入るんだ?」
だが俺の発言に、おっさんの苛立ちは増したようだ。
パーパシャル・ジェネレーターは、巨大な建造物の中にある。
恐らくそこに、魔女アウロラもいる。
故に、一般人が立ち入りできないように、厳重なセキュリティに守られているのだろう。
だが、全く誰も入れないなんてことはない筈だ。
「そこはおっさんの出番だろ」
「簡単に言ってくれるな……。
いくら魔女達の事情を知る人間だからって、おいそれと入れちゃくれないだろ
あそこにはいれるのは、それこそこの街のトップくらいだ」
俺もパーパシャル・ジェネレーターの外壁は、ライムに見せてもらったことがある。
普通に入り口はあった覚えがあるが……。
素知らぬ顔で行けば入れたりしないだろうか?
「第一、今ジェネレーターがあると言われてる場所に、本当にあるという保証はない」
……そうか。
確かに、街の機能のすべてが集約していると言われている場所を、そう簡単に教えたりはしない。
仮に本当にそこにあったとしても、悪意を持った人間にどうにかされないような対策は取っているだろう。
ライムならば本当の位置を知っているかもしれないが、そのライムを助けようと今動いている訳だし……。
その時だった。
おっさんの事務机の前に三つ並んだ椅子。
その真ん中の椅子から声がしたのは。
「そのおっさんの言う通り」
聞いたことのある声。
だが、もう聞きたくなかった声。
こんなところにいる筈はない。
俺の額から、汗があふれ出た。
俺は、声の主へと振り返る。
そこに座っていたのは、透き通るような水色の髪を持つ、美しい少女。
「んな!?
このガキどっから入ってきやがった!?」
おっさんはコイツの正体に気付いていない……?
そうか、顔を見たことはないからな。
俺は、目の前の光景が本物であるか確かめるように、彼女の名を呟いた。
「魔女……ルイス……!!」
イブキは、俺の手をやさしく跳ね除けると、すぐさま身構えた。
ほぼ同時に、おっさんも腰から拳銃を引き抜いて、ルイスへと向ける。
「な!?
このガキが!?」
椅子に座ったままのルイスは、おっさんの拳銃を一瞥すると、机に並んだコーヒーに目をやった。
さっきリユが淹れたものだ。
もう結構冷めてると思うが。
ルイスは、コーヒーカップを手にとってから、大きくため息を吐いた。
「全く。男ってのは野蛮で困るね。
銃を抜くよりも先に、掛けるべき言葉があると思わない?」
拳銃を向けられているというのに、随分余裕なルイス。
まあ爆発に巻き込まれても、3日後にはケロッとしているレベルだし、魔女にとって銃なんて脅威でもなんでもないのだろう。
「俺だって、敵じゃ無い奴を撃ったりはしない」
銃を構えたまま、おっさんは深く息を吐くように言葉を絞り出す。
その銃口は、ルイスを見つめたまま、少したりとも動かなかった。
「そう。じゃあ今回撃たれる心配はなさそうね」
ルイスはそう言って、手に取ったコーヒーを口に運んだ。
しかし――。
「ブーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
そのコーヒーを、盛大に噴き出した。
「何よこれ!!!!
砂糖入ってないじゃん!!!!!!!」
……
「子供か!!!」
そんな言葉が、俺の口を突いて出る。
だが、周りの連中は、全く警戒を解いていなかった。
「もう最悪。
今回の魔人に利用価値はなさそうだし、ライムは攫われてるし、泥水飲まされるし」
視界の隅から、ナルがすっと現れる。
瞬間移動して来たかのようにも見えるが、おそらくは最初からいたのだろう。
ナルは、ルイスの口をハンカチで拭った。
おっさんは、突如現れたナルにも警戒しながら、ゆっくりと口を開く。
「それで、敵じゃないってのはどういうことだ?」
一通り口を拭られてから、ルイスは頬杖を突く。
頬をぐにゃりと歪ませた状態で、おっさんを横目に捉えた。
「本当なら、グレイスをここでぶっ殺したいところだけど、今ライムがピンチなんでしょ?
私もあいつには死なれたくない。
っといっても、あんなでかい魔人相手じゃどこまで行けるかもわからない。
だから、協力してやろうって言ってんの」
俺達に協力する……?
こいつ……何を考えてる……?
「協力?
悪いが冗談に付き合っている暇はない!」
俺はルイスに言い放った。
これまで2度も敵対した仲だ、そう簡単に信用なんてできるか。
「それはこっちのセリフ」
だが、ルイスは冗談を言っている訳じゃなさそうだ。
本気でライムを助けようって言うのか?
確かに、今までのこいつの行動を思い出してみると、ライムへの殺意はあまり感じられなかった。
俺を殺す気は満々だったが……。
信用できるのか、こいつらを?
「冗談じゃないってんなら、どういう風の吹き回しだ?」
おっさんはルイスに銃を向けたまま、ルイスに問いかける。
「だから、ライムを死なせるわけにはいかないって言ってるじゃん!!
あんたバカなの!?」
ルイスの反応に、おっさんは頬を緩めた。
心なしか、おっさんの構えも甘くなっている様に感じた。
「ああ、お察しの通り、俺はバカだよ」
するとおっさんは、なんと銃をホルスターに戻した。
何考えてんだこいつ!?
魔女に対して銃を向けても意味がないと悟ったのか?
「お前はバカじゃないんだろ?
ならわかる筈だ。
協力するってんなら、俺達からの信用を得るんだな」
おっさんはどうやら、ルイスに敵意はないと判断したようだ。
まあ、こいつがこういうなら、俺は黙っておこう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ課長!!
こ、この子ってライちゃんたちの敵なんですよ!?」
おっさんの判断に、真っ先に異を唱えたのはリユだった。
こいつはなんでも「まあいっか」で済ませるイメージがあったから意外だ。
敵だとかどうとか、考える頭があったなんてな。
「敵ってのは、俺達の目的の障害になる奴を言う。
少なくとも、今のこいつは違う」
流石は大人の男といったところか。
言葉の説得力が違う。
リユは眉を顰めながらも、それ以上異を唱えようとはしなかった。
「旦那様は、いいんですか?」
イブキは、俺に問う。
確かにルイスは信用ならないが、おっさんがこういうなら従ってやる。
それに、本気で俺を殺す気なら、今すぐにでもできるだろう。
そうしないってことは、少なくとも俺達と敵対するつもりはなさそうだ。
……今のところは。
「信用?
そんなもの、必要ないでしょ?」
すると、ルイスは手で銃の形を作って、その銃口を俺に向けた。
「……ばぁん!」
というルイスの掛け声と共に、彼女の指先から水色の魔力が射出される。
……攻撃!?
俺は、とてもじゃないが反応できなかった。
だが、真っ先に反応したイブキが、俺にタックルをかました。
「旦那様!!!」
彼女の全力の体当たりに押され、俺は地面へと倒れ込んだ。
その上に、俺を守る様に覆いかぶさるイブキ。
水色の魔力は俺達の上を通り過ぎて行った。
突然攻撃してくるなんて、やっぱりルイスは、俺を殺すつもりか!?
だが、安心も束の間。
水色の魔力は大きく進路を変え、天井へと登っていく。
そして、まるで落下するかのように、俺の顔へと振ってきた。
「イブキ、避けろ!!」
俺は、覆いかぶさっているイブキを、右に投げ飛ばす。
床に体を叩き付け、息を詰まらせるイブキの傍ら、俺は両腕で顔を覆い隠した。
もうダメか、なんて言葉が頭を過る。
左腕に、ヒヤリとする柔らかい感触が触れて――。
<Starting>
メイルドライバーの冷たい電子音声が、突然声を上げた。
メイルが始動した……?
「……力さえあればね」
こいつが俺達と敵対するつもりなら、メイルの始動など絶対にしない筈だ。
俺に力を与えるという行為は、敵にとって百害あって一利なしだからだ。
つまりこいつは、本当に俺達の味方を……?
とにかく俺は無事だった。
むしろケガをした恐れがあるのは、俺が投げ飛ばしてしまったイブキだ。
俺は体を起こして、イブキへと駆け寄った。
「イブキ、悪い。
大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
幸い、イブキは大きな怪我はしていないようだ。
俺は、イブキを抱き起こしてから、ルイスへと視線をやった。
「本気で手を貸すつもりか」
「さっきからそう言ってるでしょ。
勝手に疑ってたのは、あんたらの方」
ルイスは、椅子から立ち上がると、窓の方へと歩いて行く。
彼女は本部の屋上を見上げてから、俺の方へと振り返った。
太陽の光が、彼女の美しい髪を照らしあげる。
「さぁ。これで戦えるでしょ?」
彼女は見た目相応の、無邪気な笑顔を浮かべた。
まるで、俺ならば勝てると確信しているような。
俺を2回も殺そうとした奴が、俺を頼りにしようだなんて、ちょっと気に食わない。
だが、今はそんなことどうでもいい!!
さっさと魔人をボコって、ライムを助けるだけだ。
「これで許されるだなんて思うなよ」
イブキを立たせてから、俺自身も立ち上がる。
メイルを装着すれば、本部の屋上なんかひとっ飛びだ。
「駒の許しなんかいらない。
今欲しいのは、あんたの力だけ」
生意気なことを言う。
まあ、俺に許しを請うような奴なら、最初から敵対なんかしないか。
こいつを許す気はないが、今回の件をきっかけに、平和な関係を結べたらいいと思ったが、考えが甘かったようだ。
聞かん坊へのお仕置きは、また今度……なんて思った時だった。
不意にルイスが「準備はいい?」と尋ねてきた。
全く想定していなかった問いに、俺は返す言葉を見失う。
その無言を肯定と受け取ったのか、ルイスは俺へと手をかざした。
刹那、水色の魔力が俺の身体に纏わりつく。
「んな!?
なんだこれ!?」
それは俺の全身を這うように動き回ると、突如、巨大な水の球に姿を変えた。
空中に浮かぶ直径2メートルはあろう水の球が、俺を飲み込んでいく。
「ごぼ、ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!」
なんだよこれ!
まさか、このタイミングで裏切る気か!?
しかし、同じく水の球に呑みこまれたナルを見て、その疑惑は払拭される。
ルイスの奴、何をする気だ?
イブキが俺に向かって必死に手を伸ばしているようだが、声も聞き取れないし、手も届かない。
どうやら、球に触れた個所からぐにゃりと変形する所為で、球の中に手を入れることが出来ないようだ。
ルイスは、俺を一瞥して、何かを呟いた。
その唇の動きから、何を言おうとしているのか導き出そうとした瞬間、大きな加速度が俺を襲った。
巨大な雫は、俺を飲み込んだまま事務室の窓を割り、外へと躍り出る。
今まで俺が立っていた地面が一瞬で遠ざかり、蜘蛛の糸に巻かれた屋上が、目の前に迫ってきた。
「ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!!」
ルイスの奴、俺を魔人の居場所まで送りつけるつもりか。
だけど、もっとやり方ってもんがあるだろ!!!!
まるで弾丸の様なスピードで突き進む水の球が、警備隊本部の屋上を陣取る繭を貫いて――。




